頭の上のハエ
その日朝の10時から昼も食べずに夜の8時近くまで叱責されつづけた。 まず最初に言われたのが 子供の移籍は保護者の承諾なくにありえないので誰の責任でもないことで 自分で決めたことを学校や地方自治体のせいにするのは止めなさい。 そして過ぎ去ったことは全て忘れてこだわるなということだった。 そして私が強い口調で学校その他(市役所等)へ言えば言う程(相談するほど) 子供に反映するので 母親として賢く立ち回れということだった。 その為なら協力を惜しまないというオーファーである。
娘の為に何が出来るのか一緒に考えましょうと切り出した。
その方は いろんなボランティア活動をしている関係で市役所を歩いただけでお茶が出て来ない部署は無いと自負するくらい顔の広い方だった。 運動会も市内全部の小学校から招待状が届き校長を始め教育委員会の職員誰もがその方に頭を下げる立場の方だった。 PTA会長一押しである。 そんな方に縁あって引き合わせてくれた。 休日一日を 私の為 娘の為 地元小学校の為にひと肌脱ごうと買って出て下さったボランティア精神豊富な先生だった。
その方の情報によると・・・ 教育委員会というのは東京都の職員を指しそれ以外は教育委員会と呼ばないらしい。 3人程この自治体(市)には担当者がいるが誰一人として娘の存在すら知らないと言っているそうだ。 つまり私が教育委員会の職員だと思っていた方々は タダの市役所職員(事務方)だそうだ。 私が過去の就学相談で名前をあげた人を この方は誰一人存じ上げなかった。
「私は下っ端の人間(窓口になる市の職員)とは話さないから こんな人たち知らない」 と瞬殺で切り離された。 その中には指導部先生と呼ばれる方々もいた。 それは学校長をリタイアして第2の人生を嘱託職員(パートタイムジョブ)として働いている方々も含まれた。
つまり ここからが驚愕の真実だった。 私が市の広報を見て障害者手帳を取得した娘が義務教育である小学校へ入学するための手順だと思っていた一連の流れが 私より年若い青年たち(20代~30代前半)の職員による自分勝手な判断の蓄積された結果であった。 当時・・・ 現在は 就学支援相談室が旧地元小学校(Kaoの母校)にあるが 私は広報にも記載されていた通り市役所の6階へ訪れ質問した。
「広報を見ました。 娘は重度心臓障害で障害者手帳を取得しました。 全ての手術が成功し1級から3級に落ちて元気になりました。 普通学級希望です。 就学相談は必要ないですよね・・・」
それを証明する為に診断書が必要です。 何を書けばいいのですか? 病院では白紙の診断書に自由に記載するフォームになります。 学校が知りたいことは何ですか・・・ あのやりとりは今でも忘れない。 それを全て口にしないことが協力の条件である。 そして始まった相談員と呼ばれる青年(心理士だと思われる担当者)一人がこの問題を抱えた。 福祉センターで面接を受けた。 手順だと言われ逃れることが出来なかった。 反対もした。 けど・・・ 娘がなぜ障害者になったのか個人情報守秘義務をたてに娘の前で語れとハンドリングした20代の青年・・・ 自分は知ってるけどと軽く言い放ち・・・ 反発する私の言葉を静止し夫が口を開いたあの日 娘は恐怖で私の膝に抱き付いた。 娘の耳をふさぎ 「まだ・・・ この残酷な手順を勧めるのか!」 と怒鳴ったあの日の出来事を叱咤された。
母親ならその場から娘を抱えて逃げ出すことができたはずだ・・・ と。
娘もその場に同席させるように言った青年。 この手順を踏まないと小学校には入れないと言った青年の言葉を受けて 夫が汚れ役を買った。 恐怖のあまり名前を書けといわれ名前の一部が鏡文字になった娘。 ひらがなも書けないと発達の遅れを指摘した青年。
「お母さん! これでもあなたは現実が見えないのですか!!」
