(井上)日本有数の温泉地。
本州最大の湿原…そして…魅力いっぱいの群馬が「大河ドラマ花燃ゆ」クライマックスの舞台です。
こんにちは井上真央です。
この地域の礎を築いたのが楫取素彦。
そうドラマでは私が演じる主人公美和の初恋の相手で後に夫となる物語のキーパーソン。
幕末の長州で吉田松陰と共に時代を動かした維新の志士です。
日本国を守りたい!新政府発足後は新しい時代を切り開き日本の近代化に大きな功績を残しました。
あの世界遺産富岡製糸場の危機を救ったのも楫取素彦なんです。
今日は群馬県を「大河ドラマ」のキャラクターもゆるんと一緒にご紹介。
そこに隠されたドラマとは?更に美和と楫取の深いきずなを示す貴重な手紙も特別公開。
私と有働アナウンサーの「花燃ゆ女子トーク」もお見逃しなく。
女子としてはキュンとしましたけどもちろん。
さあまいりましょう。
まずもゆるんがやって来たのは…いらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。
製糸場の女工さんも愛したおやつだとか。
次に向かったのは群馬県庁。
楫取素彦は明治9年初代群馬県令現在の知事として赴任しました。
こんにちは。
こんにちは。
ようこそお出まし頂きました。
出迎えてくれたのは楫取素彦に詳しい…とても貴重な資料があるとか。
これがその資料です。
古い写真がたくさん。
(手島)75枚の写真があります。
実はこの写真を明治11年楫取素彦は明治天皇に献上した訳なんです。
楫取が知事に就任して2年後明治天皇が群馬県に行幸します。
この時天皇が回りきれない場所も見せたいと楫取は県内を撮影した写真を用意しました。
注目すべきは撮影ポイント。
養蚕製糸業を中心とした産業施設が24枚。
小学校など教育施設が17枚。
写真の半数以上が近代化の象徴教育と産業の施設だったのです。
楫取素彦は全国に先駆けて教育と産業の振興に力を入れ着実に群馬県で成果を挙げておりました。
まさにその事を自信も持って天皇に報告した事がこの写真が物語っていると思います。
しかし教育を根づかせるためには多くの苦労が伴いました。
すべての子どもたちに教育などここでは無用の事です。
そもそも学校の数が足らん。
まだ教育の大切さが理解されない時代楫取はわらじ履きで40キロ離れた村々まで赴き村人たちを説得したといいます。
その結果地域住民の手により学校が次々と建てられていきます。
群馬は瞬く間に就学率全国トップレベルの教育県となります。
楫取が教育に情熱を傾けた背景には吉田松陰と共に支えた松下村塾の経験がありました。
松陰は楫取を塾の後継者に指名するほど頼りにしていたといいます。
楫取の教育熱。
それを聞きつけ群馬に転入してきた人もいます。
後に首相となる鈴木貫太郎です。
彼はこの地で得た教訓を後輩たちに残しました。
正直に生きる事の大切さ。
それは楫取が吉田松陰から受け継いだ至誠の心と通じます。
今も学校の大切な教えとなっているそうです。
子どもたちが何かの課題にぶつかった時にこの言葉を思い出しまた前に進める一歩になればいいなというふうに思っています。
リズムをつけ歌にして語り継いでいるんですよ。
ああいう楫取見てると久坂より楫取の方が女子的にはいいんじゃない?とか思うんですけど。
それは美和としてはあれでしょうけど…。
比べる事は難しいでしょうけど。
久坂…ねえ。
そうですよね。
それは思いますよ。
大体最後ねえ久坂ねえ。
本当ですよね。
勝手してとは言いませんけどねえ。
なかなか会えない上に。
会えない上にお前しかいないとか言っときながら「いるじゃないか!」みたいな。
まあ…まあまあ。
でもいろんなタイプの人がいたんでしょうけど。
でここがその…女子が学ぶ…。
はい。
女たちももっともっと学ばなきゃいけないっていう事でここが…群馬は養蚕で働いてる方たちが多いのでその母親たちも働くだけでなくその合間に学ぼうよっていう事で。
真央さん自身は人に教えるの得意な方ですか?え〜っ得意…。
うまそうな気がします。
本当ですか?うん。
有働さんも得意そう。
私すごい下手なんです。
思いが走っちゃって。
多分私もこう…その人に合った教え方みたいなのが多分できない気がする。
「自分はこう覚えたから」みたいな。
押しつけちゃう気がします。
本当ですか?でも美和の教え方楽しみにしております。
美和は大丈夫だと思います。
美和は大丈夫なんですもんね。
私は多分だめかもしれないですけど。
多くの観光客でにぎわう世界遺産富岡製糸場。
海外でも一流ブランドとして名高い桐生織。
群馬を発展させた繊維産業。
まずは織物の町桐生へ。
