遺棄化学兵器問題 化学兵器は誰が「遺棄」したのか
遺棄化学兵器問題
化学兵器は誰が「遺棄」したのか
日本軍の弾薬庫から持ち出して、被害を受け、さらに埋めたり、川に流したりした化学弾まで日本が探せと東京地裁は言うのか。
旧日本軍の化学兵器を巡る問題が相次いで起こっている。九月三十日に東京地裁で中国人被害者への賠償判決が出され、十月十九日に旧満洲チチハル市で化学剤によると思われる被害者が出たことに対して政府が三億円の支払いを決定するなど、注意を要する動きが続いている。むろん、その背景には化学兵器が問題になる都度持ち出される、化学兵器禁止条約に基づく、いわゆる「遺棄化学兵器」の処理の問題が横たわっていることは言うまでもない。
これらの事件について、大方のマスコミ論調を総合するとほぼこんな具合になるだろう。旧日本軍は、敗戦時に大量の化学兵器(毒ガス弾など)を中国に「遺棄」してきた。その数は日本政府の推定でも約七十万発、中国政府は二百万発と言っている。日本政府は平成七年に批准した化学兵器禁止条約によって、その化学兵器の回収・廃棄が義務づけられているが、ほとんど進んでおらず、廃棄期限の二〇〇七年まで終わりそうにない。その一方で、放置された化学兵器によって被害が続いている。中国政府はこれまでに約二千人が被害を受けたと主張しており、現に今年夏のチチハルの事件では死者も出た。中国人被害者からは訴訟も起こされ東京地裁は国に損害賠償を命じた。日本政府は被害者を救済するとともに、一日も早く毒ガス弾を回収・処理すべきだ――と。
紙面を見れば、チチハル市のケースでは「旧日本軍毒ガス 中国で死者」(朝日)、東京地裁の判決では「遺棄毒ガス 国に賠償命令」(読売)など、「毒ガス」という見出しの大きな文字が目に付く。「毒ガス」と言えば、オウム真理教のサリン事件やフセインのイラクを思い起こして、おどろおどろしいイメージしかない。しかし、だからといって歪められた事実認定に立って国際約束が歪曲され反故にされていいはずがない。
そこで、これら最近の動きを巡って、何が論点であり、踏まえるべき事実は何であるのか、さらには「遺棄化学兵器」問題の核心は何なのか、整理してみたい。
◆「賠償放棄」を無視した判決
まず、東京地裁の判決について検討してみよう。これは、日本軍が残していった化学兵器などによって被害を受けたとして、中国人被害者と遺族が損害賠償を求めたのに対して、東京地裁がその請求をほぼ全面的に認め、慰謝料として総額約一億九千万円の支払いを国に命じたというものである。
その判決理由は多岐にわたって非常に複雑だが、大まかに言うと(朝日掲載の判決要旨による)、日本は国際法に違反する危険な毒ガス兵器を中国に「遺棄」「隠匿」した。毒ガス兵器は危険なもので、住民に危険があったことは予見できたはずである。被告(日本政府)は、主権が中国には及ばないから回収はできないと言うが、旧軍関係者などを調査すれば、「遺棄」状況が把握できたはずであり、そうした具体的な情報を中国側に提供していれば、安全に処理されて被害を回避できた可能性がある。従って、その義務を果たさなかった日本政府の「不作為」は違法であり、賠償の義務があるというものである。
逐一反論はしないが、この裁判官の頭はどうなっているのか見てみたいほどの暴論である。
まず、中国は日本に対する「戦争賠償」を放棄しているが、この判決はその事実をいとも簡単に無視してしまっている。日本と中華人民共和国は交戦状態にあったことはないが、ともかく日中間の戦争に関わる諸問題は昭和四十七年の日中共同声明によって終結している。日中共同声明第5項には、「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と明記されている(ちなみに、日本はサンフランシスコ条約で請求権を放棄している)。
賠償の放棄とは、戦争に関わる被害に対して一切の請求権を放棄するということであり、言葉を換えて言えば、それ以後は戦争に起因する問題について相手国に請求せず、仮に戦争に起因する問題が起こったとしても自国において処理するということである。
