米国のメディアがコメント欄を外したという記事を見かけてから、各所でコメント欄をどう扱うべきか、という議論が再燃していますよね。
ニュースメディアがコメントを閉じるのは理解できます。事実を報道しているのですから、議論は他所でやってくれというのは、むしろ自然な流れでしょう。
ちなみに、僕のブログではコメント欄を開放しています。何の制限もしていませんので、誰でも投稿できますし、承認制でもないので、書き込んだらすぐに反映されます。
コメントを受付けたくない心理
実は、僕もコメント欄を閉じていた時期があります。理由は、スパムであったり、本文と関係ない中傷のような書き込みがあったからです。
でも、本当のところは、批判されたくなかったんです。僕のファンに、僕の読者に、記事を批判的されている姿を見られたくなかった。見られることに耐えられなかったんです。
しかし、雑記ブログでは、気になった話題に自分の思ったことを書いていきます。言ってみれば、好き勝手を書くわけですから、賛否両論あって当然です。この記事のように。
そこで、発信はするけど反論は受けない(見せない)という姿勢について改めて考えました。ちょうど、広告(Google Adsense)の設置を考えていた時期です。
コメントには、確かにノイズが多いのも事実です。しかし、それを読者に見せないようにするのはフェアでしょうか。また、記事の公平性を保つには、誰でも意見を言えることが重要です。
それが例え、自分の記事にとって都合の悪い内容であったとしても、読者には知る権利があります。
つまり、批判を隠すのは、読者を意図的にミスリードしているとも言えるのです。
自由の代償
「個人ブログに何を書くのも自由だ」
ブログを書いている多くの人たちが、よく口にする言葉です。しかし、ブログに好き勝手を書き、収入もあるのならば、批判ぐらいは真摯に受け止めるべきだと思いませんか?
じっさい、自分がコメント欄を閉じていたころの記事を読み返すと、随分と威勢のいい、独善的な内容ばかりでした。批判を見ない(見せない)ことで、自分を含めたファンを騙していたのですから、当然のことでしょう。
僕は、ブログに書きたいことを書きます。それで誰かが傷つこうが、間違っていようが、そんなのは知ったこっちゃありません。それは今後も変わらない僕のポリシーです。
しかし、コメントを隠して読者を騙し、裸の王様にならないようにだけは、気をつけたいものですね。