東アジア反日武装戦線たたかいの軌跡
1982年
作成:東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃粉砕・控訴審をたたかう支援連絡会議
弾圧と反撃
東アジア反日武装戦線への死刑・重刑を許すな
○1975年5月19日 東アジア反日武装戦線に対して、日帝権力の弾圧の嵐が吹き荒れた。
公安秘密部隊によって、狼、大地の牙、さそりのメンバーであった、大道寺まさし、大道寺あや子、片岡利明、佐々木則夫、斎藤和、浴田由紀子、黒川芳正君の7名と、メンバーでなかった荒井まり子さんの計8名が逮捕された。
斎藤和君は逮捕直後、日帝との一切の妥協を拒否し、持っていた毒入りカプセルで自ら命を絶った。
○5・19弾圧直後、6月25日朝鮮開放闘争の記念日に、寄せ場での闘いを続けてきたコーちゃんこと船本洲治君が、「皇太子来沖阻止、日米帝の朝鮮侵略粉砕」を叫んで、沖縄で焼身決起した。
「東アジア反日武装戦線の戦士諸君、諸君の闘争こそが東アジアの明日を動かすことを、広範な人民大衆に高らかの宣言した」と彼は書き残した。
○逮捕は決して、闘いの終わりではなかった。
75年8月、日本赤軍はクアラルンプールの二つの大使館を占拠し、獄中者の釈放をを要求した。これによって佐々木則夫君を含む5名が釈放された。
しかも闘いは一度ではなかった。77年9月、こんどはダッカにおいて、日本赤軍が日航機をハイジャックし、大道寺あや子さん、浴田由紀子さん含む6名が釈放され、アラブの地へ飛び立って行った。「先に行くわね」の言葉を残して。
○これは4名が囚われている東京拘置所の全景である。
彼らは獄中闘争を開始した。

点検拒否、ハンスト、看守に対する断固たる抗議、この果敢な絶えまない彼らの闘いに対して、権力は、懲罰攻撃、他の獄中者との分断隔離、自殺促進房へのとじこめという弾圧をかけている。
だが、この弾圧はかえって、彼らの士気を高めるものだった。
彼らは、政治犯、刑事犯とを問わず、獄中での多くの闘う仲間と共に今も闘いつづけている。
○79年11月12日、元帝国軍人裁判長蓑原は、東アジア反日武装戦線の4名に対して、極刑判決をもって報復弾圧に出た。大道寺将司君死刑、片岡利明君死刑、黒川芳正君無期、荒井まり子さん懲役8年のというべらぼうなものだった。この弾圧は虹作戦、天皇爆殺計画に対する弾圧、つまり大逆罪の復活と言えるだろう。
○この東京高裁の三階において、81年5月6日から控訴審がおこなわれている。一審での殺意のデッチ上げ、荒井まり子さんの幇助のデッチ上げを糾弾し、弾圧粉砕をめざして、今控訴審が闘われている。
裁判長内藤は、強権的な訴訟指揮をもって、早期結審をねらっている。
傍聴しにきた人に対しても、警察権力、裁判所は一体となって過剰警備を行っている。
被告達の考えを闇に葬り、徹底的に押えこもうとしているのだ。
このまま、彼らを殺させてはならない。
死刑・重刑攻撃を粉砕しょう!
私たち支援連は、ニュースの発行や公判傍聴などを通じて、東アジア反日武装戦線の諸君が提起した、日帝本国人としての抑圧性の問題や日帝の犯罪性について、多くの人々と共に考えていきたいと思っています。
控訴審の判決が目前に迫っています。獄中の4名に対する死刑・重刑攻撃に反対し、彼らの提起した問題を、私たち一人一人の問題としてとらえかえし、反日の闘いに決起されることを呼びかけます。
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