ファミリーヒストリー「はるな愛〜母の告白 言えなかった思い〜」 2015.10.16


四国愛媛県の最も西。
全長およそ50キロ。
急しゅんな山が連なり移動が困難だったためかつては「陸の孤島」と呼ばれました。
ここをルーツに持つある人物がいます。
「Yeah!めっちゃホリディ」。
・「Yeah!めっちゃホリディ」ニューハーフでタレントの…本名大西賢治さんです。
明るいキャラクターが人気の愛さんですが幼い頃から性同一性障害に苦しんできました。
そのため自分が生まれた事についてずっと考えてきました。
番組では愛さんに代わり家族の歴史を追いました。
曽祖父が挑んだ原野の開拓。
そして襲いかかる台風の恐怖。
しかし待ち構えていたのは…そして賢治15歳の告白。
母の葛藤の日々が明らかになります。
取材の結果を伝える日。
愛さんは初めて家族のルーツと向き合う事になります。
わぁ昔の!愛さんと母の初美さんです。
21年前愛さんの両親は離婚しました。
こんにちは。
いらっしゃいませ。
(取材者)よろしくお願いします。
奈良に暮らす母初美さんと再婚した夫の毅さんです。
初美さんが生まれ育った場所は愛媛県の佐田岬。
驚くほどへんぴな場所だったといいます。
愛さんの母方中川家が暮らした…瀬戸内海に面した…現在およそ470人が暮らす漁村です。
かつて三机は薩摩藩や宇和島藩が参勤交代で江戸へ向かう途中の寄港地として栄えていました。
昭和初期愛さんの曽祖父中川繁松は港から少し山側の場所である商売をしていました。
それは桶を作る「タリ屋」と呼ばれる仕事でした。
桶は当時仕事や生活に欠かせない必需品。
料理だけでなく畑仕事にも使われタリ屋は各集落に1軒はあったと言われています。
繁松の孫繁さんは祖父が晩年に作った桶を今も大切に使っています。
結婚して10年もすると4人の子供に恵まれます。
そのため繁松はある決心をします。
「もっと稼げる町で桶屋を始めよう」。
繁松一家が向かったのは日本有数の温泉地別府でした。
豊後水道を挟んで反対側にある別府とは古くから船の往来がありました。
昭和初期の別府の温泉街です。
砂湯や蒸し風呂など珍しい温泉を目当てに全国から観光客がやって来ました。
別府の歴史に詳しい平野芳弘さんに当時の地図を見せてもらいました。
道路や鉄道港も整備された別府には多くの働き口がありました。
どうもはじめまして。
こんにちは。
大阪に暮らす繁松の長女で愛さんの祖母ハルノさんです。
別府に行った時は7歳。
当時の事をよく覚えています。
しかし間もなく日中戦争が勃発。
軍事色が強まっていく中ぜいたくは控えられるようになります。
別府の温泉街も徐々に活気を失っていきました。
繁松は失意の中佐田岬に戻るしかありませんでした。
戦後一家はある決断をします。
愛媛県庁の地下倉庫に繁松一家の記録が残されていました。
すご〜い!そういうのがあるんですか。
こちらなんですけど…。
昭和22年佐田岬の開拓事業に応募した人の名簿。
その中に繁松の名前がありました。
戦後政府が打ち出した…未開の国有地に引き揚げ者などを入植させ食糧増産を図ったのです。
佐田岬でも3か所で開拓が始まりました。
繁松が入植したのは山あいにある現在の…120ヘクタール東京ドーム25個分の未開の地を52世帯で開拓する計画でした。
原野を切り開き家を建て畑を開墾します。
2年後には小学校も出来ました。
高茂には今も8世帯16人が暮らしています。
米が育ちにくい土地のためさつまいもや豆などを栽培しほぼ自給自足の生活を送っています。
集落がある場所は標高およそ300メートルの山間部。
商店はなく買い物には1.5キロの険しい山道を往復する必要がありました。
19歳の長女ハルノに縁談が持ち上がります。
ハルノさんは結婚式に着た着物を今も大切に持っています。
近くに着物を売っている店がなかったため農作物と交換してもらってきました。
結婚したハルノ夫婦は同じ集落で暮らし始めます。
林を切り開き家を建てその周りにはさつまいもや麦を植えました。
僅かな収穫が頼りのギリギリの生活でした。
