日顕宗の「妄説:94」を破折する(その三) 連載137回
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:94」を破折する(その三) 連載137回
妄説:94 「当(まさ)に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王(けんのう)と成(な)って愚王(ぐおう)を誡責(かいしゃく)し摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(観心本尊抄・新編 661頁、全集 二五四頁)
〔御文証の解釈〕
上行菩薩などの四菩薩は、化儀の折伏の時には、賢王と成って愚王の謗法を戒めて正法に帰依させ、法体の折伏・摂受の時には、僧となって「法華折伏破権門理(はごんもんり)」の道理にまかせ、正法を護持し弘通する。
〔創価学会の解釈〕
○自ら「順縁広布の時」を作り、至難の御本尊流布を敢行し、多くの民衆を現実に不幸の底から救ってきたのは、創価学会以外に断じてない。ゆえに、創価学会こそ「賢王」の団体であり、仏勅(ぶっちょく)を受けた「地涌の菩薩」の集いに他ならない。(聖教新聞 H五・九・二〇 取意)
〔創価学会の解釈に対する破折〕
かつて創価学会は、歴代会長の指導のもとに折伏弘教に邁進(まいしん)し「順縁広布の時を作り」「賢王とよばれ」「地涌(じゆ)の菩薩の集い」かと思われた時もありました。
しかし池田大作氏は、正本堂建立前後より始まった「五十二年路線」において、御本尊模刻をはじめ、数多くの大謗法を犯しました。
今回は、以前にもまして、日蓮正宗の根本命脈(めいみゃく)である本門戒壇の大御本尊を冒涜し、唯授一人の血脈相承を否定して、創価学会を破門にまで至らしめ、今は「ニセ本尊」を作って配布する大謗法を犯しています。
したがって現在の創価学会は、草創期以来の日蓮正宗の信徒団体ではなく、ただ単なる新興宗教になり下がっていますから、大聖人の仏法を広宣流布する団体でもなく、まして「賢王」や「地涌の菩薩の集い」でもないのです。
破折:
6.〝犯僧〟日顕が自身を大聖人に重ねる
日顕は一審での〝シアトル裁判〟で敗訴し、売春婦との破廉恥事件を起こした事実が認定された。それでも宗門は事実を認めようとせず、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」なる〝駆け出しの小僧〟に反論させたのが、以下の戯言である。
◇
さらに貴殿ら創価学会と離脱僧は、不埒千万にも、御法主日顕上人猊下に対し、〝貴殿は、東京地裁で裁判長から買春の事実を認定された、日本宗教史上、唯一無比の破廉恥宗教家〟などと大欺瞞の誹謗を行っている。なぜ貴殿らは、こうまでして嘘をつくのか。東京地裁下田裁判長のクロウ事件に対する不当判決は、貴殿ら創価学会が東京高裁の、創価学会にとって屈辱的和解に応じた時点で、すべて無効となったではないか。仏法上はまったく無価値とはなっても、一応世間では宗教法人として認知されている創価学会が、国民の規律として遵守すべき法律を、曲解し否定する、そんなことは絶対に許されない。
仏典には、仏が様々に無実の悪口罵詈を受けられたことが説かれている。また御本仏日蓮大聖人は法華経の行者の御振る舞いの故に「犯僧の名」一天に響くと仰せである。このことを思えば、日顕上人猊下が今日、貴殿ら悪逆の創価学会と離脱僧から誹毀讒謗の限りを受けられていることは、まさに今こそが、日蓮大聖人御遺命の僧俗一致の真の末法広宣流布への出発の時であることを証明するものと言わねばならない。
(「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」HP「五、無実の日顕上人を誹謗する創価学会の虚言」)
御書を弄び、大聖人と日顕とを重ね合わせるなどと、日顕宗とはいよいよ以ての邪教である。
四恩抄(九三六㌻)にいわく、
「日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失(とが)によりて妻子を帯せずして犯僧(ぼんそう)の名四海に満ち螻蟻(ろうぎ)をも殺さざれども悪名一天に弥(はびこ)れり」
(日蓮はそうした妻子も持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとしているだけで、それを失(とが)にされて、妻子を持たずして破戒僧の名が国中に満ち、螻(けら)や蟻(あり)さえも殺さないのに悪名は天下にはびこってしまった)
本抄に〝犯僧(ぼんそう)〟とあるのは、妻子を蓄え、また魚鳥を食す僧侶のことである。大聖人は、そのような破戒僧でないにも関わらず、法華経を弘めようとするゆえに犯僧とされた、と仰せである。
「妻子を蓄え、また魚鳥を食す」だけでも破戒僧である。まして日顕は「売春婦と関係に及んだ」とあっては、前代未聞の破戒僧と言うべく、還俗させられて当然である。
日興遺誡置文(一六一九㌻)にいわく、
「一、先師の如く予(よ)が化儀も聖僧為(た)る可し、但し時の貫首(かんず)或は習学の仁に於ては設(たと)い一旦の媱犯(ようはん)有りと雖も衆徒に差置く可き事」(日興上人)
日顕は件の「邪義小僧班」に、能化の名で「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります」(『能化文書』平成三年九月六日付)などと書かせた。
今回も日顕は「仏が様々に無実の悪口罵詈を受けられた」と、自身を大聖人になぞらえる慢心を小僧共に代弁させている。
「『犯僧の名』一天に響く」との御文を「買春坊主」の行状に読み替えるとは、実に大不敬の極みである。
7.シアトル事件裁判は「学会側の大勝利」
宗門は、仏法を曲げて法門を捏造するのを得意とするが、法律は曲げようがない。
「不当判決は、貴殿ら創価学会が東京高裁の、創価学会にとって屈辱的和解に応じた時点で、すべて無効となった」(邪義破折班)などは、まさに噴飯ものである。