鬼の首を取ったように知的障害者学級と書かれた地元小学校の支援級のパンフレットを渡したあの出来事は 「こだわるな! 二度と口を開くな! 忘れろ・・・」 だった。 とにかく私の話を聞いてくれなかった。 そして事実を語った。 当時の教育支援室は市役所向かいにある建物の中にあって 私が呼び出された福祉センターで面接というのは通常の就学相談ではありえない手順だったそうだ。 その当時の面接官の名前をあげても都の職員である教育委員会のメンバーではなかった。 相談員の青年の名前も下っ端すぎて知らないという。
「でも・・・ 確かに先生と呼ばれてました・・・」
大粒の涙がポロポロ流れ何がいけなかったのか知りたかった。 これは憶測であるが元市内中学校の校長職を務めた先生(だから職員たちがその面接官を先生と呼ぶ)が60歳で定年退職し元気で動ける間の仕事として社会福祉協議会で働いていたから福祉センターの一室で面接したのではないかとPTA会長と話していた。
私は娘の教育相談をするために 正規の手順だと思っていたことが 相談出来ず自分一人で解決しようとした職員の判断に踊らされていただけだと知った。 2月28日の電話で就学相談取り消しを持ち出した青年も市の事務職員らしい。 自分勝手な判断で でも親身になって県境を越えて神奈川サイドの小学校に越境入学を進めてくれた。 それを仲裁するかのように出てきた指導部先生。 これはその窓口係りの青年(多分市の事務員)が先生・先生と呼んでいた人である。 自身が養護の所長を務めたと言っていたが・・・ この方も教育委員会(都の職員)ではなくて 市の指導課の嘱託職員になる。 年齢的に地元小学校の校長より年上であった為 校長もこの職員の話に耳を傾けた。 けど都の職員でないと言うことを 教育委員会からの指導ではないから 前校長も参考意見程度にしか聞かなかった。 だから両親からのお願いと言う形・・・ あんな形で3月中旬に白紙撤回を条件に就学を許可されたのだと理解できた。 前校長も不本意であっただろう。 でも先輩のメンツをたて就学を許可した。 結果 予算をにぎる校長は予算を理由に難癖をつけつづけた。 否定するために情報を隠した。 その結果が冬の体操着だったり 運動会のドクターストップだったり 救護テントの存在を隠し保健室は絶対開けないと宣言した。
その全てを信じた私が愚かだった。 母親の情報収集不足がこの事態を引き起こした原因である。 過去の出来事を口にするなとなれば 母親が自分の娘を障害者だと宣伝しまくって権利を主張してるにすぎない・・・ それに面倒くさくなった校長・支援級の教師が結果的に娘につらく当たり 娘が萎縮し 学校で辛い立場にたたされているというのが その方の見解だった。
悲しかった。 ただ・・・ 悲しかった。 悔しかった ・・・ ただ悔しかった。 涙だけでなく 鼻水まで止まらなかった。 それくらいボロボロだった。
市役所の障害福祉課や子育て支援課の課長や部長級の人間・・・ 何せその方は下っ端の人間と話さないので ・・・ は誰も私が訴えた(質問した)事実を部下から相談・報告を受けていないと言った。 つまり この自治体にそんだけ重度の心疾患の児童の存在もその母親が助けを求めていることも 「知らない」 = 存在しない案件となっている。
私が頑張れば頑張るほど 窓口の職員(正規職員か年契約の職員か臨時職員か雇用形態は不明)は面倒くさくなり 適当な態度を取り 追い払い 目の前を飛ぶ蚊のごとき叩き潰されたのだと理解した。 教師も同じである。 正論を振りかざして相手を精神的に追い詰めたから支援級の教師に養護に行けと言われる母親のハンドリング不足(いわゆるモンスターピアレンツ化)を指摘された。
