【保守・反動の極右・単細胞政権がのたまう唯我独尊・夜郎自大のヘリクツ】
 
 【昔の軍部政権 vs いまの安倍晋三「お子ちゃま政権」の好対照】

 【自分がいっていること・やっていることの意味が皆目不心得である不肖の日本国首相,世界に誇れる羞恥の世襲3代目「裸の王様」的宰相たちなどの言動】



 本ブログはすでになんども,安倍晋三政権においては露骨に剥き出しである,独善の,それも民主主義を破壊しつつある独裁的な為政を批判してきた。

 最近の大手新聞紙はいまでは,現政権を健全に批判するための基本姿勢保持において,妙に軟弱(へっぴり腰)である。だが,そのなかでダブロイド版・店頭売りの『日刊ゲンダイ』が奮闘している。

 今日の話題(とりあげる記事)は『軍部を彷彿させる安倍政権 ユネスコに “イチャモン” の傲慢』(『日刊ゲンダイ』2015年10月15日)。
 安倍晋三画像33安倍晋三黙っていうことを聞け画像
    出所)左側画像は,http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12147628392 右側の文句で「だまっていうことをきけ」という台詞が,ユネスコまで通用するか?

 1)記事本文
  安倍政権がユネスコに “脅し” をかけている。中国が申請した「南京大虐殺」に関する資料が世界記憶遺産に登録されたことを受け,ユネスコに対する日本の分担金や拠出金の「支払い停止」をいい出した。

 上から目線なのにはワケがあって,昨〔2014〕年度のユネスコ予算の日本の分担金は,約37億2000万円。分担率はトップの米国(22%)に次ぐ約11%だが,米国は現在支払いを停止している。日本が事実上の “筆頭株主” なのだ。

 「安倍政権は再三,南京大虐殺の資料を登録しないよう,ユネスコに “圧力” をかけてきたのに,分担率6位(5%)の中国にしてやられた。要するに『筆頭株主のいうことを聞け。じゃなきゃカネは出さん』というわけです」(官邸事情通)。

 菅官房長官は10月12日放送のBSの番組で「(登録は)密室でおこなわれ,法律にもとづくものでもない。透明性や公平性をもっと出すべきだ」とユネスコに噛みついていた。が,ちょっと待て。登録の是非はさておき,それってそのまま安倍政権のことじゃないか。

 「憲法も国民の声も無視して安保関連法案をゴリ押し,透明性も公平性もない安倍政権がユネスコにイチャモンをつけるなんて,筋斎藤文男画像違いもいいところです」と,九大名誉教授の斎藤文男氏(憲法)がこう続ける。
 出所)画像は斎藤文男,http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2010-05-03

 「先の戦争は侵略戦争ではないし,間違っていなかったと “歴史教科書” を捏造したい安倍首相の本音,端的にいえばわがままが透けてみえるようです。我(が)を通したいがために国際機関に噛みつくという傲慢さは,かつて軍部が満州国をつくり,それを国際社会から批判され,国際連盟を脱退した当時の日本を彷彿させる。そして日本は戦争へ突き進んでいったわけです。いまは『1億火の玉』ならぬ『1億総活躍』。マイナンバー制度で国民をコントロールしようというのも,当時の日本と根っこは同じように感じますね」。

 安倍政権は今後,ユネスコに制度の改善も働きかけるというが,自分たちのことを棚に上げて,まったくよくいったものである。
 註記)http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/166148/1
  http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/166148/2

 東電福島原発事故現場の惨状は,あの不始末状態のままがいったい,いつまで続くのかまったく予測すら着かないである。そうした「不能ばかりがめだつ状況」のなかで,汚染地下水のダダ漏れ現象を “under control” 〔制御できている〕などといって,ひたすら独りよがりの迷文句を平然と吐けるのが,安倍晋三に独特である「脳細胞の造り」である。

 それゆえ,このたびの「ユネスコへの南京大虐殺事件,世界記憶遺産登録」といったごとき,彼にとっては戦慄させられるほどに忌まわしい事象が発生していたとなれば,これを阻止しようと必死の形相であったことはたやすく想像できる。