学会は一審で完全勝利し、その判決内容は裁判所に永久保管されるのであり、学会の正義は証明されたのである。これ以上、宗門の訴訟沙汰に付き合う必要は無い。
東京地裁は平成十二年三月二十一日、判決文で「阿部の供述は信用することができない」など17カ所にわたって日顕の嘘を指摘した。
また「阿部は、(中略)売春婦らと、右ヌード写真撮影ないし性行為の料金の支払について、トラブルになった」と明確に認定するなど、『創価新報』等の記事の真実性を認め、創価学会側全面勝訴の判決を下した。
これに対し宗門側が控訴。東京高裁で控訴審の審理が行われたが、高裁は平成十三年七月から宗門側に対し、訴えを取り下げるよう強く勧告してきた。
平成十四年一月三十一日、宗門側は訴えそのものを全面的に取り下げ、創価学会側がこれに同意する内容の和解が成立した。
「学会側が同意」とあるのは、訴えの取り下げには訴訟法上、相手方の同意が必要であり、高裁は創価学会側に対して同意を勧告、学会側がこれに同意する形で、和解の成立に至ったのである。
「不当判決は……すべて無効となった」(前出「邪義破折班」)と言うのは、宗門のぬか喜びに過ぎない。シアトル事件の第一審判決は、裁判所に公式記録として保管され、厳然と残るのである。それがどういう効果をもたらすのか、承知していないと見える。
宗門にとっては確かに「屈辱的和解」(同)であろう、地裁の決定を不満として、高裁に訴えを起こしたのに、自ら取り下げたのである。
「名誉毀損事件でこんな一方的な取り下げは極めてまれなケース」(学会側:宮原守男弁護団長談)であった。
8.第一審判決は今も厳然と残る
『大白法』には、学会が勝利した一審判決が無効になったと書いてある。はたしてそうか。
◇
特筆すべきは、宗門が訴訟を取り下げ創価学会側がこれに同意することにより、クロウの話だけを一方的に採用した、あの東京地裁・下田判決は、ついに東京高裁において無効と化したことである。
創価学会側は、宗門の訴訟の取り下げを、宗門が事件が存在しなかったことの主張・立証を放棄したなどと、あたかも自らが勝利したかのように書き立てているが、もし宗門が主張・立証を断念したのであれば、訴訟の取り下げではなく、「控訴の取り下げ」をすることになる。控訴を取り下げれば、1審判決は確定し、その効力は維持される。これに反して「訴訟の取り下げ」は、相手方である創価学会の「同意」のもとでなされるものであって、訴訟は初めからなかったものとなり、1審判決も効力を失うのである(民事訴訟法262条)。
(『大白法』平成十四年二月二日 号外)
学会側の宮原守男弁護団長が、第一審判決が今後もたらす「効果」を明瞭に述べる(『聖教新聞』平成十四年二月八日付より)。
① 一審判決は裁判所に公式記録として保管される
――「大白法」は、民事訴訟法262条をあげて、1審判決は「無効と化した」などと言っていますが。
宮原 まったくのごまかしです。宗門側は、その条文の1項(※)で、訴えを取り下げた場合には訴えなかったものとみなすと規定されていることを言っているのですが、この規定は、それ以上に1審判決の内容を取り消したり、無効にするというものではありません。
――第1審判決は、有効に存在しているということですか。
宮原 当然です。まず第一に、下田裁判長が下した1審判決は裁判例として厳然と残り、裁判所に公式記録として保管されます。「創価新報」の報道が名誉毀損だという訴えを取り下げたわけですから、「創価新報」の報道と、全文250ページにわたってそれが真実であると認定した1審判決は、厳然と残っているのです。
② 一審判決は別の裁判での証拠(=書証)となる
(宮原) また第二に、今後、別の裁判で日顕氏の遊興事実や人間性が問題になった時には、1審判決は証拠として、そのまま使えます。「創価新報」の記事を真実と認定した、1審判決は、この事件に関する直接かつ唯一の裁判所の公式の認定として、日顕氏という人間を判断するうえで実に重要な証拠となるでしょう。
――なるほど。
③ 一審判決は「無効だ」として再訴することができない
宮原 さらに第三に、1審判決後に訴えを取り下げた場合は、二度と同じ訴えを起こすことはできないのです。先ほどの民事訴訟法262条の2項(※)に定められているのに、宗門側はそれを隠しているのです。宗門側が本当に〝1審判決は無効だ〟というのなら、もう一度裁判を起こしてきたらいいんですよ。そうしたら、こちらが1審判決を出すだけで、たちまち向こうの訴えは却下となります。そのような効力のある判決が、どうして無効などといえるのでしょうか。
――「無効」どころか、有効な判決として厳然と残っているのですね。
宮原 そのとおりです。宗門側が1審判決を「無効化」したいのなら、控訴審の場で、それを覆す判決を得るしかなかったのです。
――ところが日蓮正宗は、それができなかったわけですね。
宮原 そうです。結局、訴えを取り下げてその機会を自分で放棄してしまった。しかも、二度と同じ訴えを起こすことはできないのですから、1審判決は事実上、確定し、宗門側がそれを覆す機会は永遠になくなってしまったわけです。まさしく、創価学会の全面勝利です。だから、創価学会としては訴えの取り下げに同意することにしたのです。
日顕宗は法律の〝一次的効果〟に目が奪われ、その文言の奥にある〝二次的(派生的)効果〟に配慮しなかったようである。
宗門側が高裁に「訴えの取り下げ」を申し出たところ、学会側が同意した。この願ってもない成り行きに、宗門側は狂喜乱舞した。もしも学会側の同意が無ければ、法律の手続きの上で「訴えの取り下げ」はできなかったのである(※ 第261条第2項)。
ともかく再度の敗訴を避けられ、日顕の面目は立ったことが宗門側の主眼であり、派生的効果など念頭に無かったのであろう。
彼等はこれで〝一審(東京地裁)の敗北を取り返し、同点に持ち込んだ〟と思い込み、「勝訴判決以上の大勝利」との、宗門らしく〝国語の理解能力〟がいぶかられる詭弁を用い、囃し立てた。