結婚した翌年には長女の初美が生まれます。
後の愛さんの母です。
しかし初美が生まれて3か月後一家をある悲劇が襲います。
昼過ぎから猛烈な風が吹き始めました。
大型のキジア台風が接近していたのです。
え〜っ?えっ?キジア台風が近づいていました。
ハルノは生後3か月の初美を連れ小学校への避難を急ぎます。
「キジア台風は一晩中荒れに荒れ狂いました」。
キジア台風は13日昼過ぎに鹿児島県に上陸すると九州を縦断。
午後11時ごろには佐田岬周辺を通過しました。
愛媛県ではおよそ2万戸が浸水。
甚大な被害が出ました。
愛媛県立図書館で集落の被害をまとめた資料が見つかりました。
これが「愛媛県開拓史」です。
「台風は開拓地を修羅場と化してしまった」。
「屋根は飛び木材は散乱」。
ハルノの家も半壊。
その上大切に育てた畑は見るも無残な状態でした。
畑の作物は全滅。
たんぽぽなどを湯がいて食べ飢えをしのぐ日々が続きました。
初美が小学生になっても開拓地には水道すら引かれていませんでした。
家のすぐ裏に流れていた高茂川。
初美は毎日この小さな川に通いました。
そんな中家族は7人に増え長女の初美は家の手伝いに追われていました。
昭和30年代になると高度経済成長が始まります。
すると開拓を諦め都会に出る家が相次ぎます。
開拓が始まって10年目には集落の人口は半分以下になってしまいました。
ハルノの一家もついに決断します。
初美の小学校卒業をきっかけに佐田岬半島を後にしました。
船と列車を乗り継ぎやって来たのは大都会大阪。
多くの工場が立ち並ぶ大正区。
ここで四畳半一間のアパートを借り家族7人で暮らし始めます。
父は土木作業と製材所の仕事を掛け持ちします。
そして母も町工場で働きました。
中学校に通い始めた初美は初めての都会生活に戸惑います。
そして大阪に出て2年後。
待ちに待った知らせが届きます。
ここにも部屋がある!広い!応募していた市営団地が当たり引っ越す事になったのです。
当時団地は庶民の憧れでした。
ダイニングキッチンなど最新の設備を備えていました。
中学3年生だった初美もそのモダンな内装にときめきました。
特にうれしかったのは洋式トイレ。
中学を卒業した初美は事務員として働き始めます。
そして18歳の時。
出勤途中ある出会いが待ち受けていました。
同じバスに乗り合わせた男性。
後に愛さんの父となる大西和夫でした。
和夫も同じ団地で暮らしていました。
和夫が初美と出会うまでの歳月。
それもまた波乱に満ちたものでした。
昭和27年。
和夫は初美と同じ愛媛県で9人きょうだいの末っ子として生まれます。
当時和夫の父茂枝一は製材所を営んでいました。
しかし和夫が1歳の時事業に失敗。
地元では暮らせなくなり大阪の大正区に移り住みます。
和夫の11歳上の姉笑子さん。
かつて住んでいた場所に案内してもらいました。
ここ。
当時一家は11人の大所帯。
堤防沿いに勝手にバラックを建て仕事を始めます。
生活は苦しく笑子さんは学校に行くのもままなりませんでした。
9年後一家は更に悲運に見舞われます。
父茂枝一が急死。
更に家の立ち退きも迫られました。
当時10歳だった…母と一緒に親戚の家を転々とする生活を余儀なくされます。
転機が訪れたのは3年後。
憧れの市営団地に当選したのです。
和夫は中学を卒業すると働きに出ます。
その通勤バスで出会ったのが後に妻となる初美でした。
その2年後かわいい男の子に恵まれます。
それが長男賢治。
後の愛さんです。
う〜ん。
へぇ〜そうですか。
夜にあの川に…昭和48年賢治が生まれた翌年には次男裕二が生まれます。
家族4人の幸せな日々でした。
21歳の夫和夫は長距離トラックの運転手になり全国を走り回っていました。
初美も幼い子供2人を抱えながら事務員として働き忙しい毎日を送ります。
愛くるしく成長する賢治の笑顔が初美にとって何よりの励みでした。
しかしそんな幸せな日々は長くは続きませんでした。
ギャンブル好きの和夫が多額の借金を重ねるようになったのです。
大西さ〜ん。
いるんやろ?
