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はてな村定点観測所

汚物を消毒します

「添え膳食わぬは男の恥」の暗号をデコードするのは難解すぎる

女性の部屋に男を入れたらセックスOKなのか

はてな女子の方々が、「女性が部屋に男を入れたとしてもセックスOKとは限らない」「女性は添え膳を提供する側ではない」というお話を書かれていたので、自分の体験談を書いてみる。

toianna.hatenablog.com

kutabirehateko.hateblo.jp

高校性の時に彼女から「ホテルに行く?」と誘われて断った

以前のブログで記事を書いた記憶があるけど、相馬高校時代には新聞部と演劇部に所属していた。福島県の新聞部には福島県新聞連盟(県新連)という集まりがあって、福島県の新聞部の高校生達が2泊3日くらい旅館で合宿しながら親睦を深め合う大会があった。

思春期の高校性の合宿だから、当然夜になるとみんな男部屋と女部屋を行き来していた。相馬高校の男部屋にはいわき市の勿来工業高校の女の子達が遊びに来た。その中の1人から私が「中学時代に好きだった人に似ている」と言われて告白された。初めての彼女が出来たときだった。

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県新連の大会の後も、お互い福島県の浜通りだったので、いわき市に会いに行ったり、相馬市に会いに来たり、一緒に仙台の光のページェントを見に行ったりした。ただ、次第に何となく会話や関係が合わなくなってきた。自分はゲーテやランボーの詩集の話を彼女にしたのだけど、彼女はアイドルやお笑いの話が多かった。

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お互いのコミュニケーションがうまく通じない中で、いわき市でデートしたのだけど、唐突に彼女が下を向いて「ホテル行く?」と言った。その時、私は童貞だったのでビックリした。

私は彼女に「ホテルで避妊して性行為をしても妊娠する可能性がある」「処女で純潔を守ることは大事だから本当に一生2人で暮らす覚悟が出来るまで信頼関係を築いた方が良い」「2人でそういう精神的な繫がりをつくっていきたい」と力説してホテルに行くのを断った。本当はすごく行きたかったけど。

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その翌日、彼女から電話が掛かってきて「別れよう」と言われた。「考えていることが違いすぎる」のが理由とのことだった。彼女の心を汲み取ることに自分は失敗した。

埼玉の子・大学の子

その後、高校性雑誌創刊計画で知り合った埼玉県吉見町の彼女と遠距離恋愛をして、私は彼女の隣町の東松山市にキャンパスがある大学に進学した。彼女は溶血性貧血で1年間入院したことがあって、それで同い年だけど学年が一個下だった。溶血性貧血が再発したら助からないという話を聞いて、一生彼女の側にいようと思った。

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東松山市は池袋から急行電車で1時間の熊谷に近い町だったけど、相馬より発展していて「ついに自分も東京圏に住むのだ」「彼女との甘い生活が待っている」と感激した。しかし、彼女と近距離恋愛になるとお互いの嫌な面が見えてしまって、結局は大学入学から数ヶ月で別れることになってしまった。

大学に通う目的があんまり感じられなくなった。でも同じクラスにすごく天然な不思議な子がいて、その子が何か大きな悩みを抱えて困っていたようだったので、その子を励まそうと思った。何度か自分のアパートに呼んだり、その子のアパートに行ったりして、突然泣き出したのを優しく抱きしめたりした。肉体関係はなかった。

後から聞いた話だけど、大学の子はサークルの男の子から振られたから悲しんでいて、他にも色々な男性に気のあるように声を掛けていて、私と会った後に私の大学の親友と会って裸で抱き合っていた話を聞いた。

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大学1年生の夏、大学の好きなことが親友と「裸で抱き合っていた」という話を聞かされたときはショックだったけど、その親友とはバイクでツーリングして軽井沢に行って仲直りをした。それでも彼女を励まそうと思って、帰省先の北海道から帰ってくると聞いて、羽田空港まで行ってロビーで彼女を探した。携帯電話を持っていなかったので8時間待っても見つからなかったけど。

千葉から会いに来た子とテレクラの子

何となく大学生活に孤独を感じるようになって、高校性雑誌創刊計画の時に手伝ってくれた千葉の女子高生→専門学校生の子に手紙を送ってみた。高校時代に私に会いに相馬まで来てくれた子だった。援助交際をやっていて、その時の心の傷などを高校性雑誌創刊計画に投稿してくれた。

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千葉の専門学校生の子に手紙を送ったら、私が埼玉の彼女と別れたことを驚かれて、「大丈夫?」と聞かれた。「すごく心が苦しい」と自分が手紙を送ったら、「励ましに行くよ」と返信が返ってきて、千葉の我孫子市から埼玉の東松山市の私のアパートまで会いに来てくれた。

千葉の子とアパートでお酒を飲んで、お互い高校時代を思い出しながら楽しく話した。近況を聞くと、「専門学校で私のことを好きな人がいて、いつも言い寄ってくる」と言っていた。その後に千葉の子と2人で同じ布団で寝たのだけど、専門学校で知り合った男と付き合い掛けているなら、それを見守らねばと思って何もしなかった。翌日、彼女は笑顔で千葉へ帰っていった。

それが千葉の子との最後の思い出になった。それ以後、自分から手紙を送ったり電話を掛けても、千葉の子から返事が来ることはなかった。一緒の布団で寝たとき、抱きしめていたら良かったのだろうか…。

さらに追い詰められた自分は、当時まだ流行っていたテレクラに電話をした。ビデオショップでテレクラのカードを買って、その番号に電話を掛けると伝言ダイアルを残すことが出来た。その伝言ダイアルを聞いて、女性からも伝言ダイアルが残されるシステムだった。

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「寂しいので東松山の近くで会える人を探しています」という私の伝言ダイアルに、1件女性からメッセージダイアルが入ってきた。東松山市の2つ隣の町の鶴ヶ島市の女子高生からだった。それでお互い会おうということになって、駅の公園で会った。

その女子高生はすごく肉体的な感じの子だった。テレクラなどで色々なおじさんと知り合ってホテルに行っていると言ってた。学校にはあんまり行ってないらしい。ドラッグも少しやっていると言ってた。家に帰りたくないというので東松山のアパートに泊めたら、向こうから誘ってきた。

自分の初体験は埼玉の彼女だと思うのだけど、1回だけでうまく入れられたかどうかも分からないまま終わった。初めての性体験という点ではこの鶴ヶ島の女の子なのかもしれない。

その後も「さいとうさんには恋愛感情は持ってないけど、気持ち良かったから会いたい」という連絡が来た。自分は「恋愛感情なしに体だけの関係なんて虚しいだけだから、会うのはやめよう」と断ってしまった。その後、1回だけ鶴ヶ島の子に電話をしたことがある。風俗で働いていると言ってた。

包丁で自分の手首を刺した

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その後、私は大学で「日本の過去の戦争を賛美する軍国主義者」として留学生団体から抗議されて、完全に大学に通う気持ちを失って中退して東京に引っ越した。その時に支えになってくれたのは、ネットで知り合った「あんじぇ」という岩手県の主婦だった。あんじぇとの思い出に関しては過去のブログで書いたのでアーカイブをリンクしておく。あんじぇは薬とお酒を一緒に飲んでいた。

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自分は「あんじぇ」と東京で会うこともできず、別な友人から「お前のことを叩き斬ってやる」と言われて、自殺しようと思って自分の手首を包丁で刺した。私が精神科に通うきっかけになった。

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私が失意のどん底から立ち直る機会を与えてくれたのは民主党だった。2000年に森総理の「神の国発言」で衆議院が解散した。私は大学時代の友人の勧めで八王子のタコ部屋に毎日泊まって選挙運動をした。

「添え膳食わぬは男の恥」はある

自分の女性経験を振り返ってみると、「添え膳食わぬは男の恥」の機会はけっこうあった。そしてその機会を私は完全にデコードすることに失敗して、もしかしたら真っ当に生きられたかもしれない道を踏み外すことになった。

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現状のジェンダー構造が存続している限りにおいて、男がアクションを起こさなければならない場面は存在する(そうではない場面も存在する)。それをデコードできる力がないとメンヘラになる。コンテキストは大事なのだ。