だが、これによって一審判決は、「取り返しのつかない敗北」の記録として未来に保管されゆくこととなったのである。ここに思い至れば、愕然とするであろう。
すなわち日顕が〝聖職者にあるまじき醜態〟〝恥知らずの行為〟に及んだ事実を認定した一審判決が、裁判所に公式記録として永遠に保管されることとなったのであり、またこれが存するために、日顕は再び「かかる不当な判決は到底承服しがたい」(『大日蓮』)と、一敗地にまみれた東京地裁判決を覆す機会を、永遠に失ったのである。
(※)民事訴訟法 第261条第2項
2.訴えの取下げは、相手方が本案について準備書面を提出し、弁論準備手続において申述をし、又は口頭弁論をした後にあっては、相手方の同意を得なければ、その効力を生じない。ただし、本訴の取下げがあった場合における反訴の取下げについては、この限りでない。
◇
これは、積極的に争う姿勢を見せた相手方も勝訴判決を受ける正当な利益があるため、その同意なしに、一方的に訴えを取り下げうるとすれば、公平に反すると解されるためである。
(『民事訴訟法講義ノート』平成国際大学法学部講義資料 H.P.より一部抜粋)
(※)民事訴訟法 第262条第1項
1.訴訟は、訴えの取下げがあった部分については、初めから係属していなかったものとみなす。
「係属」とは、訴訟事件が裁判所の判決手続の対象となっている状態を言う。よって上記の趣旨は、「初めから訴えなかったものとみなす」の意である。
〝訴えの取下げ〟により、訴訟係属が遡及的に消滅し、一審判決も効力を失う。ただし「効力を失う」とは、「消滅する」ことではない。事実や事実の記録自体までもが消滅するわけではないから、調書を他の訴訟で〝書証〟として用いることができる。
〝書証〟として公文書については、真正に成立したものと推定される(民事訴訟法第228条第2項)。
ゆえに宮原弁護団長の指摘通り、一審判決は ① 裁判所に公式記録として保管され、② 別の裁判での証拠となる。
これらの効果は、宗門側が見落としていたであろう。たとえ知っていたとしても、不利な話を進んでするわけがなく、口を閉ざしているのである。
(※)民事訴訟法 第262条第2項
2.本案について終局判決があった後に訴えを取り下げた者は、同一の訴えを提起することができない。
◇
訴えは、終局判決が下された後でも、確定するまでは取り下げることができるが、終局判決が下された後に訴えを取り下げるときは、再び同一の訴えを提起することは許されない(再訴の禁止、第262条第2項)。
これは、判決に不服のある原告が訴訟係属を消滅させ、新たに同一の訴えを提起することを防ぐためである。
また、本案判決を受けたにもかかわらず、自ら訴えを取下げることによって、裁判による紛争解決の機会を排除した原告に対する制裁の意義も併せ持つ(最判昭和52年7月19日、民集31-4-693)。
(前出『民事訴訟法講義ノート』)
上記解説文の最後の文言は、まさに宗門の立場を説明している。
すなわち一審判決を受けた後に、自ら二審での訴えを取り下げたことは、この裁判によって事実が明らかになり解決されうる機会を消滅させたのであり、裁判を提起した原告(=宗門側)に対する制裁(ペナルティ)として、再訴が禁止されるのである。
宮原弁護団長の言う通り、③「日顕はシアトル事件で無実であった」として再び裁判を起こすことは、永久にできなくなったのである。
9.何ら反証できなかった宗門
またも『大白法』の戯言である。
◇
ところで東京高裁は、「事実を確定するには、証拠上、時間的にも空問的にもまた言語上ないし制度的にも、通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があ(る)」とし、「これ以上事実の解明に努力すること」は適当ではないとした。創価学会側に立証責任があること、言いかえれば創価学会側に事実を確定する責任があることを考えると、事実の確定に格段に多くの障害があるとの見解は、東京高裁の創価学会側に対するきわめて厳しい姿勢を示すものである。
(前出『大白法』)
これも、宮原弁護団長が快刀乱麻に切って捨てる。
◇
――「大白法」は、和解条項の第1の2(※)の「事実を確定するには……通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があり」という部分について、〝この記載は事実についての立証責任がある創価学会側に対する高裁の厳しい姿勢を示している〟などと言っていますが。
宮原 これも、まったくのごまかしです。宗門が本当に高裁は〝事実の確定ができない〟という心証だと思うのなら、あくまでも判決を求めたはずです。宗門側は、自ら訴えを取り下げざるを得なくなった事実を言い繕うために強がっているに過ぎないのです。
――すると、この記載はどういうことですか。
宮原 まず、高裁はけっして、障害があるから〝事実の確定ができない〟と言っているのではなく、〝これ以上事実の解明に努力することは、宗教団体としてふさわしくないという和解条項の第1の1(※)の趣旨に合わない〟と言っているのです。つまり、この記載は、裁判所が宗門側に対して、訴えを取り下げさせるための理由付けをしている部分です。
――1審では学会側は立証責任を完全に果たしたわけですね。
宮原 そうです。したがって、控訴審では宗門側が事件がなかったことを積極的に反証しなければならなかったにもかかわらず、何ら新しい証拠を出すことはできなかった。だからこそ、1審同様、裁判所から取り下げを勧告されたというのが真実の経緯です。ですから、この記載が高裁の創価学会側に対する厳しい姿勢を示すものだなどと言えないことは明らかです。
(※)和解条項 第1の1
1.本件訴訟の係属そのものが、控訴人ら及び被控訴人らにおいて、それぞれの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、むしろその妨げとなるおそれがあること そして、控訴人ら及び被控訴人らのそれぞれの多数の信者等も、本件訴訟が、早期に、かつ、できる限り双方の宗教団体としての尊厳を損なわないで、終息することを希求していると推測されること
