歴史秘話ヒストリア「聖なるキツネと神秘の鳥居〜伏見稲荷大社の不思議な世界」 2015.10.21


千本の鳥居が連なる朱色の世界。
この道は私たちをまだ見た事のない神秘の世界へと誘ってくれます。
今日の主人公は伏見稲荷大社。
通称…そのシンボルは朱色の鳥居がどこまでも続く…実は江戸時代鳥居は境内の入り口にしかありませんでした。
現在の姿に変わるきっかけを作ったものそれは江戸で大成功したある呉服店とお稲荷さんの不思議な出会い。
千本鳥居誕生の秘密を探ります。
お稲荷さんと言えばキツネ。
境内には空を飛ぶキツネから前掛けを首まで覆った寒がりキツネまで。
珍しいキツネがいっぱい。
キツネとお稲荷さんの意外な関係とは?戦国時代そのキツネに戦いを挑んだ男がいました。
豊臣秀吉です。
コーン。
おのれ!急ぎ伏見の稲荷に申し伝えよ!日本国中のキツネを狩りたてるとな!天下人・秀吉とキツネ…今日は千本鳥居をくぐり抜けお稲荷さんの不思議な世界を巡ります。
京都市南部にある…ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
私は今日は伏見稲荷大社の表参道に来ております。
まず出迎えてくれるのがこちらの巨大な楼門です。
この朱色が実に目に鮮やかですねえ。
そしてもう一つこちら。
お稲荷さんと言えばキツネですよね。
普通神社では狛犬が座っていますがお稲荷さんの場合はキツネです。
キツネは「お稲荷さんの使い」という役目を担っているそうです。
楼門を抜けると人々が参拝する拝殿が見えてきます。
全国ベスト5に入るほど。
人気の秘密はお稲荷さんが商売繁盛から縁結びまであらゆる願い事を聞き届けてくれる万能の神様だからです。
本殿を過ぎるとそこから鳥居に囲まれた参道が始まります。
本殿の裏手に回ってきました。
参道は奥へ奥へと続いています。
そしてこの先道が二筋に分かれていますよ。
こちら。
ここからがいよいよこの伏見稲荷大社でおなじみの光景千本鳥居が始まります。
では行ってみます。
この鳥居が隙間なく並んでいる道「千本鳥居」と呼ばれる参道です。
実際には800基ほどの鳥居が建っているんだそうですがこの道なんと100mもあるんだそうです。
まあそれにしましても一本一本は鳥居なんですがこうして隙間なくありますとねオレンジ色のトンネルの中を抜けてるようですごくこう異次元の空間へ誘われてるような神秘的な心持ちがしますね。
鳥居は神聖な神様の領域へ入る門の役割を果たします。
朱色なのは魔よけの意味もあるのだそうです。
ようやく出口が見えてきました。
ここ出たところあちらがですね「奥の院」と呼ばれる参拝所なんです。
今日もたくさんの方々がお参りに見えています。
ここで参拝しそして再びこの千本鳥居を通ってお帰りになるという方も多いと思うんですけれども実はゴールはここではありません。
まだまだこちら。
鳥居の参道がず〜っと続いているんですよ。
さあ更に行ってみましょう。
鳥居は社殿の背後にそびえる稲荷山に続いています。
稲荷山は古くから神の山として崇められてきました。
というのもこの山こそがお稲荷さんが最初に降り立ったと言われる場所だからです。
こんな伝説があります。
奈良時代。
この地を治めていた豪族が餅を的にして矢を射ると餅は白い鳥に変わり山に飛んでいきました。
鳥が降り立った所を探すと…。
なんとそこには豊かに実った稲穂が。
これは豊作の神の力に違いないと考えた豪族はそこに神様を祀りました。
それがお稲荷さんの始まりです。
ちなみに「稲荷」という名前は稲が成る「稲成り」が変化して「イナリ」の神と呼ばれるようになったからと言われています。
お稲荷さんはもともと豊作の神様だったのです。
やがて人々は稲荷山のあちこちに社を建立。
それらを巡りながら山頂を目指す「稲荷詣で」が始まりました。
