・「ほぼ日」がはじまって以来、17年と5ヶ月くらい、
この「今日のダーリン」というコラムみたいなものは、
一日も休まずに、毎日ずっと続いています。
「どうしてそんなことができるんですか?」と、
なかばあきれられながら質問されたりもします。
いろんな答え方があるのですが、
最初に「ほぼ」と言ったのがよかったんじゃないかな。
いちばん大きな理由は、それだったと思います。
「ほぼ日刊」と名付けたときには、
「真に日刊」だの「絶対日刊」だのは無理だと、
ふつうに、そう思っていたのです。
「ほぼ」という二文字が付いていることで、
いつでも休めると思いながら書いていられました。
いつでも休める、と思ったら、気が楽です。
じぶんで決めればいいのですから。
そう思ったら、「いつ休もうかなぁ」と、
いつかくるその日のことが、たのしみになりました。
「ほぼ日」に「ほぼ」と付けていて、ほんとによかった。
「電線にとまっているスズメは、なぜ落ちないか?」
という問いかけを読んだことがあります。
その答えが、「落ちてもいつでも飛べるから」でした。
それとはちがうのかもしれませんが、
最初から「ほぼ日刊」なのだから、
休んだからといって申しわけなくもないはずだし、
謝る必要だって、わざわざ断るだってないんですよね。
大まじめな人にとっては、気持ち悪いことかもしれない。
でも、歯を食いしばって「絶対」とか言っていたら、
逆に、とっくに「もうだめだ」となってたと思います。
・「一生ともだちでいよう」という友情も、
「生涯の伴侶として永遠の愛を誓う」ということも、
「ありえない」とか言ってるわけではありません。
ただ、そういう「絶対」のつくようなことは、
「人間には向いてないんだよね」、と、
頭のすみに置いといて誓えばいいじゃないですか。
できたら、もうけものですよ、運もよかったんだ。
そういうもんだと思うのです。
こういうこと言うと、いい加減だと怒る人もいます。
でもさ、怒る人のほうが、あんがい裏切ること多いよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
前日の「出口」を明るくしておく、という話の続きかもね。
この「今日のダーリン」というコラムみたいなものは、
一日も休まずに、毎日ずっと続いています。
「どうしてそんなことができるんですか?」と、
なかばあきれられながら質問されたりもします。
いろんな答え方があるのですが、
最初に「ほぼ」と言ったのがよかったんじゃないかな。
いちばん大きな理由は、それだったと思います。
「ほぼ日刊」と名付けたときには、
「真に日刊」だの「絶対日刊」だのは無理だと、
ふつうに、そう思っていたのです。
「ほぼ」という二文字が付いていることで、
いつでも休めると思いながら書いていられました。
いつでも休める、と思ったら、気が楽です。
じぶんで決めればいいのですから。
そう思ったら、「いつ休もうかなぁ」と、
いつかくるその日のことが、たのしみになりました。
「ほぼ日」に「ほぼ」と付けていて、ほんとによかった。
「電線にとまっているスズメは、なぜ落ちないか?」
という問いかけを読んだことがあります。
その答えが、「落ちてもいつでも飛べるから」でした。
それとはちがうのかもしれませんが、
最初から「ほぼ日刊」なのだから、
休んだからといって申しわけなくもないはずだし、
謝る必要だって、わざわざ断るだってないんですよね。
大まじめな人にとっては、気持ち悪いことかもしれない。
でも、歯を食いしばって「絶対」とか言っていたら、
逆に、とっくに「もうだめだ」となってたと思います。
・「一生ともだちでいよう」という友情も、
「生涯の伴侶として永遠の愛を誓う」ということも、
「ありえない」とか言ってるわけではありません。
ただ、そういう「絶対」のつくようなことは、
「人間には向いてないんだよね」、と、
頭のすみに置いといて誓えばいいじゃないですか。
できたら、もうけものですよ、運もよかったんだ。
そういうもんだと思うのです。
こういうこと言うと、いい加減だと怒る人もいます。
でもさ、怒る人のほうが、あんがい裏切ること多いよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
前日の「出口」を明るくしておく、という話の続きかもね。
|
|
|||||||||||||||||||||||