例えば、米軍が投下した爆弾も、ガス弾と同様に危険である。ならば、空襲の不発弾によって被害が出たとして、アメリカに損害賠償を請求できるのか。また、米軍はこことここに爆弾を投下したという情報を日本側に提供していなかったから不作為だという主張が成立するかどうかを考えればよい。そんな理屈は到底成り立たない。日本はサンフランシスコ条約において請求権を放棄しており、それゆえ不発弾発見の度に日本の責任において処理しているのである。
それはアメリカ側とて同じで、例えばカリフォルニア州が州法で損害賠償が可能だとしたため日本企業に対して戦時中に強制労働させられたというアメリカ人の元捕虜たちが損害賠償訴訟を起こしていたが、この十月六日、アメリカの連邦最高裁判所が、「損害賠償請求を認めたカリフォルニア州法は違憲」との判断を下した。つまり、連邦政府はサンフランシスコ条約で日本に対する請求権を放棄しており、損害賠償請求を可能とした同州法は違憲だと判断したのである。
また、日本は旧満洲にあった企業や個人の資産はすべて放棄させられた。公的資産以外の接収は国際法違反だが、それでも一応日本は請求権を放棄しているから、そうした議論は成立しないと日本政府は説明している。
だから、日本政府もこの原則を一貫して維持してきた。例えば、平成七年二月二十八日の参議院外務委員会において、中国における遺棄化学兵器の犠牲者は二千人以上にも上っていると言われているが、その補償問題はどうなっているのかという質問に対して、外務省の川島裕アジア局長(当時)は、「国際法上から申しますと、……戦争にかかわる日中間の請求権の問題は一九七二年の日中共同声明発出後存在していないというのが従来よりの立場でございます」と明快に答弁している。
◆国際法違反でなかった化学弾保有
それでも、毒ガスなどは当時も国際法違反なのだから、また新しい化学兵器禁止条約で中国に残した化学兵器は廃棄することが義務づけられているのだから、戦後処理の枠組みとは別に被害者への補償を行うべきだという主張もある。しかし、こうした思いこみには間違いがある。
まず第一に、大東亜戦争当時、化学兵器を持つこと自体は国際法違反ではなかった。化学兵器については一九二五年にジュネーブ議定書が発効しているが、その議定書が禁止しているのは、毒ガスとその類似物質を戦争で使用することであり、開発・製造・貯蔵は禁止されていないかった。そればかりか、使用についても、議定書の当事国以外は使用禁止の対象でなく、そのために未批准国も多く(日本を含めた戦争当事国の多くが批准していない。日本が批准したのは一九七〇年、アメリカは一九七五年)、結局、この議定書は「単なる事実上の『先制不使用』合意に過ぎなかった」(F・クロディー『生物化学兵器の真実』)。つまり、相手国が使用した場合であれば、戦争使用でも明確な違反とはならないということである。
従って、旧日本軍が火薬庫に化学弾を貯蔵していることは決して違反ではないし、仮に使用したとしても、その法的責任は「賠償放棄」という戦後処理によって終結している。ちなみに、当時も国内の暴徒鎮圧用に使用が認められていた催涙剤や嘔吐剤などを使った非致死性ガス弾(ガス筒)を日本軍が使用していたことは確認されているが、それ以外の致死性兵器の使用については使用の可能性はあるが、確認されていない。
むろん、現在は平成九年に発効した化学兵器禁止条約によって、戦争使用はもちろんのこと、開発、生産、取得、貯蔵、保有もすべて厳格に禁じられている。日本が、いわゆる「遺棄化学兵器」の廃棄を義務づけられたのもこの条約によってだが、しかし、この条約を理由に被害に対して何か責任が生じるというのは見当違いと言うべきであろう。
というのは、残した化学兵器による被害にわが国がなんらかの責任を持つということは化学兵器禁止条約には規定されていないし、その趣旨でもないからである。この条約は、「化学兵器の開発、生産、取得、貯蔵、保有、移譲及び使用の完全かつ効果的な禁止並びに廃棄」(条約前文)つまり、完全禁止が目的であり、旧日本軍の化学兵器も「老朽化した化学兵器」として廃棄対象に含まれるというだけである(条約第二条5b)。むろん、「老朽化した化学兵器」の被害に対する補償などこの条約には含まれていない。日本が行っている廃棄作業とは、まさにこの化学兵器禁止条約に基づいて行っているのであって、この条約によって日本の過去が問われているわけでも、日中共同声明が変更されたわけでもない。