そしてそれぞれの社に置かれたのがお稲荷さんの使いであるキツネです。
キツネは山から下りてきて田んぼを荒らすネズミなどを追い払ってくれる農作業にとってありがた〜い存在。
それがいつしか豊作の神お稲荷さんの使いと考えられるようになったとも言われています。
稲荷山の中腹までやって来ました。
あちらに小さなお社が見えるんですよ。
あぁ結構趣のあるお社ですね。
「薬力大神」とありますからこちら病気平癒のご利益があるんですね。
もともと豊作の神様だったお稲荷さんはある事件をきっかけに病気平癒の神様として知られるようになります。
それは都が奈良から京都へと遷ってきた平安時代の事でした。
ある時天皇が原因不明の病で突然体調を崩し寝込んでしまいます。
原因を占ったところ意外な結果が分かりました。
(占い師)こ…これはお稲荷さんのたたりじゃ!そのころ都では天皇の命令で…その材木を稲荷山から勝手に切り出した事がお稲荷さんの怒りに触れたというのです。
えらい事や〜!はよお稲荷さんに謝らな!お稲荷さんの怒りを鎮めるため…すると天皇の病はたちどころに全快しました。
更にその後都に疫病が流行。
またまたえらい事や〜。
どないしよ…。
そや!お稲荷さんならなんとかしてくれるんとちがいますか?朝廷は再びお稲荷さんに祈願。
すると疫病はたちまちおさまります。
お稲荷さんにお参りすれば病気平癒の御利益がある。
うわさはたちまち都中に広がりました。
ほんまお稲荷さんはありがたいなあ。
いや〜いっぺんみんなでお参りにいきましょ!貴族から庶民まで人々はこぞって稲荷山に登り山頂で祈願。
稲荷山には今も病気平癒のご利益がある社がたくさん建っています。
先ほどの薬力社もその一つ。
社には健康が守られると言われる水が湧き今もその水を持ち帰る人が少なくありません。
またこちらの「眼力社」は目の病に効くご利益があるのだそうです。
社の前にある空飛ぶキツネの目をなでると目の病気が治ると言われています。
更にこちらは「おせき社」。
その名のとおりせきを鎮めるご利益があるのだとか。
そのためここのキツネは前掛けが喉を守るように掛けられているのが特徴です。
霊験あらたかなお社を巡りながら山頂を目指す稲荷詣で。
この坂道一体どこまで続くんだろうと思うほどここず〜っとなんです。
でも結構きついですよ。
まあ昔の人はですね特に女性のあの着物でここを登ってったらそれは大変だったと思います。
あの「枕草子」を書いた清少納言も稲荷山に登ってとても苦労したと記しています。
「お稲荷さんに参拝しようと思い立って稲荷山にやって来ました。
ところが途中の山道がとても急で苦しくてたまりません。
我慢して登っていると後からやって来た人がどんどん追い越してゆくのです。
心底情けなくてなんでお参りになんか来てしまったんだろうと涙がこぼれてしまいました」。
清少納言が思わず「帰りたい」と弱音を吐いてしまうほど稲荷詣では厳しいものだったのです。
そして本殿を出発してから山道を登り続ける事およそ1時間。
ようやく目的地稲荷山の山頂にたどりつきました。
こうやって一歩一歩自分で登っていくからこそ達成感というものがあるわけですよね。
こちらが山頂のお社ですねえ。
せっかく参りましたここまで。
参っていきましょう。
こんなにも大変な思いをしてお参りする稲荷詣で。
「いつまでも健康でありたい」そう願う心はいにしえも今も変わる事はありませんよねえ。
再び伏見稲荷大社の正面楼門の前に戻ってまいりました。
改めてこうして見上げますとほんとに大きいです。
高さはなんと15m。
京都の神社の中で最大の大きさを誇るといいます。
この巨大な楼門を建てたのは戦国時代に天下を統一した豊臣秀吉です。
その陰には天下人・秀吉と神の使いであるキツネとの壮絶な戦いが秘められていました。
おのれ!
