様々なことに全力で挑戦する人たちを応援するため、「初恋の味」のキャッチフレーズや「甘ずっぱい青春」をテーマに、コミュニケーションを展開している「カルピス」ブランドが始めた企画「ゲンエキインタビュー」。
今回は、アニメ『テニスの王子様』の跡部景吾役や『うたの☆プリンスさまっ♪』シリーズの神宮寺レン役をはじめ、数多くの作品に出演する声優としてだけでなく、ナレーターやラジオパーソナリティなど声の業界全般で活躍されている諏訪部順一さんにゲンエキ[現役]インタビューを行いました。
記事最後には、諏訪部順一さんのサイン入り特別グッズプレゼントキャンペーンの詳細も!
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取材・構成:宮崎祐貴・織田上総介 撮影:えだまめ
諏訪部順一とは、どんな人間か
━━声優というお仕事を軸に様々な領域で活動されている諏訪部さんですが、改めて普段のお仕事について教えてください。
諏訪部順一(以下、諏訪部) 「声」を使い表現する仕事を中心に活動しています。自分を御存知の方は、アニメやゲームのキャラボイスを担当する「声優」と認識されている方が多いかと。
ですが実は、テレビ番組やCMなどの「ナレーター」や「ラジオパーソナリティ」としてのキャリアの方が長かったりします。声の仕事以外ですと、音楽や映像企画の構成やプロデュース、作詞やデザインなども。自身がパフォーマーとして関わるもの、関わらないもの、双方で行っています。
━━割合としては、やはり声のお仕事が多いのでしょうか?
諏訪部 仕事量で言うと、声優業とナレーター業がやはり主軸です。現在は声優業から派生した仕事が多岐に渡っていて、なんでも屋さんみたいな状況になっていますが(笑)。
━━諏訪部さんは声のお仕事をはじめて今年で20周年だそうですが、この道を志したキッカケは何だったのでしょうか?
諏訪部 もともとは演者志望ではなく、演出志望でした。高校大学と映画サークルに所属して自主制作映画をつくっていたのですが、お芝居が達者な出演者を集めるのがなかなか難しく。
そこで、自身が演技を少しでも学べば、演技経験のない人に「こんな感じで!」と示すことが出来るようになるのではないかと考えたわけです。映画づくりの足しになればと、カルチャーセンターに通うような感覚で養成所の門を叩きました。
━━大学を卒業してすぐに養成所に入られたのですか?
諏訪部 大学卒業後は普通に就職しました。新卒入社の会社では趣味でもある映画や音楽の商材を扱う仕事を。ですが映像の夢を捨てられず退社してしまいました。けれど、再就職した制作会社が演出ではなく技術系だったため、カメラアシスタントをやることになって。思わぬミスから流転の時代がはじまり、出版社や、当時ブームだったマルチメディア系の会社など数社を渡り歩きました。
そんなサラリーマン生活末期、平日は会社、土曜は養成所という生活を約1年。数々のふるいをくぐり抜けた結果、プロダクションに所属出来ることになり。せっかくだから!と飛び込むことにしました。
気づけばそれから20年以上の月日が。本当に早いものです。当初は会社了承のもと正社員として働きながら声の仕事をしていたので、オフィスの行き先ボードに「直帰」と書いてナレーション収録に行ったことも(笑)。
映画にのめり込んでいた学生時代
━━学生の頃、映画をつくるために活動していたということですが、なぜ映画が好きになったんですか?
諏訪部 きっかけは不明なのですが、幼少期から映画が大好きでした。ジャンルこだわらずアホほど観ていましたね。小さい頃はテレビ放送が主でしたが、高校生くらいから映画館に通い出し、大学生の時分は安くなったレンタルビデオを借りまくり映画三昧していました。
━━観るだけでなくつくりたいと思われた理由は?
諏訪部 小中学生の間ずっと放送委員をやっていました。校内放送だけなく、ラジオ番組をつくってコンテストに出品したりなんてことも。性に合っていたというか、やってみたら非常に面白くて。音だけでなく映像も付いたら……と変化していったのは、自分的には至極自然な流れだったと思います。
そんなこんなで、将来は映画やテレビドラマの演出家になりたいと思っていたのですが、その一方で「こういう職業で食っていけるようになるのは難しいな」という冷静な思考も。
━━確かに、志せば叶うものとは違いますよね……。
諏訪部 ええ。経済的に余裕のある家庭でもなかったので、安定収入を得るために一般企業への就職を選びました。しかしまぁ、結局はこういう道に(笑)。親は猛反対だったので、3年以内に声の仕事だけで十分食っていけるようになれなければスパッとやめると確約してからはじめました。一日も早く結果を出すため、「来るもの拒まず、去るもの追いすがる」という姿勢でガツガツ働いていましたね。
お話した通り、もともとの志望とは異なる道なので、面白さや奥深さは進みながら知っていった感じです。今ではこの仕事を心から愛していますし、職業人としての誇りも持っています。
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