(ドアをたたく音)家に借金取りが押しかける毎日。
初美は息を潜めて暮らす事を強いられます。
父の和夫さんは当時の事をこう振り返ります。
問題は借金だけにとどまりませんでした。
和夫には愛人がいたのです。
そして初美が25歳の時。
実はこれまで誰にも言わずに隠してきた過去がありました。
ある晩。
いつものように夫はなかなか帰ってきません。
夫の裏切りといくら働いても減らない借金。
初美は子供たちが寝静まった部屋で発作的にある行動に出ます。
結局この日は夫がたまたま早く帰ってきた事で未遂に終わりました。
幼い子供たちの寝顔を見て初美は考えを改めます。
「私がもっと頑張って家庭を立て直してみせる」。
借金返済のために稼ぎのいいパチンコ店で働きます。
更に夜には飲食店の仕事も掛け持ちしました。
家に帰れるのは朝5時。
それでも子供たちのために弁当作りは欠かしませんでした。
「全ては子供たちのために」。
初美は必死でした。
しかしそんな中気がかりな事がありました。
なぜか賢治が女性アイドルの歌まねに熱中。
女の子のような振る舞いが目に付くようになったのです。
「そんな事はやめなさい」。
初美は何度も叱りつけました。
賢治は中学生になると気持ち悪いとひどいいじめに遭うようになります。
しかしその悩みを誰にも言えませんでした。
そして高校に入って3か月後の事です。
・学校から連絡が入ります。
賢治が授業をサボっているというのです。
その日父の和夫さんは賢治から呼び出されました。
この時父は賢治を叱りつけ学校に行かせようと考えていました。
おう話ってなんだ?しかしなぜか黙り込んでいる賢治。
そして息子の口から全く予想だにしない言葉が飛び出したのです。
和夫は混乱します。
(たたく音)思わずテーブルをたたいてしまいました。
するとなぜかこんな言葉が口から出たのです。
その直後の我が子の表情が今でも忘れられないといいます。
しかしその事を知った母は受け入れる事ができませんでした。
会話はおろか目を合わす事すらできなくなってしまったのです。
賢治は高校を中退しニューハーフのクラブで働き始めます。
それでも母の前では心配させまいと男らしく振る舞いました。
しかしある日の事。
仕事を終えて帰った賢治は見た事のない母の姿を目にします。
「もうこの家にはいられない」。
賢治は家を出て住み込みで働く事にします。
クラブのショーに出ながら芸能界でデビューする事を夢みていました。
そして家を出て6年がたったある日の事。
・突然母から電話がかかってきました。
「父と別れて神戸で一人で暮らすけれど捜さないでほしい」というものでした。
不安になった賢治はすぐに神戸に向かいます。
手当たりしだいに不動産屋を訪ね母の行方を知らないか聞いて回りました。
そしてついに居場所を突き止めます。
すぐに母のもとを訪ねました。
この時賢治はすっかり女性の姿となっていました。
戸惑う母に向かってこう言ったのです。
ずっと理解してやれなかった息子が自分を助けようとしてくれている。
それから5年後の…愛さんは芸能界でのチャンスをつかもうと思い切って上京します。
しかしなかなか仕事は増えずもがき続けていました。
すると上京して6年後愛さんは母から一通の手紙を受け取ります。
その時愛さんは成功するまでこの手紙を読むまいと人に預けてしまったため所在が分からなくなっていました。
Dialogue:0,0:40:32.60,0:40:37.60,Default,,002015/10/16(金) 14:05〜14:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「はるな愛〜母の告白 言えなかった思い〜」[字][再]

母が生まれたのは、愛媛県佐田岬。開拓農家だったが、台風に襲われ挫折、家族で大阪へ移住する。結婚し生まれた長男は、性同一性障害に直面。悩みながらも強く生きる姿。

詳細情報
番組内容
母が生まれたのは、愛媛県佐田岬半島。戦後の食糧難で募集された開拓農家だった。しかし度々、台風に襲われ挫折。家族で大阪へと移住する。高度成長期、一家は念願だった団地に当選。母は、同じ団地で出会った男性と結婚する。だが、すぐに抱えた多額の借金。そして長男の、性同一性障害。母は、誰にも言えない深い葛藤の中を生きることになる。初めて語られる母の思い、それは愛さんが想像していないものだった。家族の絆の物語。
出演者
【出演】はるな愛,【語り】谷原章介

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:15032(0x3AB8)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: