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漂流インゼル

「どうでもいいこと」をもう一度考えてみる

「倒れても、また起き上がる」という信仰

今週のお題「おすすめの手土産」

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私のプロフィール画像の起き上がり小法師は、福島県会津の手土産です。起き上がり小法師には「倒れても、また起き上がる」といういいイメージがあり、私は青色が好きなのでけっこう気に入っています。

「倒れても、また起き上がる」の根拠は?

「倒れても、また起き上がる」というのは倒れた者の希望です。この希望は、倒れたものが実際に起き上がったということから演繹的に導かれるわけではありません。なぜなら、倒れた者が必ずしも、また起き上がるとは限らないからです。むしろ、倒れたことに絶望して、そのまま倒れたままでいる者の方が多いでしょう。「倒れても、また起き上がる」という希望があることによって、倒れていた者が実際に起き上がるのです。

努力が先か、希望が先か?

私たちは、希望によって努力し、努力することによって希望を生み出します。では、希望と努力がどちらが先なのでしょうか? これは「鶏が先か、卵が先か」とほぼ同じ話なので、考えるだけムダです。しかし、希望によって努力し、努力することによって希望を生み出すということは正しいことです。そして、努力はある種の自己否定であって、痛くて、怖いものです。対して、希望は痛くも怖くもありません。ならば、私たちは希望、言い換えれば「倒れても、また起き上がる」というある意味での「信仰」を持ちながら生きていくべきではないでしょうか。