至上の価値は少年ジャンプか小松菜奈か「バクマン。」
目標も夢も何もないごくフツーの高校生が、一転、漫画という夢と希望を発見したときの世界が一気に開ける感覚!その衝撃と感動は何物にも変えがたい光芒として私の網膜に焼きつけられる。本当にここは感動するよなぁ。たいていの人は一生を捧げるに値するものなんて何も見つけられずに亡羊と生きていくほかないってのに、この子たちは高校生のみそらでそれを見つけてしまうんだ。有頂天になるのもわかる。
夢に向かって、ただ夢だけを見て駆け上がっていくことの出来る人生というのはそれだけで貴重すぎるほどの宝物だ。
だがプロデューサーの川村元気氏がこの映画を「キッズリターン」(北野武作品)にしてくれと大根仁監督に注文した以上、夢だけを見て駆け上がっていく映画ではなくなるのは当然のことだった。
晴れてジャンプ作家となった二人(佐藤健、神木隆之介)を待ち構えていたのは、恐るべきジャンプシステムーアンケート至上主義、週間連載というあまりにも過酷な「業務」の連続であった。
週間連載、1週間ごとに締め切りがやってくるというのは想像するだに過酷な状況である。それも新人作家である以上絶対に「落とす」わけにはいかないプレッシャーがあり、読者のアンケートで人気順位が二桁代になれば容赦なく打ち切られるのである。もし私がこんな過酷な状況に陥ったらと思うと「オエッ」とえづくような緊張感がある。
あれほど夢と希望にあふれていた高校生二人は夢も希望もない「日常業務」の中に埋もれて疲弊していくのだ。これは見ていてつらかったな。
まるで少年ジャンプが高校生二人の貴重な夢と希望と才能と時間を食い尽くそうとする「搾取モンスター」のように見えてしまうのだ。
この映画バクマン。を少年ジャンプにとって最高の宣伝という人もいるだろうが、私には逆効果としか思えなかった。私はこう考えてしまうのだ。
はたして少年ジャンプに命を賭してまで戦う価値はあるや?と。
日本には漫画家を目指す人たちが何万人、何十万人はいるだろう。だがそのほとんどの人たちは漫画家にはなれない。またその狭き関門をくぐりぬけた人たちでも連載を持つまでには至らないし、連載を持ったとしてもほんのひと握りの「天才」以外は連載を続けられずに打ち切られ人知れず消えていくのだ。そして連載を持ったひと握りの天才ですら原稿料は安く、アシスタントを雇えば足が出る始末だ。
こんな想像を絶する競争を勝ち抜いても大した栄誉も金銭もえられずに身も心もズタボロにしてまで戦う価値が漫画にはあるのだろうか?
少年ジャンプは漫画を至上の価値とする大勢の人の幻想に支えられた砂上の楼閣ではないのか。その構造は宗教に近いのではないか。
古代ローマ時代キリスト教徒は迫害され弾圧され、処刑される人も少なくなかった。しかし彼らはそうした苦しみを受け迫害されることに意味を見つける。「私たちは神に選ばれたからこそこのような苦しみにあっているのだ」と。そして棄教すれば命を助けるといわれても、彼らはそれを拒否して喜んで殉教者となった。そして信者たちは殉教者を見てますます「選ばれてあること」の確信を強めて、信者数を増やしていき最終的にはローマ帝国を支配することとなる。
プロの漫画家の方たちはどこか嬉々として漫画家苦労話をされるが、彼らにとっても漫画家の「苦しみ」は「選ばれしもの」の意味合いがあるのだろう。漫画家になった以上苦しむことが当然なのだと。彼らは「漫画」を信仰しているのだ。
漫画が信仰対象なら、彼らが常軌を逸した作業量にくらべて微々たるギャラで我慢しているのも理解できる。
しかしだ。私は漫画を愛好してはいるものの、決して「信仰」しているわけではないので、バクマン。の命を賭してまで漫画に打ち込むことの意味が理解できない。つまり少年ジャンプがブラック企業に見えてしまうのはいかんともしがたい。
それではこのバクマン。は駄作なのかというと違う。
私にとって少年ジャンプは漫画挫折者という屍を大量生産するブラック企業でしかない、このようなものに命を賭してまで身を捧げることはできない。・・・しかしだ。小松菜奈になら命を削り取られるようなことになったとしても、それを甘受する用意がある。
小松菜奈ちゃんのようなお人が漫画家として成功するのを待っているねというのなら、死ぬ気で頑張る気があるということだ。
つまりこの映画バクマン。を小松菜奈の「アイドル映画」としてみるならば、キッズリターン的な鬱々とした青春映画から一転、希望に溢れた「愛の映画」となるのである。
漫画が読者という不特定多数の支持を受けられなければ、大好きな漫画を描くことさえ強制的にやめさせられるという無理ゲーなのに対し、アイドル映画としてのバクマンは小松菜奈たった一人の支持さえ受けられれば、満願成就するのである。ここにいたって答えは明らかだろう。おのれの人生を賭けるに値するのは少年ジャンプではなく、小松菜奈なのだ。
映画バクマン。は小松菜奈をひたすらペロペロする映画である。
2015年10月18日
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