(女性)黙祷。
御嶽山の噴火から1年がたちました。
秋の行楽シーズン観光に訪れた登山者を突然襲った噴火。
58人が亡くなり5人が行方不明のままです。
私は今御嶽山の麓にある献花台の前にいます。
花や折り鶴そして手紙などがささげられています。
残された人々の悲しみを強く感じる場所です。
大切な人の突然の死。
あの日大好きな山でどんな時を過ごしたのか。
そして噴火の時最期に何を思ったのか。
亡き人を思い続けた遺族の1年を見つめます。
先月ようやく弟の遺骨を墓に納めました。
2人で御嶽山に登り噴火に巻き込まれました。
洋海さんの遺体は噴火直後に見つかりましたが哲也さんは行方不明のままでした。
噴火から10か月。
再開された捜索で哲也さんの遺体が見つかりました。
(猪岡)やっと二人の名前が並んでしっかり入ったんで良かったと思います。
哲也さんと共に身につけていた遺品も戻ってきました。
火山灰で汚れたリュックサックや登山靴。
ストックは衝撃で折れていました。
これがあの…山に行く時哲也さんがいつも大切に持ち歩いていたカメラです。
噴火するまでの二人の様子が克明に記録されていました。
紅葉に染まる御嶽山。
雲一つない秋の空。
写真は200枚に上ります。
カメラにほほ笑む妻の洋海さん。
噴火の40分ほど前の写真には哲也さんの最後の姿もありました。
残された写真を前に孝一さんは改めて悲しみと向き合っています。
噴火から1年火口から1キロの範囲は今も立ち入る事ができません。
その御嶽山の麓に毎月通い続ける人もいます。
愛知県に住む…噴火で息子を亡くしました。
息子の祐樹さん。
恋人と二人で御嶽山に登り4日後山頂で遺体となって見つかりました。
あの日息子はどんな時間を過ごしたのか。
所さんは当時を知る人を訪ね続けています。
この日会ったのは山頂で噴石が飛び交う中とっさに岩陰に身を隠し九死に一生を得た男性でした。
噴石で亡くなった祐樹さん。
視界もきかず身動きもとれない状況にいた事を知りました。
逃げ場がない中息子は何を思ったのか。
次に会ったのは祐樹さんと同世代の若者です。
山頂付近の山小屋に避難し助かりました。
女性が話してくれたのは死を覚悟した時に湧き上がってきた両親への思いでした。
そういう状態の時にやっぱり…息子の突然の死とどう向き合えばいいのか。
所さんは今も自らに問い続けています。
山頂は雲に隠れてはっきりとは見えませんが御嶽山は今も噴煙を上げ続けています。
こうした中麓の人々の苦悩は続いています。
観光資源として多くの恩恵をもたらしてきた御嶽山。
その一方で去年の噴火は活火山であるという現実を私たちに改めて突きつけました。
麓の今を見つめます。
噴火以降麓の暮らしは一変しました。
訪れる観光客が激減。
観光を要とする麓の産業は窮地に追い込まれています。
比較的登りやすく四季折々の景色を楽しめる御嶽山は地元にとって欠かせない観光資源でした。
駐車場に止めきれないほどだった車も今年はほとんど見当たりません。
木曽町が所有する…運営を任されている会社の社長…噴火の前は年間10万人が訪れていましたが今シーズンは大幅に減少しているといいます。
(今)土曜日の日でこれ4,750円ですね。
これだけの施設で運営を行っていてですね。
赤字を僅かでも埋めようと今さんはこの夏新たに弁当作りの事業を始めました。
御嶽山に人が来ない中で他の地域を訪れる観光客に販売しようと考えたのです。
弁当は1個600円。
利益は多くても一日1万円ほどだといいます。
どうすればかつての暮らしを取り戻せるのか。
麓の人たちはこの1年御嶽山に頼らずに生きる道を探ってきました。
常に観光パンフレットの表紙で在り続けた御嶽山の写真。
噴火後初めて別の写真に差し替えました。
更にカヌーやそば打ち体験などを打ち出しましたが人を呼び戻す事はできませんでした。
もう一度御嶽山と共に暮らす道はないのか。
今模索を始めています。
この日観光パンフレットの表紙を御嶽山に戻そうという話し合いが行われていました。
担当者が示したのは噴煙を上げる御嶽山の姿でした。
表紙に使う写真を巡り意見が飛び交います。