(鳴き声)秀吉が初めてお稲荷さんと出会ったのも地元・尾張現在の愛知県名古屋市にある小さな稲荷神社だと言われています。
(かしわ手)貧しい農家に生まれた幼い秀吉の行く末を母親の仲はことのほか心配していました。
稲荷大明神様どうかこの子が立派なお侍様の召し抱えになり出世いたしますように。
なにとぞお願いいたしまする。
お願いいたしまする。
母親がお願いしたのは息子の立身出世。
人々にとってお稲荷さんは何でも願いを聞いてくれる身近な神様でした。
すると…。
母親の必死の祈りがお稲荷さんに届いたのでしょうか。
かかれ〜!更に信長の死後もライバルを次々倒し…
(笑い声)秀吉はお稲荷さんへの感謝のしるしとして城の一角に稲荷神社を設けます。
それが現在京都市内に移転したこちらの神社。
その名も「満足稲荷神社」。
ハッハッハッハッハッハッハッハッ!稲荷大明神よわしは満足じゃ。
ハッハッハッハッハッ!お稲荷さんの力に秀吉が大変満足した事からこの名を付けたのだとか…。
どこか偉そうな態度ですがとにかく秀吉なりにお礼の気持ちを表したのです。
ところが天下人となった秀吉の態度にはおごりが見られるようになります。
部下の意見に耳も貸さなくなり…更に一番の側近だった千利休まで切腹させるなどその暴走は誰にも止められなくなります。
秀吉の傲慢な態度は神や仏にも及びます。
秀吉が国を守るための巨大な大仏を造っていた時。
(地鳴り)
(倒壊音)大きな地震が起き大仏が倒れてしまいます。
すると秀吉は…。
図体ばかりでかくてこうも簡単に崩れ落ちるとは…。
己も守れん仏がこの世を守れるはずないわ!怒って大仏の眉間に矢を放ったのだとか。
やがてあまりにおごり高ぶった態度が神仏の怒りに触れたのでしょうか。
コーン。
(雷鳴)もしやお稲荷さんのたたりでは…。
しかし秀吉は自分の態度を反省するどころか怒りの矛先を伏見稲荷大社に向けます。
おのれ!急ぎ伏見の稲荷に申し伝えよ!お豪の体からただちにキツネめを追い出せ!さもなくば社殿をたたき壊し日本国中のキツネを狩りたてるとな!自分の命令を聞かなければ社殿を破壊するとお稲荷さんを脅迫したのです。
お世話になったお稲荷さんを脅すなんてなんと罰当たりなのでしょう。
秀吉に降りかかる災難はそれだけではありませんでした。
母者痛うはないか?病状は深刻で命すら危ぶまれる事態となりました。
いくら金がかかってもかまわん!国中から薬を取り寄せ腕の立つ医者を全て集めよ!しかし医者たちがいくら手を尽くしても回復の兆しは現れません。
母者どうか良くなって下されや。
稲荷大明神様どうかこの子が出世いたしますように。
幼い頃から秀吉の幸せを祈りずっと支えてくれた母。
天下人となってからも秀吉のために着物を仕立てるなど変わらぬ愛情を注いでくれました。
ところが今その大切な母が苦しんでいる。
秀吉は天下人といえどもどうする事もできません。
(泣き声)ここに至り秀吉はすっかり自分の無力さを痛感します。
そして最後に秀吉が頼った先…。
(かしわ手)稲荷大明神様どうかどうか母者の命をお助け下され。
それはお稲荷さんでした。
その時秀吉が伏見稲荷大社に届けた手紙が今も残っています。
