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【戦後70年】毎日のように誰かが餓死…京都「戦災孤児寮出身者」が振り返る〝孤児の戦争〟

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【戦後70年】
毎日のように誰かが餓死…京都「戦災孤児寮出身者」が振り返る〝孤児の戦争〟

戦後数年間だけあった伏見寮の全景=川崎泰市さん所蔵・本庄豊教諭提供

 第二次世界大戦直後、戦災被害が比較的少なかった京都市には、関西一円の孤児たちが駅などに集まった。その孤児たちを一時保護した公的施設「伏見寮」が、昭和21年から約5年ほど運営された。寮は多いときで100人以上を収容していたとみられるが、正確な記録は残っていない。戦後70年がたち、戦災孤児の存在が忘れ去られつつある現状に危機感を覚えた元「駅の子」が、その過酷な体験を語り始めた。(池田進一)

 「孤児にとっての戦争は戦後に始まった」。伏見寮出身の奥出広司さん(76)=京都府宇治市=はそう振り返る。

 母を早くに亡くしていた奥出さんが、終戦直後の混乱のなかで父も亡くし、京都駅で「駅の子」として暮らし始めたのは6歳のときだった。食べるものはなく、たばこの吸い殻を集めて紙で包み直して売ったり、物ごいをしたりして、飢えをしのいだ。

 戦災の被害が少なかった京都には雨露をしのぐことができる屋根付きの建物が数多く残っており、関西一円から孤児が集まっていた。

 しかし、そこで生き抜くことは難しかった。連日のように誰かが餓死していく様子を目の当たりにした。「いつ自分も死ぬのかと毎日思っていた」という。

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