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2015年10月24日 (土)

夫婦で足並みをそろえよう!

 耳にタコが出来る位周囲から聞かされた言葉だが・・・ 私達夫婦は娘の進路に関して 同じ方向を向いていない。 夫は養護(肢体不自由クラス)でもかまわないという。 その言葉を漏らした時 烈火のごとく先生は怒った。 せっかく普通級に戻すよう翻弄しても 市の職員が事実確認の電話や訪問の際旦那が出て追い帰されたら 仲介した先生の立場がなくなるのであるという。
「家庭がそんな状況では 協力できない!」 と一喝された。
 女である私が 上手に甘えて 主人を立ててコントロール出来ない家庭環境が子供の為になっていないと叱られる。  難病である娘を行かす為 汚いケンカを何度も繰り返した冷え切った夫婦関係。 我慢したのは夫も 私も 息子も同じである。 一番つらかったのは息子だろう。 離婚届けを突きつけて解決する問題でもなかった。 息子か・・・ 障害をもつ娘か・・・ 母親として選べなかった。 出来る事なら 子供二人欲しくて旦那はいらない・・・ そんなことも思った日もあった。 乗り越えたのか乗り切ったのか 現在も不安定なのは事実である。 そんな家庭環境にも叱責された。

 母親として100点満点どころか 0点に近い状態なのは自覚していた。 でもなにから手をつけて 何をどうすればいいのか分からない。 分からないから分からない。 悩んでも仕方ない事は 自分であきらめ折り合いをつけて 相談できる場所全てにすがったが 幼稚園の園庭で井戸端会議を繰り返す母親のくでりごとと扱われる。 家庭支援センターや保健師の健診・スクールカウンセラーに相談することも無意味なのかと脱力感に覆われる。 でも割り切った。 それが私の住む自治体(市)の行政なのだと。 残念であるが 国が 文科省がスクールカウンセラーを設置するように(いじめ対策など)指導したから あるだけなのだと勝手に解釈した。 
 例え小学校内部の通知であっても自身の子どもを知的障害と認めたのである。 サインするのに勇気が必要だった。 悩んで・悩んで・悩んでも結果後悔した。 社会福祉的な(愛の手帳取得した)知的障害とは別物・・・ のはずがなかった。 中学校進学で壁があることを知る。 移籍した後に知った現実は手遅れなのだろうか。

 家に帰り娘の中学校をどうするか夫に考えを聞いた。 すると養護でかまわないと回答される。 それどころか来年6年生になる息子が卒業すると同時に養護に切り替えても構わないという。 普通学級に戻そうと画策する私と違う方向だった。
「なんで・・・ そう思うの?」 
 とりあえず理由を聞いてみた。 夫は 娘の勉強が出来ない具合を脳障害と受け取っていた。 赤ちゃん時代の低酸素や心臓を停止させる手術を数回受けたのだから そう考えるのが普通だと言う。 でも心臓の医者は脳の専門ではなく言葉を濁す。 子供の発達検査を受けた医者は支援があった方が良いというが 脳の障害の有無について断言しない。 IQや得意分野・不得意分野を指南しどこに伸びしろ部分があるのか一緒に考えてくれる。 でもそれは支援級や養護に移籍したらアドバイスは終了すると言った。 多分バトンタッチという所なのだろう。 ・・・不思議だよね・・・ 支援級に移籍しても継続してアドバイス受けてる子もいるのだから・・・ 
 要は・・・ 医者の役割が決まっていて娘のパーツごとに担当者が違い 余計なひと言を言いたくないのだと思っていた。 その一言が訴訟を誘発するのを避けているのだ。
 これは最近夫から聞いた話なのだが 娘が心臓の専門病院に搬送されたとき 夫は医者のつぶやきを 聞いてしまったそうだ。 
「このケースは 完全に帝王切開だよなぁ・・・ よく赤ん坊が(自然分娩で)無事生まれてきたよなぁ・・・」 
 上に兄がいるので初産ではなく道がついていたからじゃないですか・・・ と笑いながら夫が言ったら どうやらそういうことではなく単心室がエコーで見抜けなかったことを 産科医師の力不足をつぶやいたみたいだった。 その時夫は思ったらしい。 
「赤ん坊が死んだら訴えてやると・・・」
 それは既に過去の話。 終わった話。 結果・・・ 1か月もしないで消えていた産科の医師。 やっぱり何かやらかしたのか・・・と漠然と思った。 白紙の母子手帳を見ながら記載しなかった理由はこれなのかと勝手に理解した。 心臓の医者は言葉を濁し相手をののしらず揶揄する。 なぜだろう結果・・・ たらい回しにされたと感じてしまう。

 小学校問題も中間地点は結局支援級なのだ。 夫は 娘を守りたいと言った。 体も大きくならず 頭も悪ければ 同級生からいじられる対象になるのが目に見えて想像できると。 守りたいのは 命。 いじられる対象 = イジメとは言い切れないが 自殺予防もかねて切り離したと断言した。
 私は 娘は自殺するタイプには見えないと言った。 今は何でも話してくれる。 でも・・・ 振り返れば オンタイムで何でも話している訳ではなかった。 我慢していることもたくさんあった。 発達が1年遅れた4月1日生まれの私も 沢山体の大きい子からいじられた。 怖いと感じた。 学校なんてキライだった。 心に壁を作りながら集団生活を乗り切った私。 はたして壁を作らない人間なんているのだろうか。 とにかく娘が心配でたまらない父親がそこにいた。

 脳障害か発達のおくれか 父親と母親の見解の相違・・・ 

「脳障害が あるのか ないのか はっきりして欲しい。 脳障害がある子を 普通級に戻すのは 時間の無駄です。」 
 先生と呼ばれる方は断言していた。 脳障害は親が決める事なのだろうか。 でも娘に関わる全ての方はきっと 無駄な努力はしたくないだろうなぁ・・・と漠然と思った。 すると答えは自然と出た。 
 
 結論は出ない・・・ 小学校を変えたいという思いは理解出来た。 勉強だけでなく 子供に必要な思いやりの心を育てる格好の教材になる娘。 でも・・・ 万一脳障害だったと後から分かった時に 動いてくれた方々の 顔をつぶしてしまうなら 今はそのタイミングではないと思った。

 妻なら夫を操作できる・・・のは理想論である。 夫も妻を力でねじ伏せられない。 母親なら子供の為になんでもできるのは俗説である。 それが理想の母親像なのかも知れないが 理想と現実にギャップはつきものである。 上手に甘えられない私がいる。 夫をたて 夫に従い・・・ 全ての決定権を夫に与えたくなかった。 特に自分の子供のことは・・・ 高次脳機能障害の話を聞いて漠然と思った。 娘は板書より暗記が得意なタイプだと・・・ 掛け算九九や 百人一首など・・・ これは母親の直感でしかないが苦手と社会のルールに従えるのと脳障害は別物である。 

 今は支援級という形で表面上は娘の教育方針に一致しているが 将来は分からない。 何も見えない・・・ それが未来。

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