こちらが当社に伝わっております豊臣秀吉が母親大政所の病気平癒を願った願文になります。
「どうか大政所の病気平癒を念入りに祈って下され。
命をあと三年それが無理なら二年それも駄目なら三十日だけでも延ばし我が母を生かして下され」。
母の命をなんとか救ってほしい。
秀吉の心からの願いでした。
秀吉の必死の祈りが届いたのかその後仲の容体は回復。
元気を取り戻します。
母親の元気な姿を見て喜んだ秀吉が伏見稲荷大社に奉納したもの。
それが現在の楼門です。
高さ15m。
秀吉のお稲荷さんへの大きな感謝の気持ちがこれだけ巨大な楼門を造らせたのです。
伏見稲荷大社のシンボル千本鳥居。
そもそもなぜこんなにもたくさんの鳥居が並ぶようになったのでしょう。
その秘密がここにあります。
東京・日本橋にある老舗百貨店「三越」。
ビルの屋上に建っているのは…。
日本橋三越本店長…。
稲荷神社です。
毎月従業員がそろって祈願をしています。
この稲荷神社が千本鳥居とどう関わるのか千本鳥居誕生に秘められた物語です。
話は今から300年前江戸時代中期元禄の頃に遡ります。
江戸に「三井越後屋」という呉服店がありました。
店の切り盛りを任されていたのは創業者の次男三井高富。
高富は大きな悩みを抱えていました。
創業以来順調だった商売に陰りが見え始めたのです。
原因は越後屋を妬む同業者の嫌がらせです。
ある時はならず者が押しかけ「店に火をつけるぞ」と脅迫。
またある時は店先から異様な臭いが…。
なんと汚物をまかれた事もありました。
心の声う〜ん困った…。
このままでは三井の店が潰れてしまう。
何か店を守る良い方法はないものか…。
居ても立ってもいられず店を飛び出した高富。
すると町なかで思いがけぬものを目にします。
それは「三囲稲荷」と呼ばれる神社でした。
心の声ん?注目したのはその名前。
心の声ん?うん?う〜ん?おおこれじゃ!三井の「井」の字を四角で囲えば「三囲」になる!まるで三井を囲み守っているようなお稲荷さんだ。
このお稲荷さんを深く信心すれば末永く三井家と越後屋を守ってくれるに違いない!
(かしわ手)早速高富は店の使用人たちを連れて三囲稲荷を熱心に参拝するようになります。
更に境内にキツネ像や手水鉢まで次々奉納しました。
すると…。
お稲荷さんのご加護でしょうか。
あれだけ店を悩ませていた嫌がらせがすっかり消えてしまいます。
更にお客さんもどんどん増え売り上げが急上昇。
江戸の町人から「越後屋千両」と呼ばれ…お稲荷様々じゃ。
ハッハッハッ!これに目をみはったのが江戸の町人たち。
越後屋のあの儲けぶりといったらどうだい?店が繁盛しているのはお稲荷さんを祀っているおかげだそうですよ。
なに?それじゃあうちの店でも早速お稲荷さんをお祀りしてみますかな。
お稲荷さんの商売繁盛のご利益に驚きにわかにお稲荷さんブームが起きます。
江戸ではあちこちに稲荷神社が建てられました。
その数100以上。
更にそれらの見どころを紹介したガイドブックも登場。
見て見て〜この千代世のお稲荷さんって近くにおいしい料理屋がたくさんあるんですって!こっちのお稲荷さんはお供え物をしてかしわ手を打つとキツネが出てくるそうよ!
