物理学的な理由から、完全に正確な時計は作成不能であろうと言う事が判明
Krzysztof Lorek, et.al. "Ideal clocks—a convenient fiction." Classical and Quantum Gravity, 2015; 32 (17): 175003 doi: 10.1088/0264-9381/32/17/175003物理学的に予測された現象により、完全に狂いの無い時計を作製する事は不可能である。このような論文が Classical and Quantum Gravity に掲載された。ただし、この論文を遅刻の言い訳にする事は出来ないので注意されたし。
物理学は正確な時計が存在する事を前提に設計されている
時間測定に影響を与えるものとして有名なのは「相対性理論」である。物体が運動していたり重力のある場にいると、それが無い観測者と比較して時計が遅れて進む。これは実験により厳密に証明されている現象である。例えばGPS衛星は、地球を周回するために高速で運動し、地表から離れた上空にいるが、相対論効果による地上との時計のずれを直すための補正が組み込まれている。
しかし、このような話が可能なのは、時間測定の基準となる時計が必要であり、それは暗黙の内に「絶対的に正確な時間を刻む時計」の存在を仮定している事になる。基準が存在できるかどうかは、理論の基礎に関わる話であり、無視できない。そして、現代の物理学は、時計に影響を及ぼしそうな現象を予測している。
「ウンルー効果」とは
それは「ウンルー効果 (Unruh effect)」と呼ばれる現象である。これは1973年にステファン・フリングによって、次は1975年にポール・デイビスによって、1976年にウィリアム・ウンルーによって提唱されたもので、最終的にはウンルーの名が残った (この歴史を踏まえ「フリング・デイビス・ウンルー効果」と呼称される事もある。) 。ウンルー効果は、加速運動をしている観測者は黒体放射を観測すると言う予測である。言い換えれば、加速している観測者は熱を感じると言うものである。以下、ウンルー効果に関する解説になるため、既にご存じの方は読み飛ばしてもらって構わない。
現代の量子力学では、真空とは「物質もエネルギーも存在しない空間」を意味しない。不確定性原理に基づき、真空はエネルギーはゼロではなく最低値のエネルギーを持つ空間と定義され、常に空間では仮想粒子と仮想反粒子が対生成・対消滅を繰り返している。そして、加速運動をしている観測者では、観測者からは観測する事が出来ない領域である「見かけ上の事象の地平線」が生成する事が特殊相対性理論のリンドラー時空と呼ばれる概念から導かれている。この見かけ上の事象の地平線が問題である。
事象の地平線で最も有名な例はブラックホールである。ブラックホールは光すらも脱出できない境界があると形容されるが、これは言い換えれば、いかなる情報もブラックホールの事象の地平面から外側には出てこない事を意味する。即ちブラックホールの内部は事象の地平面を超えて観測できない。これはリンドラー時空における事象の地平線とよく似ている。
そして、事象の地平線では仮想粒子に関するある現象が発生する。仮想粒子は対生成するとすぐさま互いに出会って対消滅をするが、もし事象の地平線の近くで対生成が発生すると、片方だけが事象の地平線を飛び越えてしまう事がある。ペアを失ったもう片方は対消滅が出来なくなる。仮想粒子自体は観測出来ない幽霊のような存在であるが、エネルギーを受けると実在粒子となって観測可能となり、外に飛び出す。粒子が飛び出すと言うのは、言い換えれば熱を放出しているのと同じである。
即ち、加速運動を行っている観測者は、事象の地平線から熱を受けるため、真空でも加速運動を行っている限りは温度はゼロではない。これがウンルー効果である。
ウンルー効果は観測者を乱す
ウンルー効果は、観測者にどんな影響を及ぼすのだろうか。今回 Krzysztof Lorek が論文で提唱したのは次の事である。熱を受けると言う事は、粒子との相互作用があった事を意味する。これは、観測者の運動に影響を及ぼすが、それは本質的に予測がつかないため、時計は絶対的な安定性を有さなくなる事を意味する。即ち、理論の前提となる「正確な時計」はもはや存在しないだろうと言うのが Lorek らの考えである。例えばμ粒子のような生成しやすく短時間で崩壊する粒子を、粒子加速器で非常に大きい加速度を与えれば、相対性理論で予測される粒子の寿命からずれた値が出るだろうと Lorek らは考えている。
しかし、ウンルー効果は非常に弱く、これまで観測された事が無いのが最大の問題である。加速度が大きい運動ほどウンルー効果は強くなるが、例えば温度に換算すると、地球の重力加速度では 3.9×10-20K 、現在運用されている最高出力の粒子加速器である大型ハドロン加速器でも 7.7×10-12K 程度しかない非常に弱い効果である。しかし、粒子の崩壊に関する測定は非常に鋭敏なため、ウンルー効果による温度の直接測定は無理でも、粒子の崩壊時間が予測と外れた値を取るのを観測する事で、ウンルー効果を間接的に測定できるのではないかと Lorek らは考えている。
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