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最近はめっきりブログとかも見なくなったんだけれど、たまたま上記リンク先の文章を目にしましてね?
まあ、最近おっちゃん読書量落ちてるし、ちょい鬱気味で何するのもおっくうなんで、手短に思ったことを書いて済ませますが。
いや、言うても最近は記憶力の減退著しいもんでね。読んだ当時の私はどんな感想書いていたのか読み返してみたんですわ。
またまた伊藤計劃「ハーモニー」について/俺の幼年期はまだ終了してないZE! - 万来堂日記3rd(仮)
そしたらね、この、今見ると恥ずかしさで自殺したくなるような情けないタイトルのエントリに、こんなこと書いているのね、私。
「ハーモニー」の世界では、WatchMeだかなんだかいう、ナノテクだかなんだかを各人が体内に飼ってる。で、そのテクノロジーが利用される形で、最終的に人類は「自己」を失うってのが大仕掛けだ。
エピローグでも、全世界数十億の人類から意識が消失したとはっきりと明記されている。
そうそう。お気づきかと思いますがね。「全人類」とは書いていないんですな。
今日やっとそのことに気がついたのは、我ながら迂闊もいいところなのだけれど。
つまり、当時の私は「うお! 作者のミスリードにまんまとひっかかった! ていうかこれ続篇フラグじゃね!? うおーーーーっ!?」
って思ってたんですな。これが遺作になっちゃったけどね。
んでね、この「作者がエピローグに仕掛けたミスリード」を、冒頭でリンクした増田は意図的なものでなくミスであると断定し、伊藤計劃は病身だったからしょうがねえけど早川書房は仕事しろよと、まあ、なんともえらいこと言っています。この全能感。しびれるねぇ。
んで、「ハーモニー」のアイデア独創的だとは思わないとか書いてあってだね。先駆的な小説の名前とか挙げてあるんだけどさ。この、知識をひけらかしているつもりで『僕は小説しか読んでいません!』と恥をさらしている感。本当たまらないね。憧れる。
哲学的ゾンビでも、ベンジャミン・リベットの「マインドタイム」でも、カーネマンの「ファスト&スロー」にまとめられている意思決定に影響を与えた要因と実際の帰属(自分がこうだと思った理由)の食い違いでも、それこそぐぐぐぐいっと遡って心理学における行動主義の勃興と内観の否定でもいいけどさ。昔から割とホットなトピックなわけだよ。目新しくない? いまさら何言ってんだ。扱うにしても少々底が浅いってんならわかるが。
んでな、もっともうひょーってなったのが下記の点。引用しますとね。
SFを評価する上で、アイデアは確かに重要だ。
けれど、その作品のプロットや構成が、最低限成立しているかどうかくらいは、アイデアの好き嫌い以前に、ちゃんと見極めるべきだ。
ともあれ、これほどまでに構成の破綻した作品を日本SF大賞の受賞作にしたり、オールタイムベストの1位に選んでしまうのは問題だろう。
いくらなんでも、あれだけ多くのSFファンやSF評論家が持ち上げているのに、誰一人として欠陥に気づかないというのは、どう考えてもおかしい。
みんな、欠点に気づいていながら、それを指摘してしまえば伊藤氏のファンから一斉に反発を食らってしまうために、沈黙しているのではないか?
あるいは、伊藤氏が亡くなってしまっていて、作品の欠陥を指摘したところで訂正の機会がないから、批判するのは忍びないと感じているのではないか?
だとすれば、これはまるっきり、童話の「裸の王様」だ。
もしも、「この『ハーモニー』という作品は、これだけ小説としては崩壊しているけど、それでも僕は好きなんです」と言える読者がいるのなら、僕もそれは否定しない。作品の出来不出来と、個人的な好き嫌いは必ずしも一致するものではないからだ。
この屋上屋を重ねる自己完結感! 力強い!
つーか、これはちょっと真面目に書くとね。この「プロットとして破たんしていない=小説/作品として優れたものである」という価値観ね。これ、私も覚えがある。覚えはあるんだけれど、小説のみに関わらず多くの作品に接していくうちに揺らいでいつの間にか消えてしまっていた価値観なんだわ。
別にね、ストーリーが破綻してても、それ以上に面白ければいいし、あまつさえそのストーリーの破綻が作品の魅力にプラスに寄与してたりすればむしろそれは美点ですらあるのよ、というのが現時点での私のスタンス。つじつまの合う合わないは、大きいけれど一要素でしかない。
だもんで、「ストーリーに矛盾がある=小説として崩壊している」という元増田のスタンスには賛同しかねるのよね。
だもんで、このエントリの結論としては
「いよっ! 裸の元増田! ナイスバルク!」
であります。
じゃあおっちゃん、秋刀魚漁に戻るさかいな*1。