・・・ それは なんとなく 感じていた ・・・ けど ・・・ 誰もが 課長級・部長級の市の職員と話せる訳では無いく ・・・ 頭の上を飛ぶハエを追い払うかのように それは教育委員会の管轄ですの一言で終わりだった ・・・ 都のホームページを参照して 電話相談して 特別支援相談室を紹介されたり ・・・ 家庭支援センターを利用したり 時にはアドボガシー相談室と 使える窓口は全部使って訴えたのだ ・・・・ 助けて下さい・・・・ と。 そのすべてが間違っていたと この瞬間 理解した。 漠然とした感覚が 実感に変わった。 実感に変わったとき流れ落ちたのは涙だった。
最後に知ったのは 前校長は地元小学校に赴任が決定するまで支援級のある学校に就任したことが無かったそうだ。 だからそんな校長の下した判断は不運だったとあきらめ過去は振り返るな・・・・ がアドバイスだった。
前校長の力不足は この方も認めていた。 けど・・・ 1年時の運動会のあり方・・・ 50M走で 事前に配られるプリントには名前が記載され心臓病は伏せる方針で担任公認で退場門で隠れるように待機したあの日・・・ 「娘の気持ちを お母さんは考えたのか!」 とそれを承諾した(当初は反発したけど・・・それは聞き入れてもらえず) 母親に全ての原因と問題があると叱責された。
「可愛そう ・・・可哀想・・・」 そんなこと他人に言われるまでもなかった。 それを繰り返されれば 出るのは悔し涙ばかり・・・・・・。
娘に心の傷をつけたのは 間違いなく母親の責任である ・・・ でもそれはある意味当たっていた。 だから反論できなかった。 それが現実であった。
沢山泣いて スッキリして家に帰った。 精神的ダメージを受けたが 不思議と嘔吐しなかったのは その先生の言葉が当たっていたからだと思う。 辛かったが 私が教育委員会の職員(都の職員)だと思っていた先生と呼ばれる方々は ただの嘱託職員だったと知り65歳から年金が支払われる法改正なのか ただの天下りと呼ばれる流れなのか分からないが 高齢者の雇用を生むためのシステムを見せて頂きました。 と同時に都の職員に 教育委員会に残れなかった前校長が市の嘱託職員として 発達に問題を抱えた子供を抱えた親たちの相談員になっている現実も知った。 現在幼稚園に通い来年度就学予定で 発達障害を抱えIQ90以上のお子様に対しどのようなハンドリングをしているのか容易に想像でき 鳥肌が立った。 昨年度の相談室の相談員(指導部先生)が IQが90以上あっても・・・と指導本を持ち出し 就学先をきめるのは医者では無いと書いてある一説を私に見せたようなハンドリングをするのだろうと容易にそうぞうできた。
「あなたは 自分の子供のことだけを考えなさい。 校長が変わり 普通学級に戻したいと思うなら協力するわよ・・・」 と申し出てくれた。
条件は 過去は過ぎ去ったことと振り返らない 言わないと言うことである。 それは誰かが知らせたかもしれないブログの存在と消去を意味しているのかもしれないと思った。
市の職員(部長級)は誰も知らない。 母親の言いたいことも分からない・・・ そして都の教育委員会が掌握してないのだからそんな相談はなかったと この流れ・・・ 障害者手帳を持つ娘 難病と言われる心臓障害を克服した娘の就学相談は 東京都の教育委員会の関知してない所で起こった出来事であるというメッセージは受け取った。 彼らが意図してか そうでないのか分からないが 感覚としては就学相談を白紙撤回して校長に頭を下げ地元小学校に入学したあの日の感覚を思い出した。
息子の同級生だったママ友である情緒障害のお子様のフリースクール問題も 介入するなと 自分の子供のことだけ考えろという。 娘の将来と 市政のありかたを考えた時 母親として取るべき道は明確だった。 明確だったが・・・ その選択肢を 私自身選択して 人間として後悔しないか岐路にたってしまった。
これは取引なのだろうか・・・ 新たな取引なのか・・・ 深読みしすぎなのかまた眠れぬ夜を過ごす私がいた。
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