≫プロ野球ドラフト会議、今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか。
ソフトバンクホークス。
≫小さい頃から夢であったプロ野球のスタートラインに立つことができてとてもうれしいです。
≫もっとレベルアップして、次の世界に入りたいなと思ってます。
≫プロの世界へ行けて本当によかったです。
感謝の気持ちがたくさんあります。
≫ドラフト会場のグランドプリンスホテル新高輪です。
ドラフト会場では球界の未来をしょって立つ新たなスターたちが続々と誕生しています。
こちらからは、注目選手の指名の瞬間や最新情報などをお伝えしてまいります。
≫こんばんは。
2015年10月22日、いよいよ今年も運命の日がやってまいりました。
今夜は、プロ野球選手という希望の星が新たに誕生する瞬間をご一緒に見届けましょう。
そして親と子の絆を心に刻んでいきたいと思います。
≫この番組も6回目です。
毎回毎回、僕が選ばれるわけじゃないのに緊張しますよね。
≫野球少年だったから特に。
≫皆さん、子供たちの人生がかかってくるわけですからね分岐点ですからね。
≫この瞬間のために、親御さんもあらゆる犠牲を払ってきた、それが報われるかどうか、一緒に立ち会っているわけですから。
中居君が注目していた甲子園優勝投手、小笠原君が中日に決定しました。
≫高校野球、今年の甲子園のスターがみんなパ・リーグに行く中、小笠原投手がセ・リーグに来てくれて、かき回してくれるんじゃないかと思ってね。
≫できればジャイアンツと思ってたんじゃない?≫それはありますよね、こんにちは、どうも。
小笠原選手、地元が一緒だったりしていたので。
藤沢の出身だったりして。
中日でも頑張っていただきたいですね。
≫そしてスタジオには、この歴史的な瞬間を見守ろうとゲストの皆さんがお越しくださいました。
よろしくお願いいたします。
≫古田さん、今年は豊作の年と言われていましたが?≫ある程度、予想された選手が予想された球団に行ったところもあるんですけどね。
当日になって、おっ、ここのチームに行ったのかというのがありましたね。
≫今後どうなっていくのか楽しみですよね。
松木さん、今日はサッカーじゃございません。
どういたしましょう?≫いや〜、でも我々サッカーの世界でこういったドラフトがあったらどうなのかなと思いましてサッカーの場合は、クラブチームで下から積み上げていきますよね。
ですけども、こういうシステムだと名前を覚えてもらえるじゃないですか。
こんな選手がいるんだって。
≫そういう仕組みに変革したらどうですか?≫そうですね、いいんじゃないかなと思いますね。
皆さん、本当に応援してくださると思いますし。
≫いろいろ参考にしていただきたいですね。
≫25日、夜9時から放送の日曜劇場「下町ロケット」にご出演中の土屋太鳳さん、東国原英夫さんにもお越しいただきました≫土屋さんは、世代的には同じような子どもたちですね。
≫同世代の選手たちにどんなドラマがあるのか、すごく楽しみです。
≫野球は好きなんですか?≫野球、好きです。
ずっと大学野球を結構見ていました。
≫東さん、いかがでしょう、ドラフト?≫たけし軍団はなかったですからね。
ドキドキするでしょうね。
≫生徒たちもそうですけど、周りの家族の皆さんも、もちろんそうだと思いますが。
≫今年も番組の見どころを特大ボードを用意しましたので、中居君、お願いします。
≫今回はまずは、こちらからまいりましょうか。
≫お母さんと息子さんとの壮絶な物語がこのVTRにありますので、こちらのVTRをご覧いただきたいと思います。
≫専修大学松戸高校、原嵩君。
ドラフト会議を目前に控え、亡き母に誓った思いは…その打球は、大きくはねました。
まるで、何かに導かれるかのように。
どんなときも応援してくれたお母さんとの約束は2つ。
甲子園出場と、プロ野球選手。
≫3人兄弟の末っ子として生まれた原嵩君。
優しい両親のもと、幸せな毎日を過ごしていました。
野球を始めたのは、5歳離れた兄の影響で小学校1年のとき。
当時から、お母さんは嵩の一番の応援団でした。
ご飯、できたわよ。
≫お母さんの得意料理は肉じゃが。
嵩は、これが何よりの大好物でした。
≫うわ〜、肉じゃが、ラッキーいただきます!≫幼い頃から夢中で食べたおふくろの味は今もしっかりと覚えているそうです。
そしてさらに、忘れられない思い出が…≫あ〜、気持ちいい。
≫試合後にしてくれたマッサージ。
じゃあ今度は三振いっぱいとってよ。
≫いってー!≫喝入れたのよ。
≫任せとけって。
≫任せたぞ。
≫中学校に入っても野球漬けの日々。
それは、お母さんも同じでした。
練習試合などで場内アナウンスという役割がありました。
嵩君のお母さんは、これが大得意。
よく進んで引き受けていたそうです。
その実際のアナウンスが残っています。
≫実はお母さん、ほかの人に任せたくない理由がありました。
≫つらいとき、嵩がバックネット裏を見るとそこにはいつも、お母さんの姿が。
どんなときも、お母さんは嵩を一番近くで応援してくれていたのです。
そしてもう1つ…≫お母さん、新しい大会の背番号もらった、つけて。
≫やったわね、また1番じゃない。
≫忘れられないのが、ユニフォームに背番号を縫いつける姿。
≫明日の出張なんだけど…≫話しかけないで、集中させて、念を込めてるんだから。
絶対、勝てますように。
嵩がいっぱいいっぱい三振とれますように。
≫しかし、幸せな時間は長くは続きませんでした。
10年前に患ったお母さんの腎臓ガンが再発したのです。
今から2年前の6月のことでした。
ただ、末っ子の嵩に、その事実は伝えられませんでした。
それがお母さんの願いだったからです。
≫ご飯用意できたけど、食べられそうか?≫ごめんね、何にもできなくて。
≫早く病気を治す、それがお前の仕事だ。
≫ただいま!≫しかし、どんなにつらくても嵩の前でだけは、お母さんは笑顔を絶やさなかったそうです。
≫試合どうだった?≫リリーフで投げたよ。
でも、打たれちゃってさ。
≫嵩の帰りを、いつもリビングで待っていたお母さん。
野球のことや一日の出来事を母に報告するのが嵩の日課になりました。
そんな2人には、何度も何度も交わした言葉がありました≫お母さん、俺、絶対甲子園行くから。
甲子園で大活躍してプロになる。
≫嵩ならできる。
≫だからさ、見ててよ、俺が大活躍するところ。
≫楽しみ、嵩が甲子園で投げるところ見るの。
一番いい景色、見せてね。
≫しかし、容体は悪化する一方。
そして、1年が経過した頃…≫お姉ちゃん、お母さんの病気ってさ、本当は何なの?≫嵩、お母さんね、ガンなの。
≫ついに嵩に伝えられた真実≫母と交わした約束を果たすため、野球に打ち込んだ嵩。
しかし、突きつけられた現実は残酷でした。
≫嵩、お母さんね、ガンなの。
≫嵩が母の本当の病名を知った1週間後、お母さんはついに入院したのです。
嵩は毎日、病床の母のもとへ日々の報告に。
しかし…≫元気になったらさ、応援来てよ、絶対。
≫お母さんの様子は、以前とは変わっていました。
≫俺、お母さんのこと甲子園に連れてくからさ、絶対。
≫応援してる。
もし…、もし私が死んでもずっと上から見てるから。
一番近くで応援してる。
お母さん、ずっと、嵩の味方だからね。
≫思わず、言葉を失いました。
≫そして、嵩が高2の夏。
≫お母さん!お母さん、お母さん!≫母、昭子さんは50歳の若さで帰らぬ人になりました。
≫これが、嵩が最後に聞いた母の言葉になりました。
母の死の数日後、嵩は夏の大会の背番号をもらいました。
≫お母さん、新しい背番号もらったよ。
エースナンバーだよ。
ねえ、縫ってよ。
また縫ってよ、お母さん。
≫絶対勝てますように。
嵩がいっぱい三振とれますように。
絶対勝てますように。
≫高校生にとって、それは厳し過ぎる現実でした。
