わざと進めてある時計は遅刻を防ぐことに本当に役立と思いますか?
思います!
理由は記事内で述べさせていただきます!
かくいう実家も
居間の時計は5分進んでました。で、かーちゃんもとーちゃんも「それで良いんだ」と断じるほど、「時計5分進ませる文化」が根強かったです。今でも進んでると思う(笑)
子供だまし?
小学生くらいまでなら、本当の意味で騙すことができるでしょう。その時間が騙された子供たちにとっては「本物の時間」なわけで、これは効果抜群でしょうね。
しかし、成長するにつれてこうはいかなくなってきますよね。良くも悪くもこまっしゃくれてくる。「そんなもの、TV番組が始まる時間でバレバレじゃん」だとか、言及記事でも言ってるスマホで各自確認するだとか。こうやって騙されなくなっていくのですね~。
では、大人に効果がないのか?
答えは「否」です。時計をわざと5分進める、これは大人にも効果があります。子供のように騙されているわけじゃないのです。その時計に見守られるようになったのです。5分遅れている怠け者の時計よりも、せわしなく動く日本社会にしっかり適応できるように、甘えない時計となって大人を見守るのが、5分進んだ時計の役割になったのです。
今何時?→時計を見る→7:35だ!→あ、7:30か。
この一連の動作と認識の過程を見てみると、時計が物理的に指す時間と、進んだ5分先の時間を認識するのにタイムラグがあります。この 7:35だ!→あ、7:30か の間に5分後の未来に対する心構えや準備ができるというメリットがあるのです!
逆に遅れている時計はどうでしょうか?
今何時?→時計を見る→7:35だ!→もう7:40じゃないか!
時計を確認した時には、7:35~7:40の5分間は過ぎ去ったもので、取り戻せないという状況に陥ります。これは社会人にとって大きな痛手ではないでしょうか。つまりこれの逆を行うわけだから、時計を進めることは5分間を得る、とも言えそうです。
「5分」という時間もポイント
なぜ5分なのか?10分のほうがより遅刻を防ぐ効果が高いのではないか?という疑問も投げかけられています。これはおそらく、10分進めると日常生活においてマイナス要素が強くなるからだと思われます。出勤も、登校も、TVも、10分前だとちょっと早すぎる。これらを日常的に繰り返すストレスが、10分という時間設定を許さないのです。「5分」というのは、余裕を持って物事を進めるには絶妙の時間なのかもしれません。
旧大日本帝国海軍の伝統!?
「5分前精神」というのがあったようで。
5分前精神(ごふんまえせいしん)とは、旧大日本帝国海軍伝統で、定刻の5分前には準備を終えておき、定刻と同時に作業を始められる状態にしようとする精神のこと。もともとは、出港時刻の5分前に、軍艦に乗り込むためのタラップが離岸するので、出港時刻の5分前には必ず帰艦するよう乗組員は躾けられていたことによる。
引用:wikipedia
...これが今に受け継がれているというのは暴論かもしれませんね。しかし全く無関係とも言えないような気がします。
結語
時計が遅れたり進んだりすることが故障によるものだったら、その結果は「時計に左右される」ことになります。しかし、あえて時計を進めるという行為は、自らの責任を伴うわけです。しかも「5分進める」というのは前向きな行為であり、勤勉や誠実に繋がっていく。時計を進めておく理由、それは自分を律するためのなのかもしれませんね。
というわけで、時計を5分進めることは、遅刻に対し効果があると私は考えます!
...我が家の時計は電波時計でした。気持ちで律していきます(笑)