この日の議論では御嶽山のありのままの姿を伝える事が必要だという意見が多くを占めました。
私もちょっとさっきの…黙祷。
現実とどう向き合い暮らしを立てていくのか。
人々の心は今も揺れ動いています。
今日本中の火山の動きが活発化しています。
こちらをご覧下さい。
赤い丸が活火山です。
日本中に110あります。
そして黄色い三角で示したのはこの1年間に噴火した火山です。
浅間山箱根山阿蘇山など8つの山が噴火しました。
火山の噴火は登山者麓に暮らす人々そして温泉など観光に訪れた客など私たち一人一人に大きな被害をもたらします。
去年の御嶽山の噴火はその影響の大きさを私たちに気付かせました。
噴火の記憶を風化させてはならない。
あの日山頂で噴火に巻き込まれた女性が自らの体験を語り継ぐ活動を始めています。
噴火の時山頂にいた…近くの岩陰に身を隠し噴石の中を生き延びました。
登山者に自らの経験を伝える活動を始めています。
(小川)ちょっと回してもらっていいですか?小川さんが噴火から得た教訓。
それは火山に登る時常に危機意識を持つという事です。
噴火の瞬間登山者の多くが噴煙を見上げたまま動く事ができなかったという小川さん。
その中には助かった命もあったのではないか。
今も考え続けています。
小川さんが特に力を注いでいるのは若い世代に語り継ぐ事です。
頑張って。
御嶽山から程近い木曽駒ヶ岳。
この日学校行事で登山する地元の中学生を案内しました。
小川さんはこれまで山岳ガイドとして山の魅力ばかりを伝えてきたといいます。
(小川)お疲れさまでした。
しかし山頂で語り始めたのは噴火の日の事。
山は時に命を奪うという事を心に刻んでほしいと考えているからです。
・黙祷!一人でも多くの登山者に生きてほしい。
小川さんの願いです。
噴火から1年。
御嶽山はあの日と同じように紅葉のシーズンを迎えています。
私たちはこれまで放送を通じて信州の山の魅力や美しさを伝えてきました。
しかし山はいつ何があるか分からない危険と隣り合わせの場所である事も事実です。
火山と共に生きる。
私たちはその意味を今改めて考え続けそして伝えていこうと思っています。
今日最後にお伝えするのは麓の子供たちです。
噴火を機に御嶽山と向き合い共に生きていこうと歩み始めています。
御嶽山の麓に暮らす子供たち。
この1年ふるさとと向き合い続けてきました。
噴火以降活気が失われた村。
歌を作り元気づけたいと考えました。
おはようございますいらっしゃいませ。
御嶽山の噴火を村の人たちはどう受け止めているのか。
子供たち自ら聞いて回りました。
御嶽山は麓の人にとってなくてはならない支えだと気付かされました。
噴火した山も大切なふるさと。
決意を込めて「御嶽」の文字を刻みました。
・「自然が豊かで人が優しい」・「昔ながらのつけものの味」・「すばらしいこのふるさと」・「あたりまえと思っていないかい?」・「お山はなにを教えてくれたのか」・「一人一人の答えはちがうでも」2015/10/19(月) 15:15〜15:41
NHK総合1・神戸
ろーかる直送便 知るしん。信州を知るテレビ「御嶽山噴火から1年」[字]
戦後最悪の火山災害となった御嶽山噴火から1年。地元では、噴火の影響が今も続いている。番組では、関根キャスターの現地リポートも交え、御嶽山の麓の今を見つめる。
詳細情報
番組内容
戦後最悪の火山災害となった御嶽山噴火から1年。58人が死亡、今も5人が行方不明のままだ。突然の噴火で家族を失った遺族・行方不明者家族の悲しみは今も続いている。また、御嶽山を観光の柱に据えてきた地元の人たちの暮らしは、噴火以来、一変。訪れる観光客が激減し、1年経ったいまも町に深刻な影響を及ぼしている。番組では、関根キャスターの現地リポートも交え、噴火から1年がたった御嶽山のふもとのいまを見つめる。
出演者
【出演】関根太朗
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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