患者さんに最後まで希望の光を届けることができればと願いつつ、頑張って研究生活を続けてきました。しかし、1999年に、一人の患者によって、大きな衝撃が走りました。その患者の名前は、中村たか子、私の母です。1998年にがんと診断され、1年弱の闘病生活の後、亡くなりました。病名は大腸がん。母は、自分が大腸がんに罹患したことについて、私に謝りました。最初は、何故、謝るのかわかりませんでしたが、大腸がんの研究を続けた私に恥をかかせたようで申し訳ないと思ったようです。自分が病気で苦しんでいるにもかかわらず、この母の一言に、言葉が見つかりませんでした。
そして、もちろん、 その一言は、私の胸を深く突きさしました。しかし、手術から亡くなるまでの1年弱、東京と大阪という物理的な距離もありましたが、何もしてやれない自分に、腹立たしくもあり、情けなくもありました。ユタに留学して以降15年間の研究成果が、母には何の役にも立たなかったことが、私の人生を変える転機となりました。
また、日本に帰国後、大規模ゲノム研究を進めたいと思いながら、自分のやりたいことができずに約10年が経過したことに、苛立ちを覚えていた時期でもありました。しかし、母を亡くした直後から、ミレニアムゲノムプロジェクトの話が一気に進み、翌年には、大規模なプロジェクトが始まったのです。このタイミングでミレニアムプロジェクトが始まったことに、自分の運命、天命を感じました。
そして、がんの治療薬を作りたいという思いが、母の死を境に一段と強くなりました。分子標的治療薬として望ましいのは活性化されたがん遺伝子産物であったことから、研究対象をがん抑制遺伝子からがん遺伝子へと切り替えたのも、この頃です。次の表に示すのは、中村研究室から報告した新規がん治療薬の標的候補分子のリストです。これらの分子をもとに分子標的治療薬、抗体医薬、がんワクチンなどを開発してきました。
しかし、日本の大学の環境では、薬を作ることなどできるはずもなく、オンコセラピー・サイエンス社を立ち上げました。会社との共同研究を通して、分子標的治療薬を開発している分子が赤字で、抗体医薬を開発しているものを青字で示しています。
次の図に示すのが、他のグループから報告された、幹細胞に重要といわれている遺伝子のリストです。これらの遺伝子が幹細胞で高発現されているのですが、トップ50うち、13の遺伝子については、われわれの研究室から報告されています。
次の図に示すのが、われわれが対象としている分子の代表例を示したものです。御覧になって明らかなように、この9つのタンパクはがん細胞でだけ、特異的に作られており(茶色に染まっている)、正常組織やがん以外の細胞では作られていません。
さらに、正常な組織でのこれらの遺伝子の発現を見ると、精巣だけでしか、発現されてらず、他の臓器では全く発現されていません。したがって、これらの分子を対象として抗がん剤を作った場合、副作用のリスクが非常に低いと想定されます。このように、どのような分子を薬剤開発の対象とすべきなのかということを十分に念頭においた上で、薬剤の開発に取り組んできたわけです。がん細胞で発現が高くても、正常細胞でもたくさん発現していれば、細胞毒性の高い抗がん剤となってしまうことが明白です。
それでは、創薬につながったいくつかの例を示したいと思います。まず抗体医薬ですが、FZD10という分子を対象に抗体医薬を開発しました。このFZD10は滑膜肉腫細胞に特異的に作られており、正常な組織では胎盤だけで作られている分子です。この分子は細胞膜に存在すると考えられており、Wntによる細胞増殖シグナルを伝達する受容体と考えられています。
長い話を短くして紹介すると、この分子にするとモノクローナル抗体を作り、それに放射性同位元素であるイットリウムを結合しました。放射線免疫療法です。図にあるように動物実験では一度の注射によってがんが完全に消失します。しかし、日本では治験に使うための抗体を作るのが非常に難しく、人への応用を諦めかけた時に、図に示したフランス・リヨンにいるBlay先生が私の元を訪れ、資金も含めて治験に協力したいと申し出てくれました。そして、3年前から治験が始まりました。情けない話ですが、これが日本という国の実情です。
次の図は、抗体医薬が滑膜肉腫細胞の肺転移部に集積していることを示しています。強く光っている部分が抗体医薬の集積した部分です。治験中ですので詳細は申し上げられませんが、今年の終わりか来年の初めには、第1相試験が終わると期待しています。