こちらは老舗の織物工場。
ちょっとお邪魔してみましょう。
大きな機械。
明治時代からこのジャカード織機を使って織っているんですって。
華やかなシルクの糸。
こちらは七五三の帯。
色鮮やかなデザインが桐生織の特徴です。
カラフルな色糸は明治時代の近代化のおかげでした。
こんにちは。
いらっしゃいませ。
工場を経営する後藤隆造さんを訪ねました。
曽祖父の後藤定吉さんは明治初期桐生織の発展に力を入れた一人です。
定吉さんと職人たちが着目したのは新しい時代にふさわしい色でした。
作っていく以上は……という話は聞いております。
定吉さんが染色を学んだのは意外な場所でした。
明治11年楫取の政策に沿って造られた医学校。
楫取はここに定吉たち織物業者が通う事を許可しました。
その当時までは染めの主流は草木染めでした。
それをその当時の方たちがそろそろ化学染料を使う染め物も考えなくちゃいけないという事でこの医学校にすばらしい先生がいるというのを聞きつけて楫取素彦に直訴をしてぜひ聴講したいと。
医学校は当時化学の知識を学べる数少ない場所の一つでした。
楫取の計らいで新しい色を生み出す技術を学ぶ事ができたのです。
定吉が残した帳面。
化学の先生に教わりながら一色一色色を作り出していった事が分かります。
均一で鮮やかな化学染料との出会いによって桐生織は大きく発展します。
その背景には身分や職種にとらわれず学びの機会を与えようとする楫取の精神がありました。
(一同)万歳!そして群馬といえば去年世界遺産に登録された富岡製糸場。
ここも楫取と深い関わりがあるんです。
では中へ入ってみましょう。
まずは繰糸場。
わあ〜広い。
高さ12メートル奥行き140メートル。
ここで工女さんたちが生糸を紡いでいたんですね。
次は実演コーナーに行ってみましょう。
繭から生糸を紡いでる。
フランスから導入された操業当時の最新式。
手作業から器械式へ。
まさに日本の産業革命でした。
富岡製糸場は明治5年官営工場として造られた世界最大の製糸場。
500人の工女たちによる大量生産で生糸の手ごろな価格が実現しました。
海外へ多く輸出され富岡シルクを使ったストッキングが大流行。
ところが創業9年の明治14年富岡製糸場は閉鎖の危機に追い込まれました。
理由は創業当初から続くばく大な赤字でした。
この時楫取は政府に閉鎖の撤回を求める意見書を出します。
楫取の意見に動かされ政府は閉鎖を撤回しました。
そういう意味で言えば…また大沢たかおさんの凜とした感じがやっぱ先見の明ありそうだわみたいな気がするんです。
ちょっと客観的な感じ…。
そうですね。
ちょっと一歩こう離れて…。
楫取って何か本当に何て言うか自分の事は無欲っていうか立場悪くなるかもしれないけど藩のため日本のために本気で突き進めるっていうのが…。
よくセリフでも出てきますけど…本当にそれなんじゃないかなというかみんながいて本当にその人たちの…受け継いでかなきゃいけないっていう事が生きる力となっていったんでしょうし生かされてきた自分がやるべき事っていうのをすごく冷静に考えてた人なんじゃないかなというか。
すごくねばり強く交渉していくじゃないですか。
ねばり強い男っつうのはどうですか?どうですかっていうのもどうですかですけど。
あきらめない男。
いやもう仕事においてはいいと思いますね。
「行くぞ!」みたいな切った張ったで行くタイプとねばり強く後ろで待って…それこそ楫取みたいに。
どっちか?みたいな。
2択って言われたら?え〜…え〜?どっちですか?有働さん。
私は割と隊長タイプが好きですね。
私もそう…。
そうなんですか?私は楫取と美和のやりとりでは…楫取が美和にも言うじゃないですか。
心からそういう言葉をかける男ってすごいなと思ったんですけど。
なかなか言われないですよね。
自分自身が支える立場っていう事はあっても頼られるっていう事がとっても美和にとってはうれしかったんじゃないかなって思いますしその前の「俺はお前を支えてやれる」っていう言葉も…群馬に来たらやっぱり温泉。
楫取がお気に入りだったのはここ磯部温泉です。
楫取は美和の姉で最初の妻だった寿と共にこの地を訪れていました。
今は温泉旅館となっているこの場所に楫取は別荘を構えていました。
お邪魔してみましょう。
いらっしゃいませ。
お疲れさまでございました。
楫取はこの温泉を愛していたようですね。
はい。
実際楫取素彦の別邸跡がこの私ども旭館なんですが奥さんの割合体が弱かったという事でまあここは別邸要は今の避暑地ですから夏場奥さんをお連れになってここで温泉療養をなさってっていうそういう記述は残ってますね。
中風を患っていた妻の寿。
温泉地の別荘はその療養のためでもありました。
しかしそのかいもなく明治14年寿は43歳で息を引き取ります。
その後楫取は再婚します。
相手は寿の妹美和でした。
人生の後半を共に生きる事になった楫取と美和。
2人の深いきずなをうかがわせる貴重な資料があります。
楫取素彦のやしゃご楫取能彦さんが大切にしてきた資料。
名を「涙袖帖」といいます。
これは美和が亡き夫久坂玄瑞から受け取った手紙。
再婚する時持参してきていました。
楫取はそれを快く許したというのです。
この手紙というのは楫取美和子の前の夫ですね久坂玄瑞。
7年間の間に21通妻宛てに手紙を出しています。
手紙には久坂の赤裸々な気持ちが吐露されています。
長州藩が京都から追放された八月十八日の政変。
その11日後に書かれた手紙には「口惜しい」という言葉が繰り返しつづられています。
その時代を背景のもとに考えるとやはり21通の手紙を読むとまあ私はやっぱり今で言うラブレターに近い愛情を一生懸命表現…それなりに表現しようとしてたんじゃないかなというふうに思います。
久坂と美和の思い出の詰まった手紙。
楫取はそれを持参する事を許すばかりでなく手紙が傷まないよう巻物にし読むと涙で袖がぬれる「涙袖帖」と名づけたのです。
その後およそ30年添い遂げた2人。
さまざまな苦難を乗り越えた者同士の深いきずながありました。
久坂との初々しい2人がてれたり意地張ったりしながらとまた違う全然違う大人の愛情じゃないですか。
それは演じる時にどんなふうに意識…。
この群馬に入ってそこの関係を描くのがとっても難しくて一つ一つのセリフをみんなで考えながらやってますかね。
同志だなってお互い言い合うシーンがあるんですよね。
一緒に虹を見るっていう。
何かこれまで久坂さんって人は前を向いていてその前を向いてる旦那様をこう私は見てた。
だけど楫取さんっていうのは違って同じ方向に一緒に向いてこれから一緒にやってこうよっていうのがまた何かそこも違うのかなっていうか。
そうですね。
やっぱりみんなが見たかったけど見れなかった時代を迎えた2人なのでみんなの分も見なきゃいけないっていう使命感もあったでしょうし…。
ストーリーとして群馬という…山口から群馬という新しい土地に行ってガラッと変わるんですよね。
新たな強力なまた…ラスボスっていうんですか?ラスボスが出てくるので。
時代の変化がすごく感じるのがこの群馬編なんですけどもあの時代に本当に日本をもっともっと強くするためにって動いていった男性とまたその女性たちの生き方っていうのがすごく生き生きと描かれてるのでそういったところは見どころですね。
あと女子的には楫取さんと美和とそして寿の…。
そうなんですよね。
三角関係じゃないんですけどそれぞれの気持ちが分かるだけにそこもね。
きっと美和の気持ちも分かるし寿の気持ちも分かるしだからこそああ切ないなっていう気持ちになるんじゃないかなっていうか。
舞踏会もあるんですよね。
あります。
ドレス着ちゃってますね。
踊っちゃってます。
踊っちゃってます。
そこも必ずチェックします。
そうですね。
幸せになってく姿が見て頂けたらいいなと思います。
ロマンとミステリーにあふれる場所それは遺跡。
2015/10/17(土) 09:30〜09:55
NHK総合1・神戸
井上真央が誘う「花燃ゆ」と世界遺産の旅〜楫取素彦の素顔〜[字]
大河「花燃ゆ」主演の井上真央が、ドラマの舞台・群馬の名所と楫取素彦の魅力をナビゲート!世界遺産・富岡製糸場や秘湯、絹織物。真央&有働アナの本音女子トークは必見!
詳細情報
番組内容
大河ドラマ「花燃ゆ」はいよいよクライマックス!ドラマ終盤のテーマは、主人公・美和と楫取の夫婦像だ。松陰の意志を受け継ぎ、日本の近代化に向けて奔走する楫取と彼を支える美和。互いに妻、夫を亡くした二人が、どんな思いを乗りこえて結ばれるのか。前夫・久坂からのラブレターを捨てられなかった美和に楫取がとった行動とは?久坂と楫取、男としてはどっちが魅力的?美和の生き方どう思う?真央&有働のトークは本音満載!
出演者
【出演】井上真央,楫取家五代目当主…楫取能彦,前橋市歴史文化遺産活用担当参事…手島仁,富岡製糸場名誉顧問…今井幹夫,有働由美子
キーワード1
花燃ゆ
キーワード2
大河ドラマ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドラマ – 国内ドラマ
情報/ワイドショー – 番組紹介・お知らせ
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