古舘さん、「アリバイ」崩れてますよ
のれんに腕押し、糠に釘と言いますが、視聴者から「偏向報道」の指摘をどれだけ受けても、全く聞く耳を持たなかった「報道ステーション」ですが、最近少しだけ“アリバイ作り”を始めているような気がします。
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古舘さん、それ両論併記じゃないですよ
究極の紳士的な対応です
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高須クリニック院長が語る「報ステ」スポンサー降板の全真相
ほんの1秒のつぶやきであんなに大騒ぎになるとは思っていなかったですよ―。「報ステ」が安保法制のニュースを取り上げ始めたころから違和感があったという高須クリニックの高須克弥院長がスポンサー降板の真相をたっぷり語ってくれた。
「理由は承知していない」とテレ朝社長
吉田社長は、高須氏が問題視した安全保障関連法案をめぐる同局の一連の報道について、「公平、公正のバランス感覚を大事にしながら進めてきた。非常に重大な法案で、世論も分かれたので、レギュラーコメンテーター4人のほかにも多様なゲストコメンテーターを呼び、いろんな意見を多角的に紹介してきた」と強調した。
また、公平・公正な番組作りのための工夫について、「一つの発言や、番組の一部の局面だけではなく、番組全体でバランスを取る。視聴者の関心の高いことを詳しく報じ、基本的には、視聴者に分かりやすく伝えることが基本ではないか」と述べた。(産経ニュース2015.09.29)
放送法 日本での公衆によって直接受信される目的とする電気通信の送信を行う者は、すべてこの法律によって定められたところにより規律される。放送法は、戦前の無線電信法に代わるものとして電波法、電波監理委員会設置法とともに電波三法の一つとして1950年(昭和25年)に公布、同年6月1日より施行された。これによって日本放送協会は同法に基づく特殊法人と規定されて公共企業体へと改組されることとなった。また、日本放送協会以外の事業者(民間放送事業者)の設置が認められて以後の放送に関する基本法となった。その後、1959年(昭和34年)に放送番組審議会の設置義務付け規定の設置や1988年(昭和63年)の全面改正、2010年(平成22年)の有線電気通信を用いる放送の法統合及び条番号整理など、さまざまな改正が行われて現在に至っている。目的は、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることにある(第1条)。また、番組編集についての通則として、何人からも干渉・規律されない(第3条)とし、義務として、公安・善良な風俗を害しない、政治的公平、報道は事実をまげない、意見が対立している問題はできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること(第4条第1項)を定めるとともに、放送番組の種別(教養番組、教育番組、報道番組、娯楽番組等)及び放送の対象とする者に応じて編集の基準を定め、それに従い放送番組の編集をしなければならない(第5条第1項)。
トリックに近い手法で誘導
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悪辣なテレビショッピングと化した古舘伊知郎と「報道ステーション」
「報ステ」など左寄りのジャーナリズムは自分たちをリベラルと称したがるが、それは世界的な常識から著しく外れている―。徳島文理大学教授ノ八幡和郎が「報ステ」報道の矛盾を突く。
何より中国に訴えよ
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「報ステ」よりも中国に総選挙を広めたAKBこそ平和貢献している
安保法に反対だと国内で主張するのではなく、中国の民主化に向けて努力する方が日本の安全保障につながる―。高橋洋一が左派・反対勢力が指摘する戦争リスクを数量的に分析し、戦争リスクに対して客観的な報道をしなかった「報ステ」を断罪する。
報ステの偏向がひどすぎる
まず、女性アナが安倍陣営の出陣式について「もう無投票と決まってるのに、なぜこんなに騒ぐんでしょうか」。安倍陣営が集まったのは午前7時過ぎ、野田聖子さんが会見で出馬断念を表明したのは午前8時。気勢をあげて当然だろう。
安倍首相=9月8日午前、首相官邸
最後は朝日の立野某が「前回の総裁選では安倍さんは地方では負けてた。今回は前回以上に全国民、多くの声があったことでしょう。最近、何でも永田町の身内で決める風潮強まっている。一方通行の政治でいいんでしょうか」。
何が何でも安倍政権にケチをつけようという、典型的偏向報道だ。
そもそも朝日新聞のいうように、総裁選をやらなければ、党内議論ができないというほうがおかしい。総務会はじめ、党内議論の場はいくらでもある。第一、党内からの安倍批判なら、朝日に持って行けば大喜びで載せてくれるだろう。(花田紀凱、Yahoo!個人2015.09.09)
ゴーマンと卑屈の二元論者
意図的に捻じ曲げられた事実
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「報ステ」川内原発報道 不適切編集に至った「反原発」の心理
2014年9月、「報ステ」が川内原発「合格証」交付に関する不適切な編集を謝罪した。迅速に謝罪したテレ朝だったが、反原発という大方針のもとに半ば意識的、半ば無意識に番組内容を作り上げてしまったのではないか。
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