その意味で、化学弾といえども、あくまでも先に述べた戦後処理、つまり「戦争賠償」(請求権)放棄の範疇にあり、それによる被害救済は中国が国内法によって負うべきものなのである。
◆誰が化学弾を持ち出したのか
さて、そこで問題となるのが、「遺棄化学兵器」である。化学兵器禁止条約は、次のように規定している。
第二条6 「遺棄化学兵器」とは、千九百二十五年一月一日以降にいずれかの国が他の国の領域内に当該他の国の同意を得ることなく、遺棄した化学兵器(老朽化した化学兵器を含む)をいう。
ここで、現在中国が指摘している化学兵器が、この「遺棄化学兵器」に当たるのかどうかという問題が出てくる。つまり、日本軍は敗戦時、大陸は蒋介石軍に、旧満洲ではソ連軍に降伏し、武装解除を受けている。だとすれば、化学兵器も当然武装解除の際に蒋介石軍なりソ連軍に引き渡されていたはずであり、決して「遺棄」したものではないというわけである。その議論の前に(次回予定)、中国が主張している化学兵器による被害なるものの事情を紹介しておきたい。というのも、これは「遺棄」にも深く関わる問題でもあり、先の地裁判決の根幹にも関わる問題だからである。
旧満洲の化学兵器被害については、聞き取りなどの調査を行った黒龍江省社会科学院歴史研究所副研究員である高暁燕という人物が書いた『日本軍の遺棄毒ガス兵器』(平成八年・明石書店)という本が出ている。そのなかにはいくつかの実地検証の話が出てくるが、旧満洲北部でロシア国境にも近い黒龍江省孫呉県での話として、一九五四(昭和二十九)年の四月に「孫呉県武装部」が上級部門に提出したという毒ガス弾処理の報告書が紹介されている。
それによると、孫呉県内にある旧日本軍の砲弾の大多数は榴弾だが、そのなかに「毒弾合計五一三発」と「毒ガス筒四箱」があった。それは西山一八倉庫、「人民大衆が持っている廃弾」、あるいは購買共同組合などが人民から「買い取った廃弾」のなかから見つかり、「これらの毒弾の主要来源は過去チチハル市一五機械工場が、我が県で鋼材の外皮を買い上げようとしたとき大衆が一八倉庫から拾い出してきたが、売れ残ったものである」という。報告書は「一八倉庫」とは日本軍の火薬庫のことだというのだから、旧満洲の「人民大衆」は、日本軍降伏後に火薬庫から化学弾を含む砲弾を持ち出し売っていた、もしくは売るために持っていたということになる。
そこで、「大衆に理由を詳しく話し、毒弾の危険性を説明して、自発的に出させた」化学弾を、穴を掘って埋め「埋設後、有刺鉄線で囲み、標識を立てた」と報告書には記載されているという。この孫呉の化学弾は、平成十四年度に日本の手で発掘され、保管されている。
◆被害救済は誰の責任か
孫呉だけでなく、高氏の聞き取りのなかには、日本軍の撤退のあと、「大衆」が日本軍の弾薬庫から持ち出したという証言がいくつも出てくる。
孫呉よりさらに北、黒龍江に面する黒河という町での聞き取り調査では、当時六、七歳だったという人物が「日本人が逃げる時の状況をよく覚えている。……日本人は兵営の中に物を投げ出して逃げたが、ソ連の軍隊が大体持ち去った。私たち民衆はその後を拾ったが、その時は何も拾うものがなかった。私も大人について一日中南山大営(引用者注・日本軍の兵営のこと)のなかを巡り歩いた」と述べている。その後、この兵営跡で小さめだが立派なドラム缶を見つけ、何かの容器に使えると考えて持ち帰った。それで被害が出たのだが、そのドラム缶は家の裏に埋められたという。
また、高氏の本によると、別の村から来て同じ兵営で同様のドラム缶二個を「拾った」(?)人物もいて、ここでも被害が出るのだが、そのドラム缶は黒龍江に捨てられている。
さらに、こうして持ち出された化学弾を含む砲弾は、さらに「流通」していっている様子が、高氏の聞き取りからうかがえる。
