衣替えの季節です。
最近はシンプルライフに憧れて、少しづつ物を処分したり、余計な物を買わないようにしている。
それでもどうしても減らせない場所、減らすどころかどんどん物が増えていく場所があって。
そこはもとは納戸だった、私の書庫である。
昔から読書が趣味だった私。
独身の頃は毎月4~5万円も本代に費やしいつも貧乏だった。
家庭のある今は図書館利用や文庫化まで待つなどして1~2万に収めるようにしているが、それでも小遣いの使い道のほとんどは書籍代である。
引越しの度にもう読み返さないだろう本は処分してきたのだが、そうして残った本は厳選されたお気に入りなので床が抜けても処分できない。
定年退職したら自炊セットを購入して一冊一冊読み返しながら自分用に電子書籍化したい。そうしたら老人ホームにも持っていける。
年を取っても、環境が変わってもいつも変わらず側にあるのは本である。
どうしてこんなに本に固執しているのか。
思い返すのは中学の時。
今日は本に命を救われたあの日、の話。
本だけが友達だった頃
中学入学時、私は福島の小さな町に引っ越した。
小6までは友達も多く、おしゃべりで明るい性格だったと思う。
しかし入学式の日に躓いた。
「どっから来た!」
友達の話し方が怖い。喧嘩を売っているかのよう。
しかも発音がおかしい。
何を話しているのか理解できない。
Pardon?もう一回言って!
「よくきゃったー」と迎えてくれた祖母が何を言っているのか分からずキャット?と思った時点で覚悟はしていた。
しかしまさか若い子は訛っていないだろう、と思ったのだ。
甘かった。田舎は2世帯3世帯同居が当たり前。両親は共働き、祖父母に育てられた子供たちは田舎の年寄り並みに訛りまくっていた。
田舎では転校生は珍しく、私はパンダなみに囲まれた。
あれほど怖かった日はない。
華やかなはずの転校生歓迎の図。私にしてみれば何の言語訓練もされずに異国に放り出されたような気分だった。
彼らは子供だが中身は東北のジジババだ。東北の年寄りはあまり笑わない。そして東北弁は常に喧嘩売ってんのか、と言いたくなるくらいきつい。
イントネーションは聞き取れないし単語も所々分からない。
ドアがきちんと閉まっていないよ、というのを彼らはこう叫ぶのである。
「とーげすぬげ!」
えっ?何?Why?うろたえる私に友達は溜息をつく。
「あーもいい。ごすきかねやつだは!」
(訳:もういいです。気の利かない人ですね。)
私は何も理解できぬまま、最初から最後まで怒られて終わる。
後から知ったのだけれど、常に喧嘩腰の友人たちは実は怒ってはいなかった。
年寄りは耳が遠いので声が大きく叫ぶように話す。
そんな人達に育てられた彼らは声が大きく、東北人の常であまり笑わないので怒っているように見えるだけだったのだ。
結局私の転校初日は散々だった。
クラスメイトは40人ほどしかおらず、しかもみな訛っていた。
救いは転勤者が多い教師は比較的訛っていなかった、ということだけ。
おかげで授業だけは理解できた。
私は普通の明るい子供からすぐに物凄く自信のない、暗くおどおどした人間に変わってしまった。
発言するとテレビと同じ話し方でおかしい、と笑われるので極端に無口になった。
話しかけられて聞き取れないと舌打ちされるので、話しかけられないよう休み時間はずっと本を読んでいた。本の世界だけ私のたった一つの逃げ道だった。
色んな本を読んだ。ファンタジーやSF、遠い世界の物語が多かった。現実を忘れたかったのだと思う。
目立たないように、空気のように。物語の世界に心を傾けて。
そうやって私はひっそり中学校の一年間を乗り切った。
毎日がぼっけえきょうてえ
中一の時の私は相当切羽詰まっていた。
ただ引っ越したばかりで、両親も生活や仕事を軌道に乗せるため忙しくそれどころではなかったんだと思う。
それに多分私と同じ事情で小学生と保育園児の弟たちが相次いで保健室登校や自家中毒になりカウンセラーや病院送りになってしまった。
末の弟が入院したので泊まり込みで看病する母に、あんたが元気で家事やってくれるから助かるわ、と言われ私は何も言えなくなってしまった。
寒くなった頃にはいろいろ限界で、でもどこにも吐き出せなくて、私はただ髪の毛をむしっては一本一本ストーブで焼いていた。
風邪薬を一本飲んだのもその年の冬だ。錠剤を全部飲み切って、布団を被って震えながら眠った。
結局風邪薬では人は死ななかった。
今度は頭痛薬で試そうか、と思ったのだけれど止めた。
止めた理由は、もし今死んだらその頃好きだったコバルト文庫の新刊が読めなくなるから。
藤本ひとみさんのマリナシリーズと、前田珠子さんの破妖の剣が完結したら死のう、と思っていた。
私の先見の明は正しかった。
おかげ様で今でも死ねない。 (二つとも完結してません…)
愛してローマ夜想曲―まんが家マリナアストラル・トリップ事件 (集英社文庫―コバルトシリーズ)
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破妖の剣は厦門潤さんが表紙の頃しか読んでません。そろそろ完結するのかな?