 また,安倍晋三(首相)の右腕である菅 義偉も官房長官として,その配下・手先である立場・役目をしっかり果たしている。だが,いかんせん自分たちの「いっていること」と「やっていること」とのあいだには,なんら一貫性がみられない。自家撞着と支離滅裂である典型の現象といえば,この2人の顔面に張りついていてもう剥がせない特性になっている。
菅義偉合憲学者いっぱい居る画像2
 出所)http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/6275f9d2718d568459734f3c96dd9e63

 ついこのあいだ,菅 義偉は安保関連(戦争)法「案」が審議の過程にまだあったとき,国会に招致し意見を述べさせた憲法学者3人のうち,自民党推薦の長谷部恭男までが,この法案の〈違憲性〉を明確に指摘したため,それこそたいそう焦ってしまい,違憲ではなく合憲だという憲法学者も「たくさん(いっぱい)・いる」と,子どもの口調のような反論をしていた。
菅義偉合憲学者いっぱいいる画像
出所)同上。

 ところが,それではその3人とは誰かと問えば,例の百地 章・西 修・長尾一紘のトリオでしかなかった。日本国憲法の基本精神すらよく学的に認識できていないような,これら憲法学者のいいぶんが恋しい安倍晋三や菅 義偉であった。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
安保関連法は合憲か違憲か対比図表
出所)同上。

 だが,この「3名の合憲学者」の存在を踏まえて「たくさん(いっぱい)・いる」などと真顔でいわれたら,この官房長官,実は「数字はみっつ(三)までしか」数えられない人物だとみなされてもしかたあるまい。

 2)安倍晋三政権「御用合憲学者」の体たらく
 この問題点については,『BLOGOS』(2015年06月17日 09:55)で猪野 亨が,以下のように批判していた。この全文を紹介しておき,1)に指摘したごとき「安保・戦争法制が合憲である」などというたぐいの〈突飛な解釈〉を捏造できていた,その3名の憲法学者に対する根本的な批判として聞いておきたい。引用では文意を崩さないようにして,文体面だけは若干変えてある。

★ 戦争法案の合憲性を主張する憲法学者
百地 章,西 修,長尾一紘の各氏ら御用学者の活用方法 ★

 圧倒的多数の憲法学者が戦争法案違憲論を主張するなかで,百地 章,西 修,長尾一紘の各氏が合憲論を展開している。菅 義偉官房長官が合憲を主張する憲法学者も「たくさん・いる」といっていたが,その精鋭の3名の憲法学者たちのことであった。

  彼らのほかには,実名で挙げられるような合憲論を展開する憲法学者はいなかったのか。きっと好機であったはずである。つまり「私も戦争法案は合憲だという 考えだ!」と名乗り出て,政権に尻尾を振っておけば,前段の精鋭3名のあとをついで,立派な御用学者になれる良い機会であったといえる。だが,その3名以 外に合憲論者はいなかった。

 --井上武史氏,木村草太氏が最右翼,若手のホープといったところもいるが,結局,「安保法制『合憲』わずか3人,非難の嵐-『報ステ』が憲法学者 151人にアンケート-」(弁護士ドットコム)であった。
 補注)ここまでの記述の途中に挟みこむかたちになるが,以下のような関連する事情にも触れておく。こちらの引用は,2015年6月時点における記事からである。→『共同通信』,http://www.47news.jp/CN/201506/CN2015061601002287.html

◇ 安保法案,学者の反対が熱帯びる 3千人超 ◇

 安全保障関連法案に反対する声明に賛同する学者の数が3千人を超えた。憲法研究者の「違憲」との指摘をきっかけに広がった動きは,学者の見解を軽視するかのような政治家の発言が出たこともあって,さらにボルテージが上がっている。
山口二郎画像
 「学者のいうとおりにして平和が守れるかとけんかを売ってきた。このけんかは買うしかない」と山口二郎法政大学教授(政治学)が語気を強めた。
 出所)画像は,http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=27669

 分野を横断した学者でつくる「安全保障関連法案に反対する学者の会」が〔2015年6月〕15日に東京都内で開いた記者会見であった。ノーベル賞受賞者の益川敏英氏も呼びかけ人になっている。(ここまでが『共同通信』からの引用)