(※)和解条項 第1の2
2.本件訴訟の最大の争点は、控訴人ら代表役員のおよそ40年前のアメリカ合衆国ワシントン州シアトル市内における行為が何かという点にあるところ、その事実を確定するには、証拠上、時間的にも空間的にもまた言語上ないし制度的にも、通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があり、これまでの双方の当事者、代理人の努力自体は多とするものの、これ以上事実の解明に努力することが上記1の趣旨に沿うとはいい難いこと
10.宗門が言えなくなった〝事件は捏造〟等の誹謗
さらに『大白法』の妄言である。
◇
次に第2の2において、当事者双方は相互に、今後、クロウ事件の争点にかかる事実の摘示、意見ないし論評の表明をしないことが合意されたが、これは実質的には、池田大作および創価学会は、今後、クロウ報道により宗門や御法主日顕上人猊下に対する名誉毀損行為をしてはならないことを意味する。宗門側はクロウ報道の被害者であり、創価学会側が報道しない以上、宗門側がすすんでクロウの話を取り上げることなどないのであるから、この条項は双方に向けられた形をとってはいるが、実質的には創価学会側の報道を厳禁することに主たる意味を有している。
最後に「追記」として記載されたのは、「(クロウ訴訟の)争点にかかる事実の存在を単純に否認すること」は構わないというものであるが、この事実の存在とは、クロウの話が真実という意味ではなく、単にその発言内容そのものをさすのであり、これは宗門側がクロウの主張した事実を否認することは差しつかえないことを、念のため明らかにしたものである。
(前出『大白法』)
再度、宮原弁護団長が宗門側の迷妄を突く。
◇
――宗門は、シアトル事件に関する「創価学会の報道を完全差し止め」とも言っていますが。
宮原 差し止めなんてありませんよ。一体、和解条項のどこに、報道差し止めなどと書かれているのですか。和解条項の第2の2(※)は、相互に名誉毀損になる行為をしないという意味に過ぎません。
――しかし、宗門側は和解条項の追記(※)をあげて、〝宗門側が事実を単純に否認することは差し支えない〟とも言っています。
宮原 単純な否認とは、ただ「事実はなかった」としか言えないということです。追記の部分は、それを言うだけならば名誉毀損にはならないだろう、という当たり前のことが書かれているだけです。宗門側が言えるのは、これだけなのです。「クロウ夫人はウソつき」であるとか、「創価学会は事件を捏造した」などと言うことは一切できなくなってしまったのです。
――昨年、日顕が出した『真実の証明』なる〝言い訳本〟はどうなるのですか。
宮原 当然、日顕氏はあの本も、今後は出せなくなったのです。現に宗門側自ら、そのことを認めて、この本などシアトル事件に言及する書籍等の販売・頒布を差し止めるよう、1月31日付で宗内に通達しています。
――発言を差し止められたのは、むしろ宗門の方なのですね。
宮原 そういうことです。むしろ、単に訴えを取り下げただけの場合はもちろん、敗訴判決の時でさえ、あれこれ理由を付けて事実はなかったと言うことはできるわけですが、この条項により、日顕氏は単に「なかった」としか言えなくなってしまった。
――まさしく、創価学会側の大勝利ですね。
宮原 そのとおりです。「大白法」の表現を借りれば、宗門にとっては「敗訴判決以上の大敗北」ですよ。シアトル事件は、これで永遠に決着がついたのです。
(※)和解条項 第2の2
2.控訴人ら及び被控訴人らは、相互に、今後、上記第1、2記載の争点にかかる事実の摘示、意見ないし論評の表明をしない。
(※)和解条項 追記
和解条項第2、2は、相互に名誉毀損にあたる行為をしないことを確約する趣旨のものであり、同第1、2記載の争点にかかる事実の存在を単純に否認することはこれに抵触しない。
11.「勝訴判決以上の大勝利」とは大誑惑――勝利は「勝訴判決」あるのみ
宗門は「勝訴判決以上の大勝利」などと〝意味不明・不得要領〟の言辞を弄し、人々を煙に巻いているが、要は誑惑(たぶらかし)であり詭弁である。
「勝訴判決」以外に、勝利は無い。宗門は「敗訴判決以上の大敗北」(宮原弁護団長談)なのである。
◇
東京地裁での主文
一 甲事件、乙事件及び丙事件原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、甲事件、乙事件及び丙事件原告らの負担とする。
東京地裁で原告(宗門側)の請求は退けられ、訴訟費用も全額を負担した。宗門は一審二審をとおして、千四百万円もの印紙を貼った。大惨敗である。
学会は「勝訴判決」を勝ち取った。大勝利である。
宗門側は未練たらしくも、東京高裁に提訴したが勝訴の見通しが立たず、やむなく取り下げた。学会が取下げに同意し、和解が成立した。〝勝負なし〟ではない、実はこの措置により「再訴の禁止」事項に該当、宗門は永久に同様の裁判を起こせなくなった。一方で、学会が勝利した一審判決は、裁判所に公式記録として永久保管されるのである。
宗門がどうしても「阿部は、(中略)売春婦らと、右ヌード写真撮影ないし性行為の料金の支払について、トラブルになった」等と断じた一審判決を「かかる不当な判決は到底承服しがたい」(『大白法』)として認めないと言うなら、再度、裁判を起してみればよい。
ここで学会が一審判決を持ち出せば、たちまち訴えは却下される。すなわち一審判決は「無効」どころか、「唯一最強の判決」なのである。
「東京地裁・下田判決は、ついに東京高裁において無効と化した」(『大白法』)とあるのは、実は宗門が二度と取り返しのつかない〝負の資産〟である一審判決、その「屈辱の記録」が永遠に存することを、ひた隠しにしているのである。
邪義破折班が学会に投げかけた言葉は、そのまま返してあげよう。「なぜ貴殿らは、こうまでして嘘をつくのか」。