悲しみに暮れた夏から1年。
嵩は今年もエースナンバーをつけて県予選に挑みそして、ついに決勝戦へ。
同点に追いついた7回、打順はバッターとしても4番を打つ嵩に…≫嵩の打球は、センターの前で大きくバウンドしました。
まるで、何かに導かれたかのように。
空の彼方から…専修大学松戸高校はこれで悲願の甲子園初出場。
嵩は、お母さんとの約束、そして家族の夢を見事に果たしたのです。
そして8月8日、嵩はあこがれ続けた甲子園のマウンドに。
その姿をスタンドで見届けた父、そして母は…いつもそばで応援してくれてありがとう。
僕はこれからも野球を頑張るよ。
だからずっと見守っていてください。
そして、もう1つの約束。
母の仏壇には甲子園でつけた背番号と、あの日のホームランボールが大切に飾られています。
この日、嵩が父とともに書いたのは、プロ野球志望届。
今日、2つ目の約束を果たすとき。
≫お〜、やったー!≫あ、きた!≫やったー!≫おめでとうございます!≫やったー!きた!≫やりました、原嵩君、千葉ロッテに5巡目で指名されました。
≫おめでとうございます。
≫高畑さん、子を持つ母親としていかがでしたか?≫私今日、すごくきれいにお化粧してきたんですけど、もう最初からグジュグジュですよね。
≫もえちゃんもね、お母さんとして。
≫ホント番組3時間ですよね3時間もたないかもしれない本当に、何かもう、よかった。
≫千葉だよ、お母さん、やっぱり千葉の空にいたんだよ。
≫50歳の若さでお亡くなりになったんですもん。
≫専修大学松戸高等学校にいらっしゃいます原選手と中継がつながっています。
櫻井アナウンサー、お願いします。
≫地元、千葉ロッテマリーンズ5位で指名されました原嵩投手です、おめでとうございます。
お母さんとの約束、2つとも実現しましたね。
お母さんに報告してください≫プロになったら一番最初にお母さんに伝えようと思っていたので本当にやったよという気持ちとこれから頑張るよというふうに伝えたいです。
≫お母さんは、もし生きてたらこの報告を聞いてどんなふうに言ってくれますかね?≫多分、誰よりも喜んでくれると思いますし、帰ったらマッサージとかしてくれてたのかなと思います。
≫今、マッサージの話、出ましたけど、いろんな思い出がさっき出ていましたよね。
一番の思い出って、何ですか?≫中学の試合のときに、あのバックネット裏でいつも放送をしてくれてたんですけど、それが一番の思い出です。
≫今でも声はよみがえってきますか?≫はい、もう自分、ピッチャーのときも打順とピッチャーの名前呼ばれたときには何よりうれしかったです。
≫でも…、背番号1番、縫ってもらいたかったですよね。
≫はい、そうですね。
≫原君、おめでとうございます。
≫お隣の桜井さん、抑えておいてください。
≫指名が5巡目で確定したとき、どんな気持ちでした?≫ホッとしたのと、素直にうれしいです。
≫お母さんとの約束、甲子園出場とプロの指名と、2つ約束を果たしましたね。
≫はい。
≫でも、甲子園の決勝のとき…≫堀尾さん、チームメイトの渡辺選手も指名されました。
≫仲間が指名されたんですか?≫そういうときの櫻井さんよお隣、櫻井さん、仕切って。
泣いてないで仕切って!≫櫻井さん、報告してください。
≫泣いてないですよ、同じチームメイトの渡辺選手が今、ヤクルトスワローズですかね、指名されました。
≫おめでとうございます。
≫すごいタイミングでしたね≫生放送でお届けしていますからね。
≫よかったね、隣同士にいたんだ。
≫うれしいですね、仲間が指名されて。
≫原君も手放しで喜べなかったね、隣で待っている生徒さんがいたから。
≫実は原君は、去年の夏の決勝で敗れているんですよね。
≫はい、ピッチャーの方でも少し調子を崩してしまって制球が定まらなかった部分もあって、チームに迷惑をかけてしまったというのがあるんですけど≫今年は、あのセンター前のバウンドって、本当にお母さんがいたとしか思えないけど、そんな力、感じました?≫はい、打って、家帰ってテレビ見たときに、何かすごい打球だなって思って、やっぱりお母さんがやってくれたのかなとは思いました。
≫そんなケースないですからね。
≫今まで支えてくださいましたご家族の皆さんとも中継がつながっています。
佐藤アナウンサー、お願いします。
≫こちらにはお父さんとお姉さんの光里さんに来ていただきました。
お父さん、本当におめでとうございます、よかったですね。
≫ありがとうございます、何とか希望がかないました、本当にありがとうございます≫聞いた瞬間、いかがでしたか?≫地元の球団でもあるし、本当にうれしいですね。
ケガなくやってくれれば、本当にありがたいと思います。
≫実はドラフト5位指名、ロッテからでしたが、その指名があった瞬間はVTRの最中だったんですね本当につい先ほどなんです。
≫もう、ビクビクしながら見てましたけど。
≫お父さん、お姉さん、おめでとうございます。
奥様の力を感じたんじゃないですか?≫そうですね、かみさんが力をかしてくれたと本当に思っています。
≫嵩君の字って高みを目指していくということでつけられたんですって?≫そうです。
≫これからまだまだ高みに望みたいですね。
≫本当に一流の日本を代表するような投手になってほしいと思っていまのでホント期待してます。
≫お姉様、せっかくですから。
弟さん、すばらしい活躍ですよ。
≫はい、うれしいです。
≫どんな弟さんですか?≫かわいい弟ですね。
≫甲子園の背番号の1はどなたが縫ったんでしょうか?≫あれは、メーカーさんが縫ったのかな。
≫ごめんなさい、聞かなければよかったかもしれません…≫堀尾さん、こちらで原嵩さんがお父さんに手紙を書いてますので、聞いてもらえますか。
≫知らなかった。
≫親父とお母さんへ。
親父、親父はお母さんが亡くなってからお母さんの分まで家事とかしてくれて、ありがとう。
きっと一番つらかったのは親父だと思います。
それなのに、いつもおいしいご飯をつくってくれたり野球の応援も来てくれて本当に感謝しています。
これからもっと成長して、親父の自慢の息子になります。
お母さん、お母さんはいつも応援してくれたね。
これからもずっとそばで見ていてください。
今の自分がいるのは、支えてくれた家族のおかげです。
本当にありがとう。
これからも精一杯頑張ります嵩より。
≫お父さまの康二さん、すてきな手紙だったですね?≫そうですね、涙が出そうですね。
≫どんな選手になってほしいですか?≫やっぱり、とにかくケガないように、千葉ロッテさんの優勝に貢献できるように本当に頑張ってほしいと思います。
≫嵩君、これからも1軍のマウンドに早く立てるように応援してますからね。
≫ありがとうございます。
天国のお母さんに雄姿を見せてくださいね。
古田さんからも一言お願いします。
≫非常に素質いいと思うんです、身長もありますし、ただまだ線が細いのでプロに行ったらいいものが食べられますから体重をもうちょっと、5〜10kg増やして、それってプロにとって非常に大切なことなので、そうするともっといい球がいくと思います。
しっかり鍛えてください。
≫チームメイトの渡辺君もおめでとうございますとお伝えください、ありがとうございました。
≫応援しています。
うれしい、よかった。
≫土屋さん、いかがでしょう。
お母さんも喜んでるんじゃないでしょうか。
≫ランニングホームランも鳥肌が立って、多分、球場でお母様も見守っていたと思います。
≫しっかり見てたんだね、上から見てたんでしょうね。
≫ドラフト会場は今、どのような動きがあるんでしょうか≫自分自身、順位とかは関係なく本当にプロの世界に行けるだけありがたいと思っていたのでこのような上位指名をいただけて、本当にうれしい気持ちです。
≫そのオコエ選手と中継がつながっています。
≫こちら、関東第一高校には3年生25人とオコエ選手に来ていただきました。
