会社概要

会社概要・沿革

会社概要

会社商号
株式会社ディーエイチシー
本 社
〒106-8571 東京都港区南麻布2丁目7番1号地図
代表取締役
吉田 嘉明
創 業
1972年
設 立
1975年
資本金
33億7,729万円
従業員数
2,899名(2015年4月21日現在)
取引銀行
りそな銀行 三菱東京UFJ銀行 みずほ銀行 三井住友銀行

沿革

1972(昭和47)
現会長(CEO)、吉田嘉明が創業。委託翻訳業務を開始。
1975(昭和50)
株式会社に改組。
1980(昭和55)
化粧品製造販売開始。
1992(平成4)
出版事業、教育事業開始。
1995(平成7)
月刊会報誌『オリーブ倶楽部』創刊。
DHC USA INCORPORATED 設立。
健康食品製造販売開始。
DHC TAIWAN INC. 設立。
1996(平成8)
港区南麻布に本社ビル完成。
インナーウェア販売開始。
1999(平成11)
全国のコンビニエンスストアで化粧品プチシリーズ販売開始。
2001(平成13)
赤沢温泉ホテル運営開始。
2002(平成14)
食品事業開始。
DHC KOREA INC. 設立。
DHCオンラインショップ開設。
2003(平成15)
直営店第1号店オープン。
赤沢日帰り温泉館オープン。
SHANGHAI DHC COMMERCE CO.,LTD. 設立。
DHCモバイルショップオープン。
2004(平成16)
DHC HONG KONG LIMITED 設立。
2005(平成17)
医薬品製造販売開始。
長沼工場竣工。
2006(平成18)
アパレル製造販売開始。
DHC公式ブログ開設。
2007(平成19)
DHC FRANCE S.A.S.設立。
2008(平成20)
さいたま岩槻工場竣工。
海洋深層水研究所竣工。
遺伝子事業開始。
2009(平成21)
赤沢迎賓館オープン。
2010年(平成22)
医療機関専用サプリメント「DHC FOR MEDIC」シリーズ販売開始。
2013年(平成25)
直営店201店舗達成
2015年(平成27)
通信販売会員数12,679,248人突破。(10月)

会長メッセージ

8億円貸付騒動でDHCはすっかり有名になってしまいました。貸し付けは、あくまでも私個人がしたことであり、政界の要人と懇意にしていたというのも個人的に親しかっただけで、DHC自体とは何の関係もありません。ましてや、世間の一部が面白がって揶揄しているような金貸しでもなければ政界のフィクサーでもありません。普通の人と多少違うのは、正義感が強すぎて、政界・官界の腐った構図にどうしても黙っていられないという性格くらいでしょうか。市井のどこにでもいる、一家言を持ったごく普通の爺さんですが、ここまで全国的に有名になってしまうと、社員はどこへ行っても、会長はどんな人なのかと、先ずいの一番に聞かれるようです。

仕方がないので、この紙面を借りて簡単に私の来歴を紹介しておきたいと思います。私が生まれたのは昭和16年の1月、大東亜戦争が始まったのは、その年の12月ですから、正確には私は戦前生まれという事になります。母方の祖父は松場密三郎といって当時日本の統治下にあった朝鮮・満州・台湾を舞台に大活躍した有名な実業家でした。元々は広島県の出身です。父は佐賀県の農学校を出て、当時の農林省から朝鮮に派遣された役人でした。私は朝鮮で生まれましたが、両親の結婚記念日に生まれたので、目出度い日に生まれたという事で「嘉明(よしあき)」という名前がつきました。両親は共に日本の名家の家柄であったため、皇族の梨本宮殿下、東本願寺の大谷法主猊下をはじめ内地から視察に来られたVIPはほとんどの方がわが家に逗留されたそうです。そんなわけで、超大金持ちの家に生まれ、敗戦になって日本に引き揚げてくるまでは何不自由ない生活を送っていたものと思われます。まだ幼かったのでその頃の記憶はほとんどありません。

