(いつも長くなってご迷惑お掛けします)
「共産党」が、これまで(少なくとも外部から見て、その理念とはうらはらの)「組織民=組織政党」だったのは否定しがたい事実ではなかったろうか。
いわゆる自由主義的な人々が理念的側面で多くの共通項を持ちながらも共産党との連帯に躊躇を覚え続けて来たのは、そんな「党の組織民」になるということ、また「党員になるのかならないのか」という選択を「第一」に掲げる組織に違和感を覚えてきたからだろう。
今回、だが、志位氏は、端的に言えば、自由主義者(古典的リベラリスト)とも連帯できるとし、組織の持続性維持と組織を穏やかに開いて行くこととは両立し得ると表明した。
重要なのは、共産党の指導部のこの表明が、シールズに象徴されるような非組織的国民運動に感応し呼応する事によって、はじめてなされたという事だろう。
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すなわち、ラグビーボールのような一定方向に転がるとは限らないが大きなエネルギーを秘めた球を大きく蹴りあげたのは(非組織型国民連帯運動体としての)シールズらの側であり、そのボールが「欺瞞日本」という系に「対称性の破れ」を惹き起こすような質と可能性を有している事に最も強く早く感応し共鳴し得たのが、志位氏や小池氏ら共産党幹部だったという事、特に重要なのは彼ら共産党幹部が素直にその衝撃を口にする感性を温存していたという事実だ。
(これを、政府の強い影響下にあるとはいえ、NHKのような組織と比較してみれば、その画期性がたちどころに理解されるのではないか)
一度得た権威や実績や評価を、そのまま無為に停滞させ滞留させ腐敗させ老廃させること(腐敗菌の温床になること)しか知らないような我が国の官僚らに代表されるような朽ちた組織型感性に共産党幹部が感染し毒されていなかった事が重要だと思われる。
これらの表面化/表象化は従ってこれまでの対称的な系に力学的な揺らぎを惹き起こしつつある。
この揺らぎが破壊的なものに見えるのか、創造的なものに見えるのか、その一方にこそ認識様式の質、レベル、未来性といった面で日本を世界の(オルタナティブな)リーダーにまで引き上げ得る可能性を秘めた認識様式の露頭がのぞいているとみなせる。
共産党の小池氏は、この間の動きについて、「シールズの皆さんが共産党を脱皮させてくれた」と述べており、率直な言葉だと思うし、このような言い方ができる政治家がいる事が必要だ。
こうして考えて来ると、この度の共産党の動きは、歩み寄りや妥協、あるいはマスコミ用語的な「現実路線」といった俗っぽいものでは決してなく、あり得べき未来に自らを開いた、系の揺らぎを創造性へとつなげる事を意志した、これまでの我が国には見られなかった開放的な定常へ向かおうとする動きだと解して良いような気がする。
勿論、そういったからと言って、現実がそちらの方向に少しでも動くのか、それとも揺らぎの中から生じた回転する渦や泡のようなものは、それこそうたかたの夢のごとく弾け飛んだり消滅してしまったりするのか、私のようなものに予断は出来ない。
ただ、この自己生成的な運動の種子を意図的に消滅させようとするなら、あからさまな弾圧なしにはおさまるまいという事から考えてみれば、今日の国際社会はそれを許すほどお人好しでも傍観的でもないだろうという事だ、もはや。
その意味で、コミュニケーションすら不能となりそうな(政権が市民とのコミュニケーションを端から拒絶しているような)超反動的政権が傍若無人な政治を遂行することで、むしろ画期的な芽が息を吹き始めるというのは、皮肉と言えば誠に皮肉であり、更に言えば、安倍晋三なる人物が本心から「戦後レジーム」なるものから脱却したいと願っているなら、理路としてはシールズのみんなを懸命に応援し支え続けなければならないはずなのだ、本当は。
だが、勿論、彼にそんな芸当が出来るはずもない。
小沢一郎という政治家には共産党と共闘する芸当が可能だが、安倍晋三にはシールズと共闘する芸当など出来るはずもない。
その「不可能性」こそが、安倍晋三やそれを支えようとする者たちの「無能の証明」なのであり、民衆側に立つような振りをしつつシールズを評価出来なかった者(例えば維新とか言っている者たち)の「無能の名乗り」だった。
であるがゆえに、安倍や安倍の周辺は、自分たちの無能さと米国からの圧力によって発生する負荷に耐えきれずに、当の米国に日本を売り渡すという文字通り「売国政治家」となるしかない訳であり、現にそうなっている。
安倍周辺は、自分たちが歴史的に命脈を保ち得ているのは、米国と正面から対峙し得る中国の存在ゆえである事をもう少し素直に認識した方が良いだろう。
中国の存在ゆえに米国が彼らを利用するために必要としているというだけの事であり、仮に米国と中国が(それこそ先の大戦時のように)共闘の系に入れば、見せしめ的に殲滅すべき敵として最も相応しい存在が安倍のような者たちが率いる我が日本という事になってしまうのだ。
(現在の米中に歴史的正当性など殆どないのにも関わらず!)