同じ黒龍江省拝泉県での被害の聞き取りでは、七〇年五月に「公社の炉(鍛冶の炉)で何人かの職人が忙しく仕事をしていた。彼らは各地から買い集めた廃鋼材で農機具を加工していた。当時は廃鋼材はあまり充分ではなく、大部分は各地の廃品集積場から買ってきた旧砲弾が使われていた。その時は公社の鍛冶炉も集団所有になっていたから、毎回買うときは大量の砲弾を一度に買って、庭に何十発も積み上げて置いた。毎回まず砲弾の底を鋸で引いて中の爆薬を出し、それから鋤の底や鎌、包丁などに加工した」。そのなかに化学弾があったというのである。
さらに、被害を受けた黒龍江省双陽県の鍛冶職人は「あの年だって砲弾で農機具を作るのに沢山の砲弾を見てきた。あの砲弾も県から廃棄鋼材として買ってきたんだよ。県はまた富裕県から買って来たのさ」と述べている。
このように、戦後の旧満洲では七〇年代でも人民公社の鍛冶屋が旧日本軍の砲弾で、鎌や鋤を作るケースが多くあり、それゆえ弾薬庫などから持ち出されたということである。しかも、軍などの組織が回収して埋められたケースもあるが、裏庭に埋めたり、河に捨てたりもされている。
降伏後の化学弾の在処を知っているのは「人民大衆」なのであり、旧日本軍でないことは明かではないか。ところが、東京地裁の裁判官は、旧日本軍関係者などを調査すれば、遺棄状況が把握できたはずであり、そうした具体的な情報を中国側に提供していれば、安全に処理されて被害を回避できた可能性があるというのである。東京地裁の裁判官は、「人民大衆」が弾薬庫から持ち出し、地中に埋めたり、河に捨てたものまで探せというのだろうか。
また被害救済の責任は一体だれにあるのだろうか。高氏によると、昭和二十六、七年ころから被害が出て、省政府や軍は調査をしていたという。しかし、昭和四十七年の「賠償放棄」の際に化学弾の話は出ておらず、非公式に日本政府に伝達されたのは平成二年十二月になってからだった。つまり、その間、中国政府は、国民に被害が出ていても、その救済は行ってこなかったということになる。だとすれば、中国政府は被害は日本に請求しろとばかりに被害者を放置してきたということではあるまいか。
今夏のチチハルの事件も、これまで紹介してきたケースとよく似ている。詳細な事実関係はまだ分からないが、地下駐車場の建設現場でドラム缶五缶が掘り出され、その一部から液体が流れ出た。それによって、作業員らが頭痛やおう吐の症状を訴えたという。のちに日本側の専門家が確認したところ旧日本軍の「びらん剤」だったという。しかし、この時点で当局に通報されたわけでもなく、作業が中止されたわけでもなさそうである。というのも、そのドラム缶は廃品回収業者に売り払われているし、建設廃土は他に持ち出されているからだ。その結果、ドラム缶を買い取った廃品回収業者はこれを解体しようとして、「びらん剤」を浴びて死亡した。びらん剤は、サリンなどと違い致死性の化学剤ではないが、それを全身に浴びれば死亡する。また、びらん剤がついた建設廃土は市内各地で使われ、さらに被害が広がったという(朝日新聞・八月二十三日)。
それに対して、政府は「遺棄化学兵器処理事業にかかる費用」として三億円を支払い、中国側はこのカネを「関係諸方面に適切に配分する」のだという。しかも、福田官房長官は、この決定前の十月二日に衆議院イラク復興支援・テロリズム防止特別委員会で実に奇妙な答弁をしている。
「我が国は、一九九七年に化学兵器条約を結びました。……我々の遺棄兵器による被害がなくなるように努力をしている。したがいまして、もし問題が生ずるとすれば、九七年以降に起こったことについての責任というものは生ずるだろうというふうに思っております」と。
三億円決定の背景にこの福田答弁があることは確かだろう。条約上、問題はあるがとりあえずの廃棄義務は日本にある。しかし、これまで述べてきたように、被害の救済は中国政府の義務であり、それが「賠償放棄」の日中共同声明の趣旨でもある。救済の責任が日本にあるとするのは、放棄されたはずの賠償の肩代わりに他ならない。福田長官は、日中共同声明の意味を変更しようとしているのではあるまいか。(『明日への選択』編集長 岡田邦宏)