1960年代は世界的に革命運動、解放闘争のもりあがった時期だった。
キューバ革命がこの時代の幕開けだった。
「国境を越えて戦え」というゲバラの呼びかけは、多数の人々の心をとらえ、
ラテンアメリカにおいて革命は燃え広がった。
アメリカはインドシナ半島においても、侵略と干渉を強めた。
ベトナム、カンボジア、ラオスの民族解放を求めるたたかいは、
やがて世界各地にベトナム反戦の大きなうねりをつくりだした。
アメリカ合衆国黒人の闘争、ブラックパワー。
イスラエルに土地を奪われた、パレスチナ人民の大衆的たたかい、
紅衛兵を先頭に、「造反有理」をスローガンにした中国の文化大革命、
そして、日本の経済侵略に対する韓国の学生を中心とした反日闘争、
日本国内の三里塚農民の闘い、
また、山谷や釜ヶ崎などの寄場労働者たちの暴動は、
日本帝国主義を激しく揺さぶった。
学生も立ち上がった。特権的階級である自らを根本的に自己否定し、
大学解体をめざす、全共闘運動は、全国的に波及した。
現在、獄につながれている、東アジア反日武装戦線の諸君も、
全共闘の一員として活躍したのだ。
その後、正規軍を組織し、爆弾をも用いようという共産同赤軍派が全共闘運動から登場。
そして、それは連合赤軍による浅間山荘の銃撃戦へと高まっていった。
さて、1970年代に入り、ひめゆりの塔を慰問をしようとした、
皇太子アキヒトに対し沖縄解放を求める青年によって、火炎ビンが投げられた。
東南アジアやタイやインドネシアにおいて、たたいかはついに暴力的なかたちをとった。
日本は東アジア人民にとってまぎれもなく敵なのである。