(了)
妄説:94 「当(まさ)に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王(けんのう)と成(な)って愚王(ぐおう)を誡責(かいしゃく)し摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(観心本尊抄・新編 661頁、全集 二五四頁)
〔御文証の解釈〕
上行菩薩などの四菩薩は、化儀の折伏の時には、賢王と成って愚王の謗法を戒めて正法に帰依させ、法体の折伏・摂受の時には、僧となって「法華折伏破権門理(はごんもんり)」の道理にまかせ、正法を護持し弘通する。
〔創価学会の解釈〕
○自ら「順縁広布の時」を作り、至難の御本尊流布を敢行し、多くの民衆を現実に不幸の底から救ってきたのは、創価学会以外に断じてない。ゆえに、創価学会こそ「賢王」の団体であり、仏勅(ぶっちょく)を受けた「地涌の菩薩」の集いに他ならない。(聖教新聞 H五・九・二〇 取意)
〔創価学会の解釈に対する破折〕
かつて創価学会は、歴代会長の指導のもとに折伏弘教に邁進(まいしん)し「順縁広布の時を作り」「賢王とよばれ」「地涌(じゆ)の菩薩の集い」かと思われた時もありました。
しかし池田大作氏は、正本堂建立前後より始まった「五十二年路線」において、御本尊模刻をはじめ、数多くの大謗法を犯しました。
今回は、以前にもまして、日蓮正宗の根本命脈(めいみゃく)である本門戒壇の大御本尊を冒涜し、唯授一人の血脈相承を否定して、創価学会を破門にまで至らしめ、今は「ニセ本尊」を作って配布する大謗法を犯しています。
したがって現在の創価学会は、草創期以来の日蓮正宗の信徒団体ではなく、ただ単なる新興宗教になり下がっていますから、大聖人の仏法を広宣流布する団体でもなく、まして「賢王」や「地涌の菩薩の集い」でもないのです。
破折:
6.〝犯僧〟日顕が自身を大聖人に重ねる
日顕は一審での〝シアトル裁判〟で敗訴し、売春婦との破廉恥事件を起こした事実が認定された。それでも宗門は事実を認めようとせず、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」なる〝駆け出しの小僧〟に反論させたのが、以下の戯言である。
◇
さらに貴殿ら創価学会と離脱僧は、不埒千万にも、御法主日顕上人猊下に対し、〝貴殿は、東京地裁で裁判長から買春の事実を認定された、日本宗教史上、唯一無比の破廉恥宗教家〟などと大欺瞞の誹謗を行っている。なぜ貴殿らは、こうまでして嘘をつくのか。東京地裁下田裁判長のクロウ事件に対する不当判決は、貴殿ら創価学会が東京高裁の、創価学会にとって屈辱的和解に応じた時点で、すべて無効となったではないか。仏法上はまったく無価値とはなっても、一応世間では宗教法人として認知されている創価学会が、国民の規律として遵守すべき法律を、曲解し否定する、そんなことは絶対に許されない。
仏典には、仏が様々に無実の悪口罵詈を受けられたことが説かれている。また御本仏日蓮大聖人は法華経の行者の御振る舞いの故に「犯僧の名」一天に響くと仰せである。このことを思えば、日顕上人猊下が今日、貴殿ら悪逆の創価学会と離脱僧から誹毀讒謗の限りを受けられていることは、まさに今こそが、日蓮大聖人御遺命の僧俗一致の真の末法広宣流布への出発の時であることを証明するものと言わねばならない。
(「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」HP「五、無実の日顕上人を誹謗する創価学会の虚言」)
御書を弄び、大聖人と日顕とを重ね合わせるなどと、日顕宗とはいよいよ以ての邪教である。
四恩抄(九三六㌻)にいわく、
「日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失(とが)によりて妻子を帯せずして犯僧(ぼんそう)の名四海に満ち螻蟻(ろうぎ)をも殺さざれども悪名一天に弥(はびこ)れり」
(日蓮はそうした妻子も持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとしているだけで、それを失(とが)にされて、妻子を持たずして破戒僧の名が国中に満ち、螻(けら)や蟻(あり)さえも殺さないのに悪名は天下にはびこってしまった)
本抄に〝犯僧(ぼんそう)〟とあるのは、妻子を蓄え、また魚鳥を食す僧侶のことである。大聖人は、そのような破戒僧でないにも関わらず、法華経を弘めようとするゆえに犯僧とされた、と仰せである。
「妻子を蓄え、また魚鳥を食す」だけでも破戒僧である。まして日顕は「売春婦と関係に及んだ」とあっては、前代未聞の破戒僧と言うべく、還俗させられて当然である。
日興遺誡置文(一六一九㌻)にいわく、
「一、先師の如く予(よ)が化儀も聖僧為(た)る可し、但し時の貫首(かんず)或は習学の仁に於ては設(たと)い一旦の媱犯(ようはん)有りと雖も衆徒に差置く可き事」(日興上人)
日顕は件の「邪義小僧班」に、能化の名で「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります」(『能化文書』平成三年九月六日付)などと書かせた。
今回も日顕は「仏が様々に無実の悪口罵詈を受けられた」と、自身を大聖人になぞらえる慢心を小僧共に代弁させている。
「『犯僧の名』一天に響く」との御文を「買春坊主」の行状に読み替えるとは、実に大不敬の極みである。
7.シアトル事件裁判は「学会側の大勝利」
宗門は、仏法を曲げて法門を捏造するのを得意とするが、法律は曲げようがない。
「不当判決は、貴殿ら創価学会が東京高裁の、創価学会にとって屈辱的和解に応じた時点で、すべて無効となった」(邪義破折班)などは、まさに噴飯ものである。
学会は一審で完全勝利し、その判決内容は裁判所に永久保管されるのであり、学会の正義は証明されたのである。これ以上、宗門の訴訟沙汰に付き合う必要は無い。