父は故郷の佐賀県に引き揚げてからは、代用教員をした後、地元の佐賀県農業協同組合信用連合会の唐津支所長をしておりました。一転して、貧乏な生活を強いられた訳ですが、私にとっては楽しいだけの思い出です。周りの人に言わせると、私は我がまま放題のやんちゃ坊主で、小さいながらもいつも何人かの子分を連れて歩いていたそうです。小学校・中学校までは地元唐津の普通の学校に通いました。勉強には全く興味がなく、家には机もないような状態でした。成績なんかは気にもしたことがありませんでしたが、IQだけは全校で一番でした。どうしたら力持ちになれるか、どうしたらもっと強い男になれるか、そんなことばかり考えていました。高校は福岡県の名門、西南学院高校に進みました。良家のお坊ちゃんが通う上品な進学校でしたが、私は中学生の時から空手をやっていて喧嘩が滅法強かったので、いつの間にか硬派仲間のボスに祭り上げられてしまいました。担任教師からさえ恐れられる存在でした。大学は叔母の母校、同志社大学の英文科に行くことにしました。祖父のように貿易会社を興し、世界中の国々を相手に活躍したいと思ったからです。大学ではほとんど授業に出ず、ありとあらゆる種類のアルバイトを経験しながら、もっぱら社会勉強に精を出していました。この経験はのちになって大いに役に立ちました。何をやっても食っていけるという自信がついたものです。大学を出て丸1年だけは商社に勤めましたが、自分にはサラリーマンは全く向かないという事だけはすぐにわかりました。辞めてからは、取得していた通訳案内業と英検一級の資格を武器に会社を興し、今のDHCの翻訳通訳事業部と同じような仕事を開始したわけです。一度倒産し、1972年に正式にDHCを立ち上げ今に至っています。

兄弟のことについても少し触れておきます。5人兄弟で私は上から4番目の次男坊です。一番上の姉はもう80歳を超えていますが、地元のボス的存在で、自衛隊の支援をしている全国組織、全国防衛協会連合会佐賀支部の副会長(女性部会長)をしております。次の長男はリコー三愛グループの九州三愛石油株式会社の社長を退任した後、スポーツ用品の会社を起こしましたがうまくいかず、今は登山などを趣味にして年金生活をエンジョイしております。三番目の次女はノエビア化粧品の販売会社を経営しておりましたが、数年前に人に譲って、今は趣味のゴルフに明け暮れています。下の妹はプロの陶芸家です。一番上の姉と妹は故郷の佐賀県唐津市に在住していますが、兄は福岡市に、二番目の姉は私と同じ千葉県の浦安市に住んでいます。

DHCはずっと順風満帆で急成長を遂げたように思われていますが、決してそうではありません。会社を立ち上げてから、もう半世紀近くになりますが、倒産しそうになったのは、一度や二度ではありません。もう駄目かなと思ったのは5,6回はあるでしょうか。当時の苦労を知っているのは、私以外では高橋社長1人だけになってしまいました。全従業員が一丸となって破竹の勢いで大発展した時代も過去にはありました。平成10年代には、何と、従業員数が今(平成26年)の半分にも満たないのに同じだけの営業利益を挙げていたのです。会社が大きくなると、社員は大半がバカになります。自分の将来がかかっている自分の会社なのに、他人事みたいに見てしまうのですね。会社の悪口を外に言いふらす獅子身中の虫まで出てきます。でも会社一筋に、我武者羅に頑張っている社員もまだまだいます。こういう社員たちが幸せな余生を送れるような盤石な体制を築き上げるまではと、私は古希を過ぎた今も、老骨に鞭を打って頑張っております。

会社も相当劣化しましたが、世の中も全般的に確実におかしくなってきています。日本の諸悪の根源はまさしく官僚と東大にあるのですが、今は誰もそのことを言わなくなりました。天下り先の各種法人を入れると公務員および公務員もどきに消費されている税金の総額は、国の全体の収入(歳入)の半分を優に超えると言われています。それに比べて欧米では僅か20〜30%に過ぎません。占める人口も統計的には巧みにごまかしていますが、実質的には4人に1人が公務員関係者なのです。まさに日本を食い尽くしている白アリ軍団です。官庁を牛耳っている官僚はほとんどが東大卒です。経団連を牛耳っている幹部も事務方の民僚もほとんどが東大卒です。全く役に立たない連中です。東大卒がなぜ役に立たないのか、理由は簡単です。独創力・応用力・判断力・リーダーシップ・生きるための知恵といったものは、子供の時の遊びを通して切磋琢磨の中から生まれてくるものなのです。彼らは勉強ばかりしていたから、そういった素地が全く育っていません。他人に対する思いやりもありません。日本の政・財・官の中枢を東大閥で固めてしまおうというのが彼らの魂胆です。能力のなさからくる自己保身でしょうか。こういう輩にこの国を好きなように弄らせてよいのでしょうか。東大が一番だと思っている東大卒もバカですが、もっとバカなのは東大が一番だと思っている東大大好きの庶民です。公務員改革・中央集権打破にもっとも熱心であったみんなの党に、国が少しでも良くなるようにと、私は大義を持って浄財を投じたのですが、それさえ悪く言われる始末です。もうこの国に未来はないような気がします。安倍さんは頑張っていますが、支える国民が悪すぎます。

