東アジア反日武装戦線たたかいの軌跡

1982年


作成:東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃粉砕・控訴審をたたかう支援連絡会議


60年代からの解放闘争のなかで

第1部

 1960年代は世界的に革命運動、解放闘争のもりあがった時期だった。
キューバ革命がこの時代の幕開けだった。

gebara

「国境を越えて戦え」というゲバラの呼びかけは、多数の人々の心をとらえ、
ラテンアメリカにおいて革命は燃え広がった。

V

アメリカはインドシナ半島においても、侵略と干渉を強めた。
ベトナム、カンボジア、ラオスの民族解放を求めるたたかいは、

やがて世界各地にベトナム反戦の大きなうねりをつくりだした。

アメリカ合衆国黒人の闘争、ブラックパワー。

イスラエルに土地を奪われた、パレスチナ人民の大衆的たたかい、

紅衛兵を先頭に、「造反有理」をスローガンにした中国の文化大革命、

そして、日本の経済侵略に対する韓国の学生を中心とした反日闘争、

日本国内の三里塚農民の闘い、

また、山谷や釜ヶ崎などの寄場労働者たちの暴動は、
日本帝国主義を激しく揺さぶった。

学生も立ち上がった。特権的階級である自らを根本的に自己否定し、
大学解体をめざす、全共闘運動は、全国的に波及した。

現在、獄につながれている、東アジア反日武装戦線の諸君も、
全共闘の一員として活躍したのだ。

その後、正規軍を組織し、爆弾をも用いようという共産同赤軍派が全共闘運動から登場。
そして、それは連合赤軍による浅間山荘の銃撃戦へと高まっていった。

さて、1970年代に入り、ひめゆりの塔を慰問をしようとした、
皇太子アキヒトに対し沖縄解放を求める青年によって、火炎ビンが投げられた。


東南アジアやタイやインドネシアにおいて、たたいかはついに暴力的なかたちをとった。
日本は東アジア人民にとってまぎれもなく敵なのである。


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