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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

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宮澤喜一の学歴主義

人生観

第87代総理大臣、宮澤喜一は歴代の総理の中でも「政策通」「経済通」「英語通」として知られ、官僚にも一目置かれる存在だったと言われている。

一方で政界屈指の極端な学歴主義者でもあった事は、あまり知られていないようだ。

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酒乱と数々の放言 [編集]

宏池会の政治家に多い酒豪、ないし酒乱で知られ、酒にまつわる逸話には事欠かない。

大平正芳が総理に就任した頃、宮沢は酔った勢いで「大平君が総理・総裁とは滑稽だ」と言い放ち、これを伝え聞いた大平は宮澤のことを毛嫌いし始めた。二人は元同僚で池田勇人の秘書官時代からの仲だが、宮沢は池田の盟友・前尾繁三郎に近く、大平は前尾が継承した宏池会を実力で奪い取った経緯があることから、微妙な関係にあった。大平は苦学して東京商科大学(現一橋大学)を卒業後、大蔵官僚となっており、大平の方が宮澤よりも9歳年上で、派内の人望も大平が勝り、池田も宮沢以上に大平を好んだといわれる。宮沢が大平に時折みせた屈折した優越感は、そうした政界における劣等感の裏返しであったのかもしれない。

海部俊樹が首相在任中には、「海部さんは一所懸命おやりになっておられるけど、何しろ高校野球のピッチャーですからねぇ」と発言し、この発言を伝え聞いた海部はいたく立腹したという[8]

「人に会うと学歴を聞く」などと言われ、出身大学にまつわる放言も多かった。東京農学校(東京農業大学の前身)出身の金丸について「偉い方ですよ。大学を出ているんですね。知ってました?」と皮肉を言い、竹下登については「あの方、県議出身でしょう。あのころ早稲田は無試験でした。僕の義父(伊地知純正)が商学部の部長でしたから嘘ではありません」などと酒席で語ったのを田勢康弘が伝えている[9]。竹下は無試験のネタを直接宮沢に言われたこともあり、「あれは許せない」と怒っていたというが、その話を伝え聞いた佐々淳行が「早稲田でも試験くらいあったんでしょう?」と尋ねたところ、竹下は「それがね、無試験だったんだよ」と白状したという[10]。なお、現在でも竹下の出た附属校からは無試験で入れる。 

           出所:  宮澤喜一 - Wikipedia   写真も。

ウィキペディアだけでなく、「宮沢喜一  学歴」で検索してもらえれば、開いた口がふさがらないようなエピソードが多数出てくる。

全体に話半分だとしても、相当な学歴主義者だったことは間違いないようだ。

東京大学法学部 政治学科卒にして大蔵省出身。しかもそれを公然と鼻にかけて憚らない。

まだ叩き上げの多かった当時の政界では、かなり疎んじられたはず。

マスコミの人間が相手だと一層拍車がかかり、東大卒それも法学部卒でないと口もきかなかったらしく、マスコミ各社も「宮澤番」には東大法学部卒を充てざるを得なかったという逸話が伝わっている。

 

宮澤喜一は1939年に東大入学。

この時点で宮澤の父、裕は衆院議員であり、後に「名門」と謳われる宮澤一族は、その華麗な経歴のスタートを既に切っている ( 裕自身は広島の小農の子として生まれ、苦学して東大を卒業 )。

しかし、1939年と言えば太平洋戦争の開戦前夜。時代背景を考えてみて欲しい。

まだまだ日本がごく貧しく、一般大衆は食うや食わずで、つつましい暮らしを営むのがやっとの世帯が多かったはず。

「大学なんてお金持ちの子供が行くところ」というのが普通の時代にあって、父親が国会議員で東京育ちの宮澤喜一は、破格に恵まれた環境に生まれついたと言って良いだろう。

このあたりからどうしても腹立たしくなってくるのだが、宮澤喜一には「想像力」とか「他者への共感」というものが完全に欠如していたのではないか。

自分よりもはるかに優秀で、学問が好きで、それでも進学をあきらめざるを得なかった同世代の人間が、たくさんいるとは考えもしなかったのだろうか?

虐待や犯罪、病いや貧苦の中に生まれ、望むような教育を受けることが適わなかった同世代に比べれば、自分は目が眩むような幸運に支えられてきたと。

 

「ボクは東大法学部卒だから、頭の出来が違うのさ」というのは、戦後の苦しい時期を乗り越えた同世代に対する、一種の冒涜ではないか。

そういった疑念は、一度も頭に浮かばなかったのか?

たまたま自分は努力すれば報いられる恵まれた環境にあった。人よりも努力を積み重ね、たくさんの好きなこと、やりたいことをあきらめてきたのだろう。それは認める。

だがそうした機会にすら恵まれなかった者達の代表として、国政に身を捧げるのだ。そんな殊勝な思いが、一瞬たりとも胸中をよぎることは無かったのだろうか。

不遜とは、こういう男のことを言う。テクノクラート的にどれだけ優秀でも、私に言わせれば心底くだらん男だ。

 

恵まれた環境に生まれた事が恥ずべき事ではないのと同様に、不幸な環境に生まれた事もまた、恥ずべき事ではない。

逆境の中で頑張っている誰かが、もしかしたら自分だったかもしれないということに、思いが至るのが大人としてあるべき姿だと思う。

 

私の父は生前「子供の頃は宿題よりも畑の手伝い。勉強は嫌いじゃなかったけれど、百姓の6人兄弟の下から2番目が大学なんて、考えたことも無かった」とよく言っていた。工業高校卒が最終学歴だったが、自分で勉強して技術系の特許を取り、独学の英語で大卒の人間を海外で通訳してやったという自慢が、気分良く酔った際の十八番だった。

私が大学生になって構内を案内したところ、終始上機嫌で「俺もこんなところで勉強したかった」と、しみじみ漏らしていた。

宮澤喜一とは一回りも違わない世代だった。 

 

だから私は宮澤喜一が大嫌いだ。

                                 以上   ふにやんま