昔と違って、今は自慢できるような社員が激減したのは事実ですが、それでも中にはとんでもなく優秀で人格的にも優れた者もいます。たまたま、この素晴らしい社員に遭遇されたら、それこそが真のDHC魂だと思ってあげてください。真のDHC社員は他人に対しても思いやりがあります。自分のことだけを考えて動くような人間ではありません。どんな事があってもへこたれません。どんな重労働でも厭いません。最大限の知恵を働かせます。絶対に嘘はつきません。どんな仕事をしていようと心のうちに真の愛社精神を秘めています。バカがいたら避けて通り相手にしないことです。

平成26年5月2日

株式会社ディーエイチシー 代表取締役会長兼CEO 吉田嘉明

広報活動

東日本大震災 DHCの支援活動

株式会社ディーエイチシー(本社:東京都港区、代表取締役会長 兼CEO:吉田 嘉明、以下:DHC)の2014年7月期決算は、売上 1,084億870万円、経常利益 156億1,700万円、純利益 49億6,700万円となりました。

東日本大震災で被災された福島県南相馬市、岩手県大槌町、宮城県が運営する「東日本大震災みやぎこども育英基金」へ純利益の1%ずつ、計1億4,898万円を、2014年11月4日(火)に送金致しました。
福島県南相馬市、岩手県大槌町では当社の寄付金は被災地支援に活用されており、市町を挙げて感謝もされております。
「東日本大震災みやぎこども育英基金」は宮城県が運営しており、東日本大震災により両親または父・母のいずれかを亡くした児童を対象とし、18歳を迎える年度末まで、安定した生活を送り、希望する進路選択を実現できるよう、修学資金等を助成する基金です。

2011年3月11日に発生した大震災からの復興を願い、震災後間もない2011年3月30日に福島県、岩手県、宮城県の東北3県にDHCと当社会長個人より、あわせて4億5,000万円の義援金を寄付。
5年間、毎年の純利益の1%ずつ、計3%を東北3県に寄付することをお約束致しました。2011年11月に1億3,011万円、2012年11月には2億445万円を、2013年は2億8,788万円、4年目となる2014年は、1億4,898万円を寄付致しました。ほかにも健康食品を特別支援価格で販売した代金、お客様からのお志、当社会長個人よりの寄付金(計1億9,000万円)をあわせ福島県、岩手県、宮城県への復興義援金は合計12億8,150万1,900円となりました。

物資のお届け・人的支援の継続

震災直後から、自社ヘリコプターやトラックで、水や食品、衣料、健康食品、化粧品など自社商品を被災地に直接お届けする活動、医師や医療関係者、医療機関受診者の搬送をサポートする活動をおこなっております。

2011年8月18〜27日

伊藤多喜雄さんのチャリティ活動に賛同し、支援物資をお届け

「南中ソーラン」で知られる国民的民謡歌手、伊藤多喜雄さんは精力的に被災地を回り、歌と踊りで人々を元気づける活動をされています。DHCは、伊藤さんを通じて仮設住宅で暮らす方々が日用雑貨がなく困っていることをお聞きし、自社ヘリコプターで岩手県の釜石市、山田町、野田村などに、数回にわたって支援物資を届けました。 (2011年8月18日から8月27日 自社商品の化粧品トライアルキット、サプリメント、海洋深層水、シャンプー・コンディショナーなどをお届け)

2011年9月25日

宮城県の石巻市、岩手県の陸前高田市・宮古市へ支援物資をお届け

伊藤多喜雄さんのチャリティ活動に賛同し、2011年8月に続いて、9月には天候不良によるヘリコプターでの空輸が中止になった地域(宮城県の石巻市、岩手県の陸前高田市・宮古市)へ支援物資を届けました。 (2011年9月25日に、自社商品の化粧品トライアルキット、サプリメント、シャンプー・コンディショナーなどを搬送。8月・9月総額15,281,900円/商品総数16,180点)

DHC化粧品・医薬部外品、健康食品の安全性について

DHCの化粧品・医薬部外品、健康食品につきましては、福島原発事故に関連して政府より何らかの制限が発表されている地域での生産、保管、およびそれらの地域で生産された原材料の使用は一切おこなっておりません。

DHC海洋深層水については、表層水と混じりあうことなく熟成された国内最深の深層水のみを使用しており、現在もっとも清浄なレベルの水であるとDHCでは考えております(詳細)。またDHC発芽玄米は、国産の一等米のみを使用して北海道長沼工場で生産しております。
化粧品等の安全性に関する見解については、日本化粧品工業連合会より、発表されていますので、ご参照願います。

今後もDHCは、安全・安心を第一と考え、最大・細心の努力をはらい皆様に製品をお届けしてまいります。