マリナシリーズは…。諦めるべきなのか⁉︎
うつうつが終わった日
ただただ暗い学園生活は2年目の春に終わりを告げる。
大人しく暮らしていた私は三年になったばかりで粋がっていた先輩達にトイレに呼び出された。
物凄く目立たないように過ごしていた私。服装も髪も地味。態度も大人しい。先輩とすれ違う時は必ず挨拶、頭を下げるという決まりも守っていた。
何の用だ…と怯える私に先輩は言い放った。
「オメーのおはようございます、訛ってないんだよ!都会者ぶって田舎バカにしてんじゃねーのー⁉︎」
「おはようございます」が訛るってなんだよ!
余りにも不条理過ぎる呼び出し理由に私は絶望した。
もうダメだ。
何を言っているのか分からないよ!
私はトイレの床に座り込み、子供のようにワンワンと泣いた。
物心ついて人前で泣いたのは後にも先にもこのときだけだ。
多分我慢していた感情の堰が決壊したんだと思う。
時刻はお昼休み。
トイレの声は反響し、先輩は逃げ出し、教師やら同級生やらが集まってきた。
結局私は先生にはチクれなかった。言うとさらに酷くなると思ったから。
優しく指導されただけなのに私が泣いてしまった、と言い訳した。
でも先輩の呼び出しを食らったことのある同級生達は気がついた。
「訛ってないから生意気だと言われた」
そう打ち明けた私に、何人かの友達が会津弁を教えてくれるようになった。
ノートに単語を書いて発音を覚えて。今思えば英語もそのくらい熱心に勉強しておけば、と思うけれど。
休み時間の講習会で、ようやくみんなの言葉が全て理解できるようになった。
それからぶっきらぼうな物言いも怒っている訳ではないのだ、と分かった。
発音は今でもニワカ、と笑われるけれどそれなりに覚えた。
言葉で私の世界は救われた。
話を聞き取れる、性質を理解した事で必要以上に恐れる事は無くなった。
私の訛りはネイティヴにはならなかったけれど、トイレ号泣事件以来からかわれる事も少なくなった。
今振り返れば中学校は余りにも小さすぎる箱庭で、大きな高校に進学したら皆標準語で明るく優しかった。
荒っぽかった中学時代の友人達は逆に肩身を狭くし、やがて標準語で話すようになった。
私は少しずつ昔のように明るくお喋りになったけれど、空気を読んで、とか目立ち過ぎないように、と周りに合わせるようになった。
田舎のねずみの中でたった一匹都会のねずみだった私は今でも浮くのが一番怖い。
素直な子供は失われ臆病な大人になった。
でも私の臆病さは生き残る術で、何処へ行ってもすぐに馴染むと褒められるようになった。
あの頃は絶望しかなかったけれど、大人になった今折れた心は強くなるのだと知った。
…けれど自分の子供には一人で髪の毛を焼くような寂しい日は過ごさせたくない。自分の気持ちを変えるのは本人しか出来ないけれど、環境や舵を変える事は親にも出来る、と信じている。
幸い高校に行ってからは生きていて良かった、と思えるような日々が続いている。
でも時折考える。今の幸せは恒久ではないかも知れないと。
そういう、虚無感みたいなものが私の心には焼き付いてしまった。
天災や、事故や事件や。
思いもよらない事で私達の日常は突然裏返る。
だからこそ人は、手放した時後悔しないように今を愛するんだと思う。
そしていつか優しいボートが転覆し冷たく暗い海に投げ出された時にも。
私には逃げ込む本の世界がある。
明日も明後日も生きていける。
新刊の出ない朝はないから。