オコエさん、本当におめでとうございました。
≫おめでとうございます、オコエさん。
≫改めて楽天に1巡目指名されたオコエ君を呼んでみましょうおめでとうございます。
≫本当に賑やかなチームメイトですね。
≫1巡目指名というのは、どういうふうに受け止めていますか?≫大変うれしく思ってます。
≫楽天チームはどんなイメージがあります?≫自分自身、投手力が非常に高いチームだと思っています≫でも本当に甲子園もそうでしたけれども、U18、W杯でもそうでしたが足が速いのは当たり前なんですが、判断力がありますね。
≫そこを一番気をつけるようにしてます。
≫相手の隙を突く野球ってやつですね?≫チームとして。
≫どんな選手になりたいですか、あこがれの選手とかいます?≫やっぱりヤクルトの山田哲人選手。
≫昔、陸上のオリンピック強化選手にも指定されると言われたぐらいの脚力ですからね、足はどんどん生かしてほしいですよね。
お母さんはどんなふうに思っていらっしゃるんでしょうか?≫多分、家族全員、喜んでくれてると思います。
≫今日のドラフトを受けて、こんな方々からメッセージをいただいているんで、ご覧ください。
≫楽天イーグルス1位指名おめでとうございます。
日本代表の終わりのときにオコエが言ったまたこのメンバーで侍ジャパンのユニフォームを着ようっていう、その夢を目指して一緒に頑張っていきましょう、おめでとうございます。
≫U−18を一緒にやっていたメンバーなのでそういう意味ではお互い切磋琢磨してやっていければいいかなと思います。
同じ野手として、いい刺激を与えていければいいかなと思います。
≫オコエとは日本代表のときもすごくお話しして楽しい生活ができたので、対戦することがあれば、本気でぶつかっていきたいと思います。
≫足も速いですし、守備範囲が非常に広いですからね。
見ていて気持ちいい選手ですからね。
待ってるよ、仙台いいところなんでね、ぜひ一緒にやりましょう。
≫すごい、そうそうたるライバルたちもいましたけどね。
これからいい試合を見せてくださいね。
そちらにオコエさんの未来年表があると聞いたんですが?≫堀尾さん、こちらに、以前ドラフト前に書いていただいた未来年表があります。
一番上はドラフト1巡目指名これはもうかないました。
来年は1軍のベンチ、それからレギュラーとある中でこちら、2018年は「清宮よりも注目されたい」ということで。
さらには、2020年は、オリンピックに出場してアメリカにリベンジしたいと書かれてありますが。
≫やっぱりアメリカで決勝で敗れたのは悔しかったですか?≫大変悔しかったですね。
≫あと清宮君よりも目立ちたい?≫そうですね、やっぱり清宮自身、自分から注目されたいと言っているので、やっぱり先輩として負けてられないです≫早く1軍に上がって活躍を見せてください。
おめでとうございました。
妹さんもバスケットのU18モニカさんというね、すごいですよ。
≫続いてはこちらになります≫家業を継ぐのが自分だけだとしたら、夢を追いかけることはできるのでしょうか。
こちら、ご覧ください、どうぞ≫この親子の決断に今、700年もの歴史の行く末がかかっている。
≫神主はね、運命でなる職業。
≫神社に生を受けた定め。
≫今は神社じゃなくて野球でやれるところまでやっていきたいというのが自分の本音です。
≫何度もあきらめた野球。
≫神様、野球を続けさせてください。
もう少しだけ自分の夢を追いかけたいんだ。
≫野球か、それとも神主か。
これは、神々の杜に生まれた家族の絆の物語。
宮城県角田市にある深山神社鎌倉時代から700年、この地域を守り続けてきた。
歴史ある神社の3人兄弟末っ子として産まれた熊原健人。
父、孝さんは18代目の神主だ。
≫じゃ、これ、お兄ちゃんのところまで運んで。
≫健人も物心をつく頃には神社のお手伝い。
神々に寄り添い生きることが当たり前だと思っていた。
≫偉いな、健人ちゃん、もうお手伝いしてるんだ。
≫はい!≫お兄ちゃんもいるし、こちらは跡取りに困らんでよさそうですな、お母さん。
≫でも、この子たちの目当てはこれですから。
はい、お駄賃。
≫やったー!≫野球を教えてくれたのは11歳年上の兄。
常に健人のよき理解者だった≫本格的に野球を始めたのは小学生のとき。
将来の夢はプロ野球選手。
一方、兄は高校の野球部を1カ月で退部。
卒業後は神主の道には進まず好きだったファッション関係の仕事に就いていた。
兄が神社を継がない以上、残された後継者は自分しかいない。
高校でも大好きな野球に打ち込んだ健人。
しかし、3年間はあっという間。
いよいよ進路を決める時期がやってきた。
≫早いよな。
≫俺は大学行くよ、お前はどうすんだ?≫俺、東京に行く。
東京に行って、キックボクサーになる。
ずっと俺の夢だからよ。
≫でもすげえよな、健人。
大学で野球続けるんだろ?≫何で?≫うち、大学行く余裕ねえからさ、神主継ぐつもり、兄ちゃんたちも継がなかったし。
≫もったいねえよ、お前、野球やめんの。
センスあんのに。
≫仕方ねえよ。
≫夢をあきらめ、神主になる。
健人はそう決めていた。
ところが…≫仙台大学の監督が、どうしてもお前を欲しいと言ってきた。
≫ホントですか!?≫ご両親と一度相談してみなさい。
≫はい。
≫才能が認められ、健人に再び野球を続けたいという気持ちがわき上がった。
≫確かに、いいお話よね。
≫ああ、でもなあ…≫ようやく跡取りが決まり安心していた父。
しかも、家計に進学させるほどの余裕もなくすんなりとは、認められなかった。
しかし…≫頼むよ…、迷惑かけるのはわかってる、でも野球続けたいんだ。
≫野球か、それとも神主か。
≫仙台大学から誘われ、再び野球を続けたいという気持ちが芽生えた健人。
≫頼むよ、迷惑かけるのはわかってる。
でも、野球続けたいんだ。
俺ももう少しだけ、自分の夢を追いかけたいんだ。
お願いします。
大学行かせてください、お願いします。
≫神にすがる思いだった。
≫神様、お願いします。
≫そんな健人の気持ちを最も理解していたのは…≫健人に野球続けさせてやってくれよ。
俺からも頼むよ。
≫仙台大学ならここから通えるし、下宿代もかからないものね。
≫健人に野球やらせてやろうぜ。
≫息子の夢か、700年続く神社か。
父の心は揺れた。
≫野球続けたいんだ、お願いします、大学行かせてください。
≫あくる日の朝…≫母さん、酒とタバコやめたら、何ぼぐらい浮く?≫お父さん…?≫親父…、じゃあ。
≫夢なら応援するしかねえべや。
納得いくまでやれ。
≫ありがとう。
≫やったな、健人、野球やれるぞ。
≫野球をしている健人の輝く笑顔をいつまでも見ていたいから。
両親は、健人を大学に通わせるため、節約生活に。
父は、自動車を売却。
母は食費を浮かせようと、家庭菜園を始めた。
さらに…≫探してた川端康成全集、入りましたよ。
とっといてありますから。
≫いや、いや、すんません、私ね、本を集めるのやめたのしゃ、また。
≫父の唯一の趣味だった読書は、息子を大学に行かせると誓った日から、書斎の本は一冊も増えていない。
≫この分は、プロ野球選手になって結果で返すというのは思ってました。
≫もらった恩は結果で返そう仙台大学に進学した健人の才能は大きく開花。
21歳以下の日本代表にも選ばれるほどに。
そんな健人を見続け、父は決めた。
≫息子の夢を、ともに追いかけてみよう。
健人の大学進学を一番に後押ししてくれた兄は…≫健人の夢は今、家族の夢に。
≫そのとき、兄が口を開いた。
それは、悩み抜いた末の覚悟だった。
神社は俺が守る、家族の誰もが予想しなかった兄の決意表明。
≫兄も悩み抜いた。
家族にとって、そして最も大切な弟にとって、何が最善の道なのか。
マウンドでいつも重圧を背負い投げ続ける弟。
ならば、700年の重みは俺が代わりに背負ってやる。
そう決意したのだ。
ドラフトを目前に控え、父は健人にあるプレゼントを。
息子の夢に捧げる父の祈り。
神々の杜からプロ野球へ。
ドラフトという名の神が下す審判は…≫横浜DeNAが2巡目で熊原健人を指名しました。
≫えっ、横浜?≫まずよかった。
≫うれしい。
≫予想してなかった。
≫熊原選手、おめでとうございます。
来年一緒に優勝しましょう。
頑張りましょう。
≫熊原健人選手、横浜DeNAに2巡目指名されました。
≫高い評価ですよね。
≫すごいよね、土屋さん、お兄ちゃんが継いでくれるって言ったの驚きましたね?≫すごくびっくりしましたけど、すごい健人さんも、専念できるんだなと思ってうれしかったです。
≫お兄ちゃんの覚悟もありましたよね。
松木さんもご実家がうなぎ屋さんで、継ぐのか継がないのか。
≫全然700年とは比較にならないですけど。
でも僕、すごく絆を感じましたね。
本当に1人のことでみんながね。
≫家族全員が協力してくれたという。
≫その熊原健人選手、仙台大学にいらっしゃいます。
伊藤アナウンサーお願いします。
≫仙台大学、熊原投手に来ていただきました。
もう既に熊原投手の携帯には多くの祝福のメッセージ、それから後輩から胴上げされたときにその衝撃で熊原投手、ボタンが外れてしまいましてちょっと手荒い祝福も受けた熊原投手です。
≫うれしさの証拠ですよね。
熊原君、おめでとうございます。
今、どんな気持ちですか?≫ありがとうございます。
素直にとてもうれしいです。
≫でも正直なところ、神主を継がなければといういつもジレンマに悩まされながら生きてきたんでしょう?≫やっぱり子どものときからいずれ自分が継ぐものだとは思ってたので心の中ではずっと考えていました。
≫そのご家族ですが、ご実家の神社に集まっていらっしゃいます。
おめでとうございます!≫お父さん、お母さん、お兄様お姉様、おめでとうございます。
お兄様の亨さん、跡継ぐことを決めてくださってありがとうございます。
≫は…はい。
≫歯切れ悪いですね、大丈夫かな?≫でも自分のやりたいこともあったんでしょ、大丈夫なの?≫もちろん今している仕事もすごく大切なので将来的にというところで、前向きに考えてます。
≫怪しいな、大丈夫かな?≫でも弟さんの野球を教えたのもお兄さんだし大学野球を勧めたのもお兄さんだし、最後、神主さん継いでくれるのもお兄さん。
お父さん、すばらしい兄弟をお持ちになりましたね。
≫はい、両方、足して2で割ればみんなと同じぐらいだと思います。
≫でも正直言って、健人君には神主を継いでほしいという気持ちはずっと続いていたわけですね?≫とにかく絶やさないためには、資格を取りやすい学校に行っている子どもがなるべきだと思ってました。
≫お兄さんはあまりふさわしくないとおっしゃっていましたが?どうなんですか、そこら辺は?≫確かにそういうことを言った覚えはあります。
≫松木さん、ご家族の方に。
≫皆さん、本当におめでとうございます。
≫ありがとうございます。
≫でも本当にお兄さんが決断されたというのが一番ご本人の健人君もすごく一生懸命できるんじゃないかと思います。
頑張ってください。
≫山口もえさん、どうぞ。
≫私、お兄さんのファンになりましたね。
だって導いてくれたのもお兄さんですし。
ホントに頑張ってつぶさないようにね、頑張ってね、応援してます。
≫将来的に頑張ります。
≫後付けで将来的にというのが怪しいんですよ。
≫でも、それもこれも健人君の活躍にかかってますから、どんなピッチャーになりますか?≫やるからには息の長い、記憶に残るような選手になりたいです。
≫堀尾さん、そして熊原投手ですけれども、今日はご家族に宛てた手紙を書いてきてくれました。
では熊原投手から読んでいただきます。
≫おとう、おかあ、たった今、横浜DeNAベイスターズに指名されました。
おにいとのキャッチボールで何となく始めた野球がここまで続くなんて、きっと思ってなかった。
正直、自分でも驚いているよ。
4年前の夏に神主になるか野球を続けるかで何回も衝突したね。
バントもとれない、ストライクも入らない、そんなへたくそな自分の絶対プロへ行くっていう言葉を笑わず真剣に聞いてくれたのをよく覚えてます。
今振り返っても、あのとき、なんであんな大口たたけたのかは自分でもわからないけど、今の自分があるのは家族のおかげです。
今なら、あのとき神主になってほしいって、おとうが言ってたのが、少しわかります。
プロは厳しい世界、どうなるかわからないけど、いい報告できるように、やれるところまで頑張るのでこれからも見守っていてください。
それと、おにい、自分の野球をいつも支えてくれて感謝しています。
本当にありがとう。
≫心のこもったいいお手紙ですね。
≫お父様、今のお手紙、どう受け止められましたか?≫ホントに大学にやらなかったときの自分の後悔というか、気づかずに終わったことですけど、それがなかったのが、ホントにうれしいです。
健人の夢がかなって、よかったです。
≫何よりも一番喜んでいたお母様のすえ子さん、どんなお気持ちですか?≫ホントに決まりましてうれしいです。
皆さんに、本当に感謝したいと思います。
≫お姉様もどうぞ。
≫うれしい気持ちでいっぱいです。
帰ってきたらおめでとうって言ってあげたいです。
≫どうもありがとうございました、おめでとうございました。
≫頑張ってほしい、感謝を忘れずに。
≫ボードに戻りましょう。
≫甲子園で3本のホームランを打ったスラッガー、そして元プロ野球選手のお父さん。
父と子の2人の物語、ご覧ください、どうぞ。
≫命をも脅かす病と闘いながらこの日をずっと待ちわびている人がいます。
山本功児さん、かつて巨人でも活躍した、元プロ野球選手です。
息子の名は武白志。
父親と同じプロの道を志し、今日、運命の日を迎えました。
武白志が生まれて18年間、父は片時も離れず、成長を見守ってきました。
病に倒れても、夢を全力で後押ししてきました。
息子がプロに入るまでは。
これは病と闘う元プロ野球選手の父とその背中を追う息子。
≫今年の夏。
甲子園で3本のホームランを放ち、脚光を浴びた選手がいます。
九州国際大付属、山本武白志。
1998年、武白志は、あるプロ野球選手の長男として生まれました。
山本功児さん。
抜群の勝負強さで、巨人では王貞治さんの後を継ぎ、4番打者としても活躍しました。
現役引退後は、ロッテの監督に就任。
人情味のある熱血漢としてファンからも愛されました。
常に重圧がのしかかる監督業疲れた心を癒やしてくれたのは、46歳で授かった一人息子の武白志でした。
≫つらいとき、この笑顔に何度も救われました。
しかし、2003年、突然の監督解任。
プロの世界の厳しさに、妻の美砂子さんもショックを隠せませんでしたそんなとき、5歳の武白志がこんな言葉を口にしたのです≫最初は両親も子どもの無邪気な夢と受け止めていましたところが、武白志は本気でした。
8歳になると、野球をやりたいと言い出したのです。
その日から、父と子の特訓が始まりました。
武白志は父の現役時代を知りません。
それでも、教えをしっかり守りみるみる成長を遂げていきました。
その実力は、少年野球チームでもずば抜けていました。
野球を始めて1年あまりで、場外ホームランを打つまでに≫父は驚きを隠せませんでした。
この子ならプロになれるかもしれない、息子の夢は、いつしか親子の夢となりました。
そんな父の体に異変が起きたのは武白志が10歳のときでした≫大丈夫、お父さん。
≫大丈夫、大丈夫。
≫パパ、大丈夫?≫平気、平気。
ただの風邪だから。
ごめんね、次はまこと君の番だったよね。
≫本当に風邪?いつまでもおかしいわよ。
≫大丈夫だって、風邪、風邪。
≫パパ、足が膨らんでる。
≫あっ、ホントだ。
≫筋肉痛だろう…。
≫むくんでいく足は、次第に激痛を引き起こし歩くこともままならない状態に。
≫パパ。
≫あなた!ねえ、あなた、やっぱり病院に行きましょう?≫昔から体だけは丈夫なんだ≫お願い、行って!≫家族の説得で、父はついに病院へ。
そこで下された診断は、想像をはるかに超えるものでした。
≫父、功児さんの体に異変が起きたのは武白志が10歳のとき。
下された診断は慢性心不全。
血圧は200を超え、肺の3分の2まで水がたまり生きているのも奇跡的な状態でした。
≫パパ、死なないよね?死なないよね?≫大丈夫よ、お薬で眠っているだけ、大丈夫よ。
≫懸命な治療と入院生活で、最悪の事態こそ免れましたが予断を許さない状況は続きました。
≫ペースメーカー?≫はい、山本さんにはペースメーカーをお勧めします。
≫心臓への負担を減らすため勧められたのはペースメーカーの装着。
しかし…≫ただ、左腕を使った運動は難しくなります。
≫じゃあ、ボールを投げるのは?≫難しいかと。
≫先生、絶対に入れなきゃいけませんか?ペースメーカーは入れたくないんです。
武白志にトスを上げられなくなるんです。
バッティングピッチャーもできなくなるんです。
俺はまだまだあいつにボールを投げてやりたいんだ。
あいつがプロに入るまで。
すいません。
≫武白志がプロに入るまでは父が治療に口を挟むときには決まってその理由がありました。
武白志が中学に上がると、入院の頻度は、これまで以上に増えました。
それでも医師の反対を押し切って練習の相手を務め続けた父。
すべては親子の夢を叶えるために。
時には、病室からアドバイスを送ることも。
そう、息子の成長は父にとって何よりの薬。
そして、武白志にとっては父の眼差しが何よりの励みでした。
父はずっと見守ってきました日に日にたくましくなっていく、我が子を。
そして、高校最後の夏。
甲子園への切符をかけた大一番。
病を押して、父も駆けつけました。
息子の勇姿を見届けるために病気のことも忘れ、力の限り、声援を送りました。
そして…父も出場した夢舞台、甲子園へ。
とめどなくあふれる喜び。
父もまた、息子とともに戦っていたのです。
幼い武白志の言葉から始まった、親子の二人三脚。
夢が叶う瞬間を見届けようと父は今も、病と闘い続けています。
武白志が描くアーチは、父にとって希望の架け橋。
今までも、そしてこれからも。
祈りを込めて2人で書いたプロ志望届。
≫親子2代でのプロ野球選手誕生へ。
ついに運命の時を迎えます。
≫東さん、親ってどこの親もああいうものですよね?≫山本功児さん、ホント立派。
人間ってのは、老病死とかはしょうがないから、それに会ったときにどういう行動をするか、どういう考え、哲学で生きるかというのはホントに学ばせていただいたあの方の、山本さんのすべてを、スピリッツから全部を息子さんが全部、受け継いでいるね、すばらしい人格者だ。
≫横浜DeNA、育成枠2巡目。
山本武白志の名前が呼ばれました。
会場が沸いています。
≫山本選手、DeNA育成枠2巡目に指名されましたよ。
ご本人、呼んでみますか?≫九州国際大付属高等学校に山本武白志選手、いらっしゃいます。
お願いします。
≫山本武白志選手です。
横浜DeNAから育成で指名されましたけど今のお気持ちはどうですか?≫指名されたっていうことはうれしいんですけど、これから親と監督としっかり話し合って、これからのことを決めたいと思います。
≫ドラフト会議始まって3時間30分、どんな思いで様子を見ていましたか?≫なかなかかからなくて、見てる同級生にもちょっと悪いことしたなと思ったんですけど、これが今の評価だと思うんでしっかり受け止めなきゃいけないのかなと思います。
≫堀尾さん、本当に3時間30分、目を充血させてずっと様子を見ていました。
≫甲子園の2打席連続を含む3ホームランのあのスラッガーぶりはすばらしかったですもんね。
≫外、左中間に持っていくというね。
≫将来相当期待されていると思いますよ。
≫そして、ご両親もずっと見守っていらしたと思います。
お父様の功児さん、お母様の美砂子さんとも中継がつながっています。
≫福岡県にあります山本家のご実家に伺っています。
功児さんと美砂子さん、このドラフトの様子、静かに見守っていました。
育成2巡目で名前が呼ばれましたが、功児さん、今の率直な気持ちはいかがですか?≫うれしい反面、複雑な気持ちというか。
じっくり考えて結果を出したいと思います。
≫でも、育成から一流の選手になった選手はたくさんいらっしゃいますから。
巨人の松本選手とか、山口選手とかね。
古田さん、あの山本さんの188cm…≫体も大きいですし、甲子園のホームラン、僕も目の前に見ていたんですが、本当にすばらしかったんでねちょっと思ってたより評価が低かったので複雑な心境だと思うんですけどね、自分のことを言うのも何ですが、僕もプロ入ったのが24歳だったんですよ。
ですから、18歳から、どうやって伸びるか、プロに入るのかどうするかというのはご本人、ご家族と決めることだと思うんですけれども、非常に伸びしろの多い選手だと思いますので、ぜひプロで活躍するところはいずれ見てみたいなと僕は思っています。
≫古田さんも一回、ドラフトで蹴られて2回目でようやく入ったんですよね。
≫僕はああいうふうに待ってて、最後までかからなかったんですよ。
皆さん、すみません、遅くまでと謝って。
≫そういう生徒さんっていっぱいいるんですよね。
≫いるんですよ、なので、逆に悔しい思いを持ってプロに来たら、伸びると思いますよ。
≫松木さん。
≫悔しさが人一倍自分のパワーになりますから頑張ってほしいと思いますね≫お父さんとの二人三脚、すばらしいドラマでした。
≫続いては空白の14年、行方不明の父に会いたい。
必ず有名な選手になるから、僕に気づいてほしい。
離ればなれになったお父さんと息子さんなんですが、どうして離ればなれになった生活を送らなければならなかったのでしょうか。
こちらのVTRご覧ください≫ベッドの壁に貼られた写真それが父の記憶のすべて。
9・11、あの事件によって引き裂かれた家族。
生死さえわからない父の影を追い続けた14年。
母の涙を拭うため、少年は野球に希望を見いだした。
もう一度、父に会いたい、切なる思いで野球に打ち込んだ日々。
その結末は…≫高知中央高校、日隈ジュリアス。
最速145km、プロ注目のサウスポー。
米軍基地に勤めていた父と沖縄で働いていた母との間にジュリアスは生まれた。
弟と4人、幸せな毎日。
だが父が軍の任務で日本を離れていた、そのとき…同時多発テロが発生。
3000人以上が命を落とした大惨事。
あの日を境に父の消息は途絶えた。
ジュリアスが4歳の頃だった≫彼が、彼がどこに行ったか、知りませんか?どんな情報でもいいので教えてください、お願いします!≫母は懸命に捜したが、いまだ父の行方はわからないままそんなある日のこと。
ジュリアスの目に飛び込んできたのは友人と話しながら涙を流す母の姿。
≫自分がしっかりしなくちゃいけないってわかってる…。
でも、私どうしたらいいんだか…≫母の笑顔が見たい、そう願うジュリアスの心を支えたもの、それは野球だった。
母の苦しみを知ったジュリアスは寂しさを胸の奥にしまい、野球に打ち込んできた。
≫ジュリアス!≫あっ、お母さん。
≫アイス一緒に食べよ。
おいしい?野球楽しい?≫母には笑顔でいてほしい、その思いが生んだ、一つの決意。
≫ママ、僕さ、プロ野球選手になるよ。
≫ジュリアスならできるよ。
≫それで頑張って、メジャー行くんだ。
そしたら、お父さんに会えるかもしれないでしょう?僕がプロ野球選手になって、お父さんに会わせてあげる、絶対。
≫野球で未来を切り開き、もう一度父に会う。
野球で夢を追う息子の笑顔があったから母もまた、前を向くことができた。
朝は5時前に起きて、息子たちの食事をつくり置き。
事務の仕事は、深夜まで続く日もあった。
2人の息子を育てるために。
暮らしは決して楽ではなかった。
それでもジュリアスは、文句一つ言わず、弟の面倒を見ながら、野球に打ち込んできた。
ジュリアスの心を支えたのは父に会いたいという夢だった15歳の春、母のもとを離れ、高知中央高校に進学。
このときジュリアスは、ある一枚の写真を持っていった。
≫ベッドのそばに飾られた、たった一つの家族の証し。
父は必ず生きている、プロになればきっと会える。
そう信じて、すべてを野球に捧げた3年間。
その思いを知る母もまた、親子の再会を何よりも願っていた。
夢に向かって支え合いながら生きてきた母と息子の14年。
そんな2人に、奇跡が。
アメリカで4カ月、番組でも捜索を重ね、ドラフト直前、ついに父が見つかった。
≫14年前に音信不通となった父に会いたい、その一心で、プロを目指してきたジュリアスと、支えてきた母。
人生を託すドラフトを前に奇跡が起きた。
父、フランクさんの行方が判明したのだ。
同時多発テロの後、父は長い戦争に駆り出された。
大ケガに見舞われ、心にも深い傷を残し、リハビリを余儀なくされていた。
もう自分は家族に合わせる顔がない。
そう自らを責め続けた日々。
運命のドラフトを前に起きた14年目の奇跡。
真実を知った母は息子にすべてを伝えることにした。
突然の告白に、ジュリアスは…プロになって父に会う。
家族の写真が心の支え。
そして父もまた、同じ支えを胸に生きてきた。
戦場を渡り歩く中、肌身離さず持っていたものがある。
それは家族の写真。
写真を通して互いに思い合ってきた父と息子の14年。
今、ジュリアスが願うのは…父に感謝を伝えよう。
プロになる夢をかなえた、そのときに。
≫20年間プロ野球でプレーすることが目標なのでそれに向けて頑張っていきたいです。
≫高校生ということですけど即戦力として、一日でも早く1軍で投げれるように頑張ってください、お待ちしております。
≫ジュリアス君、ヤクルトに4巡目で指名されました。
≫よかったね。
≫おめでとうございます。
≫何よりもお父さんが見つかったんですもん。
≫ドラフトで声をかけられることとお父さんが見つかったことと2つの夢がかないました。
東さん?≫番組の捜索力、ありますね。
番組が見つけたんでしょう、すごいね。
≫この番組も今年6年目ですけど、しかも外国で、お父さん捜したのって初めてですもん。
≫高知中央高等学校にいらっしゃいます日隈ジュリアス選手、そしてお母様と中継がつながっています。
≫本人はドラフト1週間前から本当に緊張していました。
そして今日も1時間目から高校の授業、緊張して手に汗をかき過ぎて、前の生徒の背中で拭くぐらい非常に緊張の毎日を送ってきたんですね。
そしてドラフト4巡目で名前が呼ばれました。
先ほど聞きましたら、開放されたとおっしゃっていましたね。
ようやく今、笑顔が出てきたんです。
真中監督から、早く1軍へという声がありましたが、いかがですか?≫一日でも早く1軍に上がれるように頑張っていきたいです。
≫ジュリアス君、本当におめでとうございます。
相当うれしそうな顔してましたね。
それから、お父様が見つかったというのはどういうお気持ちでした?≫うれしかったです、ホント、生きてたんで。
≫もうメジャーに行かなくても、もう会いに行けるんですよ。
≫はい。
≫モチベーションは大丈夫ですか?≫あっ、大丈夫です。
≫将来、どんな選手になりたいと思ってます?≫日本を代表するようなピッチャーになりたいと思っています。
≫日本での活躍もお父様に見せられるということで実はジュリアス選手のお父様にお手紙をいただきました、ご覧ください。
≫ジュリアス君、お父様はずっとジュリアス君とお母様のことを思い続けていたようですよどうでした、今のメッセージ。
≫いつかまたキャッチボールできるように。
≫実際に今、お父さんからいただいた手紙がありますので、まずはジュリアス投手にお渡ししますね。
≫久しぶりに、14年ぶりに動画でお父さんの姿をご覧になったんでしょう、ジュリアス君。
どんな思いでした?かっこいいお父さんですね。
≫久々に見られたのでよかったです。
≫ずっと照れていましたね、さっきからね。
それでも汗が止まらないという感じでしたけど。
≫お母さんもすてきな方ですよ。
≫お母さん、今のVTRをご覧になっていかがでした?≫何か、VTRに出るとは思っていなかったんで、すごく息子にとってはうれしいことなので、私もうれしいですね。
≫いろんな思いが入り交じってね。
≫戦争で我々が想像できないような修羅場を乗り越えてきてでも、いつもお父様はお二人のことを忘れなかったと。
≫ずっと写真を持ってたと言ってましたね。
≫ジュリアスという名前の由来、お二人で考えたんですね、お母さん。
≫そうですね。
≫古田さんからお母様に一言≫本当にご苦労されたと思うんですけど、そういう気持ちをジュリアス君わかっていると思うので、スワローズに入るということなので、本当に頑張っていただきたいと思いますし先ほど真中監督が出ていてうちで頑張ってくださいみたいなことを言っていましたけど、ここまでのストーリー、わかってませんから、彼は。
後で連絡して、ちゃんと言っておきますので。
頑張ってください、期待しています。
≫お二人で年内にもお父様に会いにいかれてください。
≫会えるといいですね、会いに来てもいただきたいですね。
≫活躍、早く1軍のマウンドに立ってくださいね、ジュリアス君。
≫はい、頑張ります。
≫土屋さん、VTRをご覧になって、生でお話しさせていただきました≫すごく安心されたと思います。
これで、もっと野球に打ち込めるなって思いました。
≫お父さん、早く会いに来てほしいですよね。
≫そうすれば野球に集中できるね。
≫ここで高輪にあるドラフト会議の会場から、最新情報を伝えてもらいます≫午後5時から始まったドラフト会議ですが、つい先ほど、全選手の指名が終了しました。
改めて有力選手の動向、及びインタビューをご覧いただきましょう。
2015年プロ野球ドラフト会議。
まず仙台育英高校の内野手、平沢大河は地元の東北楽天、そして、千葉ロッテの2球団の競合となりました。
その結果…≫プロの世界でやれるということでもっとレベルアップして、次の世界に入りたいなと思います。
≫そして注目の投手、県立岐阜商業高校の高橋純平。
地元の中日、北海道日本ハム、さらには福岡ソフトバンク、3球団からの指名を受けました。
≫小さい頃から夢であったプロ野球のスタートに立つことができて、とてもうれしいです。
≫明治大学の高山俊は阪神、そして東京ヤクルト、2球団が競合し、抽選の結果、ヤクルト・真中監督が満面の笑みを見せ、交渉権はヤクルトが獲得したかに思われましたが、これは実は真中監督のフライングと判明しました。
一転し、阪神が交渉権を獲得しています。
≫何が起きるかわからないドラフト会議ですので、本当に1位で指名していただいたのでそれはすごくうれしく思っています。
≫育成選手を含めて12球団で116人の選手の指名が行われた今年のドラフト会議。
こちらからは以上です。
≫ドラマがありますね、やっぱり。
≫しかし、真中さん、「指名権確定」って書いてないのに?≫僕もくじを引いて見たことがあるんですけど、1つの方にNPBのマークが入っていて、開けたときに、NPBのマークともう1つ、こちらに交渉権確定という2つのサインがあるんです。
パッと開けた瞬間に、多分1つしかなかったんですけども、それが確定に見えたんでしょうね。
≫阪神の金本さんは全然確認しなかった。
真中さんが喜んだから。
自分は負けたと思ったんだね≫それで金本監督は戻って、テーブルに置いたら、周りの人が見たら当たってるって。
≫マルとかバツにした方がいいんじゃないの。
≫そうだよね、わかりやすくした方がいいよ。
≫でも当たりくじって、当たり、外れじゃないんでね、交渉権の獲得なんでね。