東京地裁は平成十二年三月二十一日、判決文で「阿部の供述は信用することができない」など17カ所にわたって日顕の嘘を指摘した。
また「阿部は、(中略)売春婦らと、右ヌード写真撮影ないし性行為の料金の支払について、トラブルになった」と明確に認定するなど、『創価新報』等の記事の真実性を認め、創価学会側全面勝訴の判決を下した。
これに対し宗門側が控訴。東京高裁で控訴審の審理が行われたが、高裁は平成十三年七月から宗門側に対し、訴えを取り下げるよう強く勧告してきた。
平成十四年一月三十一日、宗門側は訴えそのものを全面的に取り下げ、創価学会側がこれに同意する内容の和解が成立した。
「学会側が同意」とあるのは、訴えの取り下げには訴訟法上、相手方の同意が必要であり、高裁は創価学会側に対して同意を勧告、学会側がこれに同意する形で、和解の成立に至ったのである。
「不当判決は……すべて無効となった」(前出「邪義破折班」)と言うのは、宗門のぬか喜びに過ぎない。シアトル事件の第一審判決は、裁判所に公式記録として保管され、厳然と残るのである。それがどういう効果をもたらすのか、承知していないと見える。
宗門にとっては確かに「屈辱的和解」(同)であろう、地裁の決定を不満として、高裁に訴えを起こしたのに、自ら取り下げたのである。
「名誉毀損事件でこんな一方的な取り下げは極めてまれなケース」(学会側:宮原守男弁護団長談)であった。
8.第一審判決は今も厳然と残る
『大白法』には、学会が勝利した一審判決が無効になったと書いてある。はたしてそうか。
◇
特筆すべきは、宗門が訴訟を取り下げ創価学会側がこれに同意することにより、クロウの話だけを一方的に採用した、あの東京地裁・下田判決は、ついに東京高裁において無効と化したことである。
創価学会側は、宗門の訴訟の取り下げを、宗門が事件が存在しなかったことの主張・立証を放棄したなどと、あたかも自らが勝利したかのように書き立てているが、もし宗門が主張・立証を断念したのであれば、訴訟の取り下げではなく、「控訴の取り下げ」をすることになる。控訴を取り下げれば、1審判決は確定し、その効力は維持される。これに反して「訴訟の取り下げ」は、相手方である創価学会の「同意」のもとでなされるものであって、訴訟は初めからなかったものとなり、1審判決も効力を失うのである(民事訴訟法262条)。
(『大白法』平成十四年二月二日 号外)
学会側の宮原守男弁護団長が、第一審判決が今後もたらす「効果」を明瞭に述べる(『聖教新聞』平成十四年二月八日付より)。
① 一審判決は裁判所に公式記録として保管される
――「大白法」は、民事訴訟法262条をあげて、1審判決は「無効と化した」などと言っていますが。
宮原 まったくのごまかしです。宗門側は、その条文の1項(※)で、訴えを取り下げた場合には訴えなかったものとみなすと規定されていることを言っているのですが、この規定は、それ以上に1審判決の内容を取り消したり、無効にするというものではありません。
――第1審判決は、有効に存在しているということですか。
宮原 当然です。まず第一に、下田裁判長が下した1審判決は裁判例として厳然と残り、裁判所に公式記録として保管されます。「創価新報」の報道が名誉毀損だという訴えを取り下げたわけですから、「創価新報」の報道と、全文250ページにわたってそれが真実であると認定した1審判決は、厳然と残っているのです。
② 一審判決は別の裁判での証拠(=書証)となる
(宮原) また第二に、今後、別の裁判で日顕氏の遊興事実や人間性が問題になった時には、1審判決は証拠として、そのまま使えます。「創価新報」の記事を真実と認定した、1審判決は、この事件に関する直接かつ唯一の裁判所の公式の認定として、日顕氏という人間を判断するうえで実に重要な証拠となるでしょう。
――なるほど。
③ 一審判決は「無効だ」として再訴することができない
宮原 さらに第三に、1審判決後に訴えを取り下げた場合は、二度と同じ訴えを起こすことはできないのです。先ほどの民事訴訟法262条の2項(※)に定められているのに、宗門側はそれを隠しているのです。宗門側が本当に〝1審判決は無効だ〟というのなら、もう一度裁判を起こしてきたらいいんですよ。そうしたら、こちらが1審判決を出すだけで、たちまち向こうの訴えは却下となります。そのような効力のある判決が、どうして無効などといえるのでしょうか。
――「無効」どころか、有効な判決として厳然と残っているのですね。
宮原 そのとおりです。宗門側が1審判決を「無効化」したいのなら、控訴審の場で、それを覆す判決を得るしかなかったのです。
――ところが日蓮正宗は、それができなかったわけですね。
宮原 そうです。結局、訴えを取り下げてその機会を自分で放棄してしまった。しかも、二度と同じ訴えを起こすことはできないのですから、1審判決は事実上、確定し、宗門側がそれを覆す機会は永遠になくなってしまったわけです。まさしく、創価学会の全面勝利です。だから、創価学会としては訴えの取り下げに同意することにしたのです。
日顕宗は法律の〝一次的効果〟に目が奪われ、その文言の奥にある〝二次的(派生的)効果〟に配慮しなかったようである。
宗門側が高裁に「訴えの取り下げ」を申し出たところ、学会側が同意した。この願ってもない成り行きに、宗門側は狂喜乱舞した。もしも学会側の同意が無ければ、法律の手続きの上で「訴えの取り下げ」はできなかったのである(※ 第261条第2項)。
ともかく再度の敗訴を避けられ、日顕の面目は立ったことが宗門側の主眼であり、派生的効果など念頭に無かったのであろう。
彼等はこれで〝一審(東京地裁)の敗北を取り返し、同点に持ち込んだ〟と思い込み、「勝訴判決以上の大勝利」との、宗門らしく〝国語の理解能力〟がいぶかられる詭弁を用い、囃し立てた。
だが、これによって一審判決は、「取り返しのつかない敗北」の記録として未来に保管されゆくこととなったのである。ここに思い至れば、愕然とするであろう。