かつて日英同盟の影響力に頼り切って国際的地歩を獲得してきた日本が、いい気な振る舞いを始めて以降、国際社会がどのように動いたか、英国が日本外しをして以降、日本の命運はどのように暗転したのか、全く学習していない連中らが、またぞろ米国全面依存でいい気になり、今やその米国に足許を掬われつつあるのを見るのは、目もあてられない。
TPPという多国間交渉に見せ掛けた日本の囲い込み、AIIBをめぐる英中の接近など大きな状況に見られるのみならず、日本の歴史修整主義者が少しでも自己主張をしようものならユネスコの例のように米国が率先して抑えにかかる…。
当然と言えば当然の動きであり、一部の日本の右翼や資本家が抱いているような自己イメージなど、世界では誰も相手にしていない(金を拠出する時以外)。
そもそも自国民にすら異様・異常だと思われている人間が、世界で正常に扱われる訳がないではないか。
仮に世界がユダヤ人の歴史に同情的だとしても、ネタニヤフのイスラエルと益々友好的に付き合おうとするだろうか?
(益々友好的に振る舞おうとするのは誰なのかを同時に世界は見ている)
最悪なのは、ドメスティックな論理に浸りきった日本の「連合」だの「新聞協会(記者クラブメディア)」だのの「組織民=組織」にみられるような、閉鎖的、内閉的な場所から自己欺瞞を重ね、"国家内民衆"一般にだけはそうは見えないよう欺瞞に次ぐ欺瞞、偽装に次ぐ偽装を重ね、無責任という自堕落の場に流されて行く「組織」が、非組織型国民運動の「瓶の蓋」として機能し続けている事だ。
この点においても、共産党側から、組織化されていない普通の労働者と連帯できる"組織"なのだという事を自己証明しようという動きが出てきた事は日本社会の健全性の一端とみなすのは当然な事だ。
懸念があるとすれば、古くからの共産党員が志位氏の画期性について行けるかどうかだろう。
一般の共産党員の意識が、「組織民」として「組織」を守る事だけに専念してしまうようでは、国民連合の運動は瞬く間に失速してしまう心配もある。
世界の共産党は現実問題としてその辺の処理を誤り、巨大な失敗をしてきた…どころか理念とは真逆の事態を引き起こしてきた。
それは、理念の実現よりも「党が第一」が優先され、党員は「党」を守るためにだけ存在する「組織民」たれといった考え方が優先されて来てしまったからにほかなるまい。
それが極端化し常態化すれば、右からの全体主義と区別のつかないものになってしまうのは当然だった。
「我々はそうならない」という意志を既存の政治的な系の揺らぎの中で逸早く表明し得た志位氏のリーダーシップは、古くからの共産党員の方々も、また共産党との連帯に躊躇を覚え続けた者にしてみても、そういう意味で信用して良いもののように思われる。
2015/10/23 5:34 「
共産党アレルギーの人間が少し離れるかもしれません。それが何なんだよということです」:山崎 雅弘氏 へのコメントから

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