≫いろんなドラマがありました。
中居さん、続いてまいりましょう。
≫この彼はドラフト候補の選手じゃないんですけど今日は特別な思いでこの日を迎えました、ご覧ください。
≫今日のドラフト。
チームメイトの名前が呼ばれるそのときを、心待ちにしている人がいます真弓竜一さん。
彼は2年前、ドラフト候補として注目される存在でした。
しかし突然、難病に襲われます。
生存率は、わずか20%。
≫過酷な闘病生活。
支えにしてきたのは、もう一度野球をしたいという思い。
しかし、そんな彼を再び悲劇が襲います。
薬の影響で、体が激変してしまったのです。
さらに新たな難病の宣告。
それでも彼は絶対にあきらめません。
折れそうな心を支えてくれる仲間がいるから。
3年前、成人式で彼は大いなる夢を語りました。
当時、社会人野球の王子で主砲として活躍していた真弓竜一さん。
その明るい未来を、誰もが疑いませんでした。
しかし、この年の5月。
異変は突然襲ってきました。
試合でデッドボールを受けた竜一さん。
球は左脇腹をかすめた程度。
しかし、その傷は自分の感覚とはかけ離れたものでした。
≫なあ、ボールがかすったぐらいでこんなふうになるかな?≫おい、何だよ、そのアザ。
≫大丈夫かよ?≫だよな、かすっただけなのにな。
≫これが、そのときの写真。
≫病院へ検査に行くと、すぐに家族が呼ばれることになりました。
≫お待たせしました。
≫先生、竜一は?≫異常って何です?俺、何の病気なんですか?≫急性リンパ性白血病。
生存率20%という難病。
それでも彼は、すぐに前を向きました。
白血病の告知を受けた翌日には…始まった闘病生活。
抗ガン剤治療は11回にも及びました。
彼を支えていたのは、野球をやりたいという強い思い。
入院10カ月目には、妹、渚さんから提供を受け、血液細胞の移植も行いましたそして去年5月。
1年の入院生活を終え、退院。
1年ぶりの素振り。
もう一度、野球がやりたい。
しかし、グラウンドに戻ることはかないませんでした。
白血病の治療を終え、退院したのも束の間。
急性リンパ性白血病。
去年、1年の闘病生活を経て退院。
しかし、グラウンドに戻ることは、かないませんでした。
彼は今、再び難病との闘いを強いられています。
新たな病名は特発性大腿骨頭壊死症。
股関節の先端が壊死してしまう難病です。
白血病の後に肺炎を患い、治療のためにと飲んだ大量のステロイド薬がこの新たな難病を引き起こしました。
これは2年前の竜一さん。
大量のステロイド薬は彼の体を別人のように変えてしまいました。
白血病を乗り越えた矢先の難病宣告。
息子の無念さをお母さんは、こんな言葉で表現しました。
今、竜一さんは、歩くことすら困難なほどの激痛を感じながら生活しています。
医師からは、この先、野球をすることは無理だと告げられました。
過酷な現実の中で、病気と闘い続けている竜一さん。
野球ができない体でも、グラウンドに足を運んでいます。
一緒に野球をやってきた仲間たちに会うために。
4年間、ともにプレーをしてきた王子野球部の選手たち。
彼らがいたから、強い気持ちで病気と向き合えた。
仲間の存在が、何にも変えがたい心の支え。
病気に負けるな、グラウンドに戻ってこい、チームの誰もが信じてくれているから自分があきらめるわけにはいかない。
試合中のベンチ、いつも竜一さんのユニフォームが。
さらに選手全員の腕には彼の背番号が入ったリストバンドそこには…その言葉は、竜一さんと仲間をつなぐ合い言葉。
病床の息子に代わり、グラウンドに足を運んだお父さんは仲間たちの優しさに心を打たれたことがありました。
それは竜一さんが入院して1カ月後。
目標にしていた全国大会出場が決まったときのことでしたお父さんを見つけた仲間たちすると…≫仲間が待っている。
彼は社会復帰を目指し、厳しいリハビリを今も黙々と続けています。
そして、いつかまた、野球ができる日を信じて。
ただ、あの夢だけは仲間たちに託したい。
王子の仲間たちは今年、ドラフト候補に名乗りを上げています。
自分が果たせなかった夢の続きを、仲間たちは見せてくれるのでしょうか。
今日、運命のドラフト会議。
真弓竜一さんは、仲間が呼ばれるその瞬間を待ち焦がれています。
≫あっ!≫あっ、選ばれた。
≫自分のことのように喜んでいらっしゃいました。
仲間たちに託したんでしょうね。
≫でもすばらしいチームじゃありませんか。
≫みんなで囲んで、真弓、真弓ってね。
≫求心力のある方なんだなとつくづく思いましたね、松木さん。
≫本当に、いいチームですよね。
もうホント、涙出てきちゃう。
あれだけ頑張ってもまだまだ苦しい思いをしなければならないと思うとかわいそうですよね。
頑張ってほしいと思うよね。
≫では、その真弓竜一さん、そしてご家族とも中継がつながっています。
≫こちら真弓竜一さんの自宅です。
現在、こちらから病院に通いまして懸命なリハビリが続いています。
≫真弓さん、まずは闘病中にこの番組に出ていただきましてありがとうございます、ご家族の皆さんもありがとうございます。
真弓さん、どんな気持ちでドラフト会議をご覧になっていましたか?お仲間が指名されました。
≫本当に苦労しているところも見ているんでともに頑張ってきた仲間が、僕が行けなかった世界で活躍してくれると思うと、本当に頼もしいというか、自分が果たせなかった思いを上の舞台で果たしてほしいのが率直な思いです。
≫今、お体の調子はどうですか?≫大分、順調に回復はしてるんですけれども、VTR見てもらったとおり、ことあるごとに壁がぶつかってくるんでなかなか次に進めない状況ではありますね。
≫真弓さん、ドラフト候補と2年前、言われながら白血病と宣告されたのは本当に残酷なことだと思いますけれども、闘病する姿を見ると、本当に多くの病気と闘っている人たちの克己心というか、勇気につながっていますよ。
≫本当に自分も病気になってから、今までいろんな人からたくさんのメッセージをもらってきてそれが自分がやる元気になったというか、勇気を与えてもらったんで、これから先、数々の人に自分が勇気を与えられる人間になっていきたいと思っています。
≫古田さん、やりたくてもできない、はがゆさってあると思いますが、いかがでしょう?≫野球だけじゃないですけど団体スポーツは仲間と一緒にやってきて、苦労してその人のために、俺も頑張るし、みんながそういう気持ちでやってるのでそういう意味でユニフォームを持っているチームメイトの姿を見ると本当に愛された方であるとよくわかりますし、本当に真弓さんの頑張りがあるからこそ、チームも絶対に出てやろうと都市対抗に出てやろうと、僕も社会人でやっていたのでわかるんですが、そういう気持ちになれたと思うので、それは本当に真弓さんの頑張りがあるからだと思いますね≫チームに本当に慕われてるのがわかりましたね。
≫土屋さんいかがでしょう、同じような世代でこのような病気にかかって?≫すごく励ましになりましたし、私も頑張ろうって、すごく思いました。
≫ぜひ野球ができるまでの体に戻してほしいと思うし、俳優の渡辺謙さんも急性白血病から見事に復活されていますもんね、真弓さん。
≫自分が先に行くことによってこれからもし病気になる方がいたときに勇気を与えられると思うので何が何でもグラウンドに立てるようにこれからも頑張っていきたいと思います。
≫あと、お父様、和則さん、お仲間の優しさが伝わってきました?≫そうですね、本当に息子がこのチームに入って自分が選んだチームで間違ってなかったなって、本当にすごく思います、ありがとうございます。
≫お母様、一言お願いします。
≫病気になったから得られたものがたくさんあると思いますのでこの状況がいいとは思いませんけれども、絶対次、開けることがあると思ってますので頑張っていってほしいと思っています。
≫かげながらいつまでも応援させていただきます。
本当に皆さん、ありがとうございました。
≫励みになると思いますね。
≫笑顔を早く見せていただきたいですね。
「ドラフト緊急生特番お母さんありがとう」息子を支える家族の姿を見せていただきましたが、今回は中居さんが、あるドラフト候補選手の≫続いて、U18の代表にもなりました、そして夏の甲子園で仙台育英の準優勝の投手になりました、佐藤世那君、僕実家に行ってまいりましたどんな環境で育っているのかどんなご両親のもと、育ってきたのか。
どうやったら、ああいう佐藤世那君みたいになれるのか。
ぜひともご覧いただきたいと思います。
≫伊達政宗のおひざ元、杜の都・仙台にやってきた中居さん。
ドラフト3日前に、いきなり家庭訪問。
この夏、仙台育英を26年ぶりに決勝へ導いた佐藤世那投手。
18歳以下のW杯でもベストナインに選ばれた逸材はどんなご家庭で育ったのでしょうか?≫こんにちは、すいません。
≫優しそうなご両親がお出迎え。
≫野球とは無縁だったという佐藤家。
息子の成長とともに、今や家中、野球一色に。
≫これって?≫今、3日前になってどんなお気持ちですか?≫そもそも、なんで世那君?≫ブラジルのあの英雄のアイルトン・セナと…。
≫僕、出てなかったですね。
キムタクだ、キムタクだ。
≫2人のヒーローから名付けられた世那君。
小学3年生から野球を始め卒業のときに描いた夢は…≫もうこの時点でですか?あさってですって。
≫小学校6年生の?どのぐらい食べられるんですか?≫結構食べますよ。
≫結構っていうのはわかんないんですけど。
≫なんとママのご好意で手料理をいただくことに。
1回の食事で2枚食べるんですか?≫食事は毎日、すべて手づくり。
ママのこだわりは東北のエースを生んだんですね。
≫そこへ実際におばあちゃんも登場。
≫おばあちゃん、まだお若いですね?≫いやいや…。
≫応援に行かれたりするんですか?≫わ、すげえうまそうなんだけど。
≫でも、味はわかりませんよ。
≫仕上がりはハンバーグ専門店。
≫普段の世那君はハンバーグと山盛りご飯をさらにおかわり。
東北のエースを育て上げた愛情たっぷりのハンバーグ、そのお味は?≫ひとめぼれですから、ご飯、新米ですから。
≫家族の愛が独身の身にしみます。
≫おやつまで、なんと毎日手づくり。
≫理想のママだよね。
≫芋好きなんですよ、世那。
≫ごく普通の家庭から生まれたプロ選手。
そこには、おばあちゃんの笑顔、おいしい手料理をつくってくれる、お母さん。
そして、みんなを支えるお父さんがいました。
子どもの夢を育む秘訣は温かい家族愛なのかもしれません≫佐藤世那選手、オリックス6巡目に指名されましたよ。
≫オリックス6巡目に指名されました佐藤世那選手。
中居さん、どうでした?≫ごくごく普通のご家庭で寮生活じゃなくて、家から通って、あんなに大投手になったんですから家庭環境がよかったんじゃないかと思いますが。
≫仙台の佐藤家と中継がつながっています。
≫仙台市内の佐藤投手の自宅です。
佐藤投手も、先ほど1時間ほど前に仙台育英から戻ってまいりまして軽く夕食も食べられてホッとした時間が流れているところです。
≫先日はお父さん、お母さん、おばあちゃん、ありがとうございました、中居です。
≫どうもありがとうございました。
≫率直に6位という指名ですけれども、まずお父さん、いかがだったでしょうか?≫すんなりいかないことは想定はしてましたが、やっぱり長かったです。
≫世那君、初めまして中居です、こんばんは。
先日、お伺いしました、ありがとうございました。
今の率直なお気持ち、いかがでしょうか?≫今、ホントにホッとしてるというのが一番で、本当に選ばれてホッとしているのが今の気持ちです。
≫でも甲子園の準優勝投手だし、あとW杯でアメリカ戦で最初の初戦で3−0完封でしたから、外国選手に強いというのがあると思うんですよね。
本当に活躍、期待してますよ、世那君。
オリックス6巡目の指名というのはどんな気持ちですか?≫待っているときは不安が多かったんですけど、名前が呼ばれたときは素直にうれしくて、涙が出そうになりました。
≫よかったですね。
≫お母さん、いかがでしょう?≫待ってる時間が長くて、ああ、どうしようかなって思ってるときに呼ばれたので、すごくホッとしました。
≫息子さんに、どんな投手になってほしいと思ってます?≫みんなに愛される投手になってほしいなと思っています≫お父さん、お母さん、そしておばあちゃん、そして世那さん、ご指名おめでとうございます。
待ったかいがありました。
≫今回は選手の実家で取材させていただいて中居さんも人生観変わったんじゃないですか?≫本当においしいご飯で、あんな家庭環境だったらいいなと思いますね。
≫土屋さん、東国原さんからお知らせがあります。
日曜9時からの「下町ロケット」、今週第2話です、見どころを教えていただけますでしょうか?≫今週放送の第2話では阿部さん演じるお父さんと私が演じる利菜の親子愛が描かれます。
法廷で証言されるお父さんに伝わる利菜への思いだったりとか、あとは、家族みんなで楽しめる、明日も頑張ろうって思える、すかっとするドラマになっているのでぜひお楽しみください。
≫この空気感で何で番宣なのか。
わかってるんですよ、無言のね。
でもまあ、今日のドラフトのドラマに負けないようなドラマになってますからぜひご覧になってください。
≫ドラマ「下町ロケット」第2話は日曜夜9時から15分拡大です、お楽しみに。
≫1回目、見応えありましたからね。
≫夢と志がキーワードになっていますね。
≫皆さんに伺いましょうか、松木さん。
≫本当に最高ですね、今日からスタートですからねここから頑張ってもらいたいと思います。
≫仲間もいらっしゃると思いますんでね。
≫もう本当に、応援したいって思いと、あと、ホントに子育てもいろいろ考えるところがありました、自分の。
≫本当に愛情たっぷりの番組ですごく励ましになりましたし私も頑張ろうと思いました、ありがとうございました。
≫ここは通過点ですからね。
ここから新たなドラマがありますから。
それは我々は注視していきたいと。
≫本当に家族の思いもありますので、みんな、頑張ってもらいたいと思います。
≫今年のドラフト会議も終わりました。
たった今、新たな物語の幕が上がりましたね。
また来年もこの時間にお会いしましょう。
どんな物語が待っているでしょうか。
2015/10/22(木) 19:00〜21:49
MBS毎日放送
ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう 夢を追う親子の壮絶人生ドキュメント[字]
「プロ野球選手になりたい」悲劇や挫折を乗り越えプロ野球への夢を追いつづけた親子の物語。親子の夢は今夜かなうのか? 運命のドラフト会議当日の緊急特番
詳細情報
出演者
中居正広・堀尾正明・古田敦也・松木安太郎・東国原英夫・高畑淳子・山口もえ・土屋太鳳
番組内容
夢のプロ野球選手へ。家族たちとの人生ドキュメント。今夜夢をかなえる選手と家族たちの物語。運命の瞬間を生中継…
他界した母との約束…。病床の父の思いを背負いプロ野球選手へ…。
番組内容2
▼甲子園をわかせた男オコエ瑠偉が生出演!
▼大病と闘う元巨人父…息子を必ずプロ選手に!二人三脚でめざした夢
▼鎌倉時代から700年!守り続けた神社の宿命…神主か?野球選手か?
▼生存率20%の白血病・・俺はまだあきらめない
▼空白14年間に何が?奇跡…行方不明の父が見つかった
おことわり
番組の内容と放送時間は変更になる場合があります。
ジャンル :
スポーツ – 野球
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
福祉 – 文字(字幕)
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