すなわち日顕が〝聖職者にあるまじき醜態〟〝恥知らずの行為〟に及んだ事実を認定した一審判決が、裁判所に公式記録として永遠に保管されることとなったのであり、またこれが存するために、日顕は再び「かかる不当な判決は到底承服しがたい」(『大日蓮』)と、一敗地にまみれた東京地裁判決を覆す機会を、永遠に失ったのである。
(※)民事訴訟法 第261条第2項
2.訴えの取下げは、相手方が本案について準備書面を提出し、弁論準備手続において申述をし、又は口頭弁論をした後にあっては、相手方の同意を得なければ、その効力を生じない。ただし、本訴の取下げがあった場合における反訴の取下げについては、この限りでない。
◇
これは、積極的に争う姿勢を見せた相手方も勝訴判決を受ける正当な利益があるため、その同意なしに、一方的に訴えを取り下げうるとすれば、公平に反すると解されるためである。
(『民事訴訟法講義ノート』平成国際大学法学部講義資料 H.P.より一部抜粋)
(※)民事訴訟法 第262条第1項
1.訴訟は、訴えの取下げがあった部分については、初めから係属していなかったものとみなす。
「係属」とは、訴訟事件が裁判所の判決手続の対象となっている状態を言う。よって上記の趣旨は、「初めから訴えなかったものとみなす」の意である。
〝訴えの取下げ〟により、訴訟係属が遡及的に消滅し、一審判決も効力を失う。ただし「効力を失う」とは、「消滅する」ことではない。事実や事実の記録自体までもが消滅するわけではないから、調書を他の訴訟で〝書証〟として用いることができる。
〝書証〟として公文書については、真正に成立したものと推定される(民事訴訟法第228条第2項)。
ゆえに宮原弁護団長の指摘通り、一審判決は ① 裁判所に公式記録として保管され、② 別の裁判での証拠となる。
これらの効果は、宗門側が見落としていたであろう。たとえ知っていたとしても、不利な話を進んでするわけがなく、口を閉ざしているのである。
(※)民事訴訟法 第262条第2項
2.本案について終局判決があった後に訴えを取り下げた者は、同一の訴えを提起することができない。
◇
訴えは、終局判決が下された後でも、確定するまでは取り下げることができるが、終局判決が下された後に訴えを取り下げるときは、再び同一の訴えを提起することは許されない(再訴の禁止、第262条第2項)。
これは、判決に不服のある原告が訴訟係属を消滅させ、新たに同一の訴えを提起することを防ぐためである。
また、本案判決を受けたにもかかわらず、自ら訴えを取下げることによって、裁判による紛争解決の機会を排除した原告に対する制裁の意義も併せ持つ(最判昭和52年7月19日、民集31-4-693)。
(前出『民事訴訟法講義ノート』)
上記解説文の最後の文言は、まさに宗門の立場を説明している。
すなわち一審判決を受けた後に、自ら二審での訴えを取り下げたことは、この裁判によって事実が明らかになり解決されうる機会を消滅させたのであり、裁判を提起した原告(=宗門側)に対する制裁(ペナルティ)として、再訴が禁止されるのである。
宮原弁護団長の言う通り、③「日顕はシアトル事件で無実であった」として再び裁判を起こすことは、永久にできなくなったのである。
9.何ら反証できなかった宗門
またも『大白法』の戯言である。
◇
ところで東京高裁は、「事実を確定するには、証拠上、時間的にも空問的にもまた言語上ないし制度的にも、通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があ(る)」とし、「これ以上事実の解明に努力すること」は適当ではないとした。創価学会側に立証責任があること、言いかえれば創価学会側に事実を確定する責任があることを考えると、事実の確定に格段に多くの障害があるとの見解は、東京高裁の創価学会側に対するきわめて厳しい姿勢を示すものである。
(前出『大白法』)
これも、宮原弁護団長が快刀乱麻に切って捨てる。
◇
――「大白法」は、和解条項の第1の2(※)の「事実を確定するには……通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があり」という部分について、〝この記載は事実についての立証責任がある創価学会側に対する高裁の厳しい姿勢を示している〟などと言っていますが。
宮原 これも、まったくのごまかしです。宗門が本当に高裁は〝事実の確定ができない〟という心証だと思うのなら、あくまでも判決を求めたはずです。宗門側は、自ら訴えを取り下げざるを得なくなった事実を言い繕うために強がっているに過ぎないのです。
――すると、この記載はどういうことですか。
宮原 まず、高裁はけっして、障害があるから〝事実の確定ができない〟と言っているのではなく、〝これ以上事実の解明に努力することは、宗教団体としてふさわしくないという和解条項の第1の1(※)の趣旨に合わない〟と言っているのです。つまり、この記載は、裁判所が宗門側に対して、訴えを取り下げさせるための理由付けをしている部分です。
――1審では学会側は立証責任を完全に果たしたわけですね。
宮原 そうです。したがって、控訴審では宗門側が事件がなかったことを積極的に反証しなければならなかったにもかかわらず、何ら新しい証拠を出すことはできなかった。だからこそ、1審同様、裁判所から取り下げを勧告されたというのが真実の経緯です。ですから、この記載が高裁の創価学会側に対する厳しい姿勢を示すものだなどと言えないことは明らかです。
(※)和解条項 第1の1
1.本件訴訟の係属そのものが、控訴人ら及び被控訴人らにおいて、それぞれの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、むしろその妨げとなるおそれがあること そして、控訴人ら及び被控訴人らのそれぞれの多数の信者等も、本件訴訟が、早期に、かつ、できる限り双方の宗教団体としての尊厳を損なわないで、終息することを希求していると推測されること
