10月23日の「今日のダーリン」

・「ほぼ日」がはじまって以来、17年と5ヶ月くらい、
 この「今日のダーリン」というコラムみたいなものは、
 一日も休まずに、毎日ずっと続いています。
 「どうしてそんなことができるんですか?」と、
 なかばあきれられながら質問されたりもします。
 いろんな答え方があるのですが、
 最初に「ほぼ」と言ったのがよかったんじゃないかな。
 いちばん大きな理由は、それだったと思います。
 「ほぼ日刊」と名付けたときには、
 「真に日刊」だの「絶対日刊」だのは無理だと、
 ふつうに、そう思っていたのです。
 「ほぼ」という二文字が付いていることで、
 いつでも休めると思いながら書いていられました。
 いつでも休める、と思ったら、気が楽です。
 じぶんで決めればいいのですから。
 そう思ったら、「いつ休もうかなぁ」と、
 いつかくるその日のことが、たのしみになりました。
 「ほぼ日」に「ほぼ」と付けていて、ほんとによかった。
 
 「電線にとまっているスズメは、なぜ落ちないか?」
 という問いかけを読んだことがあります。
 その答えが、「落ちてもいつでも飛べるから」でした。
 それとはちがうのかもしれませんが、
 最初から「ほぼ日刊」なのだから、
 休んだからといって申しわけなくもないはずだし、
 謝る必要だって、わざわざ断るだってないんですよね。
 大まじめな人にとっては、気持ち悪いことかもしれない。
 でも、歯を食いしばって「絶対」とか言っていたら、
 逆に、とっくに「もうだめだ」となってたと思います。
 
・「一生ともだちでいよう」という友情も、
 「生涯の伴侶として永遠の愛を誓う」ということも、
 「ありえない」とか言ってるわけではありません。
 ただ、そういう「絶対」のつくようなことは、
 「人間には向いてないんだよね」、と、
 頭のすみに置いといて誓えばいいじゃないですか。
 できたら、もうけものですよ、運もよかったんだ。
 そういうもんだと思うのです。
 こういうこと言うと、いい加減だと怒る人もいます。
 でもさ、怒る人のほうが、あんがい裏切ること多いよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
前日の「出口」を明るくしておく、という話の続きかもね。