(女性たち)え〜行ってみた〜い!ガイドブックを片手にこれらの稲荷神社を回る「稲荷めぐり」も流行しました。
また江戸のお稲荷さんを相撲の番付に見立て人気順に並べたものまで売り出されました。
最高位である東の大関にいるのは…もちろん三囲稲荷です。
そしてこのお稲荷さんブームは全国へ広がります。
人々はまさに商売繁盛の神様を求めていたのです。
このお稲荷さんブームが伏見稲荷大社の姿を大きく変えます。
それが千本鳥居の誕生です。
こちらは江戸時代の初期に描かれた伏見稲荷大社の絵図です。
鳥居は境内の入り口のみ。
千本鳥居はおろか稲荷山にも鳥居はありません。
一方こちらは明治中頃のもの。
本殿の裏手に鳥居がズラリと並んでいるのが分かります。
お稲荷さんが全国に広まるとともにいつしか…特に全国のお稲荷さんの総本宮である伏見稲荷大社には鳥居が殺到。
やがて千本鳥居が作られたのです。
その習慣は現在まで続き今でも次々新しい鳥居が建てられています。
柱の裏には北海道から沖縄まで奉納した会社や個人の名前がズラリ。
千本鳥居はお稲荷さんのご利益に感謝した人々によって自然に作られた景観だったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
戦後の荒波を地域の人々と共に乗り越えてきた稲荷神社があります。
それを伝えるのが羽田空港の目の前にある大きな鳥居です。
実はこの鳥居には社殿がありません。
鳥居だけを残し神社自体が2kmほど西へ移転してしまったからです。
それがこの穴守稲荷神社。
江戸時代から地域を見守ってきた神社です。
移転の原因を作ったのは終戦後間もなく日本にやって来た…羽田空港を接収したGHQは空港の拡張工事を行うため周辺の住民に48時間以内の強制退去を命じます。
神社の社殿もその時壊されてしまいました。
混乱の中人々が持ち出したのがご神体と…こちらのキツネの像でした。
そしてその3年後地域住民の尽力で現在の地に神社が復興。
旧社殿の記憶を伝えるキツネの像も大切に受け継がれました。
今伏見稲荷大社の裏手を行くと新しいキツネに出会う事ができます。
口入稲荷大明神にある小さなキツネの人形です。
「口入」とは縁談などを取り持つ事。
ここは縁結びのご利益のあるお社なのです。
お稲荷さんに良縁を祈願し願いがかなうとこのようにキツネの人形を奉納します。
昭和初期から始まった新しい信仰の形だといいます。
早い方でしたら帰りの新幹線でお会いになったとかいう方もありますね。
ここでお受けになって帰りに新幹線で駅で偶然昔のお知り合いに会ってその方とご結婚なされた方もありました。
それが一番最短ですね。
(かしわ手)人々のお稲荷さんへの願い事は時代とともに増え続けているのかもしれません。
非常に人々が自分の好きな自分のスタイルでもって神様を信仰していらっしゃる。
いつも身近にいて日本人の切実な祈りに応えてきたお稲荷さん。
これからも人々の暮らしに寄り添い続けていく事でしょう。
2015/10/21(水) 16:05〜16:50
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「聖なるキツネと神秘の鳥居〜伏見稲荷大社の不思議な世界」[解][字][再]

今、大人気の伏見稲荷大社。朱色のトンネル・千本鳥居、誕生の秘密とは?天下人・豊臣秀吉とキツネが繰り広げた壮絶な戦いとは?お稲荷さんの神秘の世界をめぐる。

詳細情報
番組内容
今、大人気のパワースポット・伏見稲荷大社。そのシンボルが朱色のトンネルがどこまでも続く千本鳥居。その誕生には、あの有名な老舗百貨店との不思議な出会いがあった。千本鳥居誕生の秘密を探る。また境内には空飛ぶキツネを初め珍しいキツネがいっぱい。キツネとお稲荷さんの意外な関係とは?さらにそのキツネと天下人・豊臣秀吉が繰り広げた壮絶な戦いとは?千本鳥居をくぐり抜け、お稲荷さんの神秘の世界をめぐる。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

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ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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