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あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

受けた親切は忘れない。やった親切は忘れよう。

☆雑感☆ ☆雑感☆-老婆心

 

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友達が昔書いた投稿を思い出しました。

まるごとコピーするのはさすがに憚れるので、簡単にまとめます。

 

江戸時代、あるところにお坊さんと豆腐屋の女将さんがいました。
ある日、お坊さんが帰り道に下駄の鼻緒が切れてしまって困っていたのを女将さんが見つけ、鼻緒を付け替えてあげたんです。

鼻緒が治って普通に歩けるようになったお坊さんを見送りながら、女将さんは「ああよかた、いいことをしたなぁ」と気持ちが良くなりました。

そして翌日。女将さんが家の前で掃除をしてると、昨日鼻緒を治してあげたお坊さんが前を通りがかります。「昨日はありがとう」とお礼を言いに来られたのかなと女将さんは思いましたが、お坊さんは「おはようございます」と挨拶だけして前を通りすぎてしまいます。夕方にも見かけたのですが、その時も軽く挨拶だけして通りすぎていきます。

「せっかく親切にしたのになんだこの仕打ちは」と腹の立った女将さんはお坊さんの家に乗り込んでしまいます。するとお坊さんは話を聞いて「それは申し訳なかった。すぐにお礼をすると親切を帳消しにしてしまうようで失礼に思いお礼を言わなかった。感謝を心に刻んで一生忘れないようにしようと思っていたんだけど、あなたはお礼を言って欲しかったんですね」と答えたんだそうです。

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親切心とかまごころとか「人のため」に思ったことにはつい「してやった感」とか「ちょっとくらい見返りがあってもいいのに」とか「恩は恩で返して欲しい」とか雑念が混ざるんですよね。

「人の為と書いて偽りと読む」まさにこれですね。

世の中を渡っていく尺度として「ものさし」は各自で必要ですけど、そのものさしで他人を測りだすのはやっぱり間違いなんです。その人にはその人のものさしがありますから。違う定規で一つのものを図ろうとしても答えは違って当然なんです。

鼻緒を結んだ、結んでもらったという一つの行為ですらこんなことになるんですから。