(※)和解条項 第1の2
2.本件訴訟の最大の争点は、控訴人ら代表役員のおよそ40年前のアメリカ合衆国ワシントン州シアトル市内における行為が何かという点にあるところ、その事実を確定するには、証拠上、時間的にも空間的にもまた言語上ないし制度的にも、通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があり、これまでの双方の当事者、代理人の努力自体は多とするものの、これ以上事実の解明に努力することが上記1の趣旨に沿うとはいい難いこと
10.宗門が言えなくなった〝事件は捏造〟等の誹謗
さらに『大白法』の妄言である。
◇
次に第2の2において、当事者双方は相互に、今後、クロウ事件の争点にかかる事実の摘示、意見ないし論評の表明をしないことが合意されたが、これは実質的には、池田大作および創価学会は、今後、クロウ報道により宗門や御法主日顕上人猊下に対する名誉毀損行為をしてはならないことを意味する。宗門側はクロウ報道の被害者であり、創価学会側が報道しない以上、宗門側がすすんでクロウの話を取り上げることなどないのであるから、この条項は双方に向けられた形をとってはいるが、実質的には創価学会側の報道を厳禁することに主たる意味を有している。
最後に「追記」として記載されたのは、「(クロウ訴訟の)争点にかかる事実の存在を単純に否認すること」は構わないというものであるが、この事実の存在とは、クロウの話が真実という意味ではなく、単にその発言内容そのものをさすのであり、これは宗門側がクロウの主張した事実を否認することは差しつかえないことを、念のため明らかにしたものである。
(前出『大白法』)
再度、宮原弁護団長が宗門側の迷妄を突く。
◇
――宗門は、シアトル事件に関する「創価学会の報道を完全差し止め」とも言っていますが。
宮原 差し止めなんてありませんよ。一体、和解条項のどこに、報道差し止めなどと書かれているのですか。和解条項の第2の2(※)は、相互に名誉毀損になる行為をしないという意味に過ぎません。
――しかし、宗門側は和解条項の追記(※)をあげて、〝宗門側が事実を単純に否認することは差し支えない〟とも言っています。
宮原 単純な否認とは、ただ「事実はなかった」としか言えないということです。追記の部分は、それを言うだけならば名誉毀損にはならないだろう、という当たり前のことが書かれているだけです。宗門側が言えるのは、これだけなのです。「クロウ夫人はウソつき」であるとか、「創価学会は事件を捏造した」などと言うことは一切できなくなってしまったのです。
――昨年、日顕が出した『真実の証明』なる〝言い訳本〟はどうなるのですか。
宮原 当然、日顕氏はあの本も、今後は出せなくなったのです。現に宗門側自ら、そのことを認めて、この本などシアトル事件に言及する書籍等の販売・頒布を差し止めるよう、1月31日付で宗内に通達しています。
――発言を差し止められたのは、むしろ宗門の方なのですね。
宮原 そういうことです。むしろ、単に訴えを取り下げただけの場合はもちろん、敗訴判決の時でさえ、あれこれ理由を付けて事実はなかったと言うことはできるわけですが、この条項により、日顕氏は単に「なかった」としか言えなくなってしまった。
――まさしく、創価学会側の大勝利ですね。
宮原 そのとおりです。「大白法」の表現を借りれば、宗門にとっては「敗訴判決以上の大敗北」ですよ。シアトル事件は、これで永遠に決着がついたのです。
(※)和解条項 第2の2
2.控訴人ら及び被控訴人らは、相互に、今後、上記第1、2記載の争点にかかる事実の摘示、意見ないし論評の表明をしない。
(※)和解条項 追記
和解条項第2、2は、相互に名誉毀損にあたる行為をしないことを確約する趣旨のものであり、同第1、2記載の争点にかかる事実の存在を単純に否認することはこれに抵触しない。
11.「勝訴判決以上の大勝利」とは大誑惑――勝利は「勝訴判決」あるのみ
宗門は「勝訴判決以上の大勝利」などと〝意味不明・不得要領〟の言辞を弄し、人々を煙に巻いているが、要は誑惑(たぶらかし)であり詭弁である。
「勝訴判決」以外に、勝利は無い。宗門は「敗訴判決以上の大敗北」(宮原弁護団長談)なのである。
◇
東京地裁での主文
一 甲事件、乙事件及び丙事件原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、甲事件、乙事件及び丙事件原告らの負担とする。
東京地裁で原告(宗門側)の請求は退けられ、訴訟費用も全額を負担した。宗門は一審二審をとおして、千四百万円もの印紙を貼った。大惨敗である。
学会は「勝訴判決」を勝ち取った。大勝利である。
宗門側は未練たらしくも、東京高裁に提訴したが勝訴の見通しが立たず、やむなく取り下げた。学会が取下げに同意し、和解が成立した。〝勝負なし〟ではない、実はこの措置により「再訴の禁止」事項に該当、宗門は永久に同様の裁判を起こせなくなった。一方で、学会が勝利した一審判決は、裁判所に公式記録として永久保管されるのである。
宗門がどうしても「阿部は、(中略)売春婦らと、右ヌード写真撮影ないし性行為の料金の支払について、トラブルになった」等と断じた一審判決を「かかる不当な判決は到底承服しがたい」(『大白法』)として認めないと言うなら、再度、裁判を起してみればよい。
ここで学会が一審判決を持ち出せば、たちまち訴えは却下される。すなわち一審判決は「無効」どころか、「唯一最強の判決」なのである。
「東京地裁・下田判決は、ついに東京高裁において無効と化した」(『大白法』)とあるのは、実は宗門が二度と取り返しのつかない〝負の資産〟である一審判決、その「屈辱の記録」が永遠に存することを、ひた隠しにしているのである。
邪義破折班が学会に投げかけた言葉は、そのまま返してあげよう。「なぜ貴殿らは、こうまでして嘘をつくのか」。
(了)
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