『ぷよぷよ』の生みの親、年商70億円からの転落人生……家賃5万円のアルバイト生活
誰もが一度は遊んだであろう日本を代表する“落ちものゲー”として知られる『ぷよぷよ』。1990年代に爆発的なヒットを記録し、発売以来25年売れ続けている人気ゲームだ。生みの親である仁井谷さんが社長を務めたコンパイルは年商70億円の企業まで成長し、仁井谷さん自身も“日本を代表するゲームクリエイター”として活躍していた。
当時、ゲームソフト会社を立ち上げたばかりだった仁井谷さんは「ゲームボーイで『テトリス』が4000万本売れたんですよ。それで僕らの会社も、とにかく売れるソフトが作りたいというのが開発のきっかけです」と『ぷよぷよ』の開発に着手したきっかけを告白。世界的な大ヒットを記録していた『テトリス』や、任天堂が発売した『ドクターマリオ』につづく作品をつくりたかったと語り、「社員からの企画書で、ドミノが上から落ちてきて、4つ揃ったら消えるという、『テトリス』のような『ドクターマリオ』と同じルールのモノが上がってきたんです。似てるけど、とりあえずテトリスみたいに売れるソフトを作りたいから、こっそり作ってごらんと作らせた」と開発にまつわる秘話を明かした。
しかし『ドクターマリオ』に似ているのは承知していたので「任天堂から『お前パクっただろ』って言われるのも嫌なんで、任天堂から出せば『ドクターマリオ』のパクリと思われないだろうと」考えたそう。当時、ファミコンのディスクシステムが落ち目で売れなくなっていたことに目を付け、任天堂に企画書を出したらOKとなり、「パクリみたいですけどセーフ」な状態で世に送り出されることになったそう。
そうした戦略もあり『ぷよぷよ』は見事大ヒットとなり、最盛期の会社の年商は70億円、仁井谷さんの年収は1億円以上だったそう。1982年に1人でスタートした会社は、わずか16年で従業員数400人以上に。しかし、1998年、従業員を増やしすぎたことにより資金ショートを起こして会社存続の危機となり、結果的に倒産。借金のかたにしていた『ぷよぷよ』の権利も失ってしまったという。その際の借金70億円は個人名義だったため、自己破産する道をたどることになった。
現在は千葉県某所にある家賃5万円の2DKで暮らしをしており、アルバイトで生計を立てているという。その傍ら自宅で「ぷよぷよ」の次と言えるような“落ちものゲー”『にょきにょき』の開発に取り組んでいて、今月仕上がる予定とのことを明かした。
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