 さらに,つぎの引用は『日刊スポーツ』紙からである。最近は,女性週刊誌までが安倍晋三の為政を批判的に解説する記事を編集している。

◇「このけんか買うしかない」学者 vs 安倍政権 ◇

 衆院憲法審査会で〔2015年6月〕4日,長谷部恭男早稲田大教授や小林 節慶応大名誉教授らが法案を違憲と明言。これを受け,高村正彦自民党副総裁など与党側は「憲法学者のいうとおりにしていたらいまの自衛隊はなく,日本の平和と安全は絶対守れない」「学者は(憲法条文の)字面に拘泥している」などと発言。これが学者たちを強く刺激している。
2015年6月4日憲法違反3名憲法学者意見
 出所)http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/857.html
 補注)この最後の指摘とおりである。いまの自衛隊は,日本の軍隊としてなりに「在日米軍」などのための補完戦力として存在させられている。

 肝心な問題を挙げるのであれば,この日本国の暴力装置・機構を「自分の意のままに,それもアメリカの意向に即して,独裁的に動かしたい」安倍晋三たちの抱く軍国主義的な発想にこそ「あった」。

 そのための安保関連(戦争)法制定が狙いであったのだから,自民党政権側のいいぶんは,支離滅裂よりはさらにひどい,いわば酩酊状態の酔っ払いが吐いたヘドみたいな,すなわち「ど・ヘリクツ」にもなりえない盲説であった。

 安倍晋三はしばしば「自国民の生命と安全を守るために」という決まり文句を口にするけれども,米軍の下っ端・フンドシ担ぎ部隊の役割を期待されている防衛相自衛隊3軍は,日本国民のために本来果たすべき任務・使命とはだいぶ離れた場所に配置されている。

 〔引用本文に戻る→〕 山口氏は会見で「憲法学者が字面に拘泥するのは当たりまえ,数学者が『1+1=2』にこだわるのと同じだ」「学者は権力を批判することが仕事の一部」と語った。青井未帆学習院大教授(憲法学)も「政府がやりたいから(解釈を)変えるということがあっては,憲法が紙切れになってしまう」と強い危機感を表明した。
 註記)http://www.nikkansports.com/general/news/1493226.html

 この安倍晋三政権とは,いったい何様でいるつもりなのか? ともかく,中国がユネスコに申請した世界記憶遺産の登録がなってしまった事実に対して,これが気に入らないと感じた。だからといっては,安倍政権がユネスコに “脅し” をかけた。

 「南京大虐殺」に関する資料が世界記憶遺産に登録されたからには,日本はユネスコに対する分担金や拠出金の「支払い停止」をいい出し,脅迫したわけである。

 以上,行動様式が単細胞的であるだけでなく,発想そのものが幼児的である。そこには,高等戦術に相当する対応姿勢はミジンもみてとれない。安倍晋三や菅 義偉の発言を聞いていると,近隣にも存在する世襲3代目のボクちゃんが独裁的に支配する,あの超独裁国家体制のなかに観察できるものと,まったく同じような政治現象しかありえなくなったのかとしか思えなくなる。

 3)百地 章・西 修・長尾一紘などの日本国憲法「感」の紹介
 ここの記述は 2)に紹介した議論からのさらに転用である。その紹介を中心に記述する。文体は若干補正してある。

 『朝日新聞』2015年6月16日付に掲載されていた「合憲論者の論理」(?)はあまりにひどいものであった。

 a)  百地 章
百地章画像 「学者の解釈は私的解釈に過ぎない。国は異論に縛られず,防衛に責任をもつ立場で進めればいい」。この発言は,憲法学者でありながら,憲法学者の存在を否定する発言である。恐れ入る。
 出所)画像は,http://www.sankei.com/politics/photos/150612/plt1506120009-p2.html
 補注)百地 章のこの違憲「論」イデオロギーは,まさしくファッショ(国家全体主義)の立場でしかない。国家側の憲法解釈が正しいのであり,憲法学者の解釈は私的なものだから……という理屈そのものが本来,学者の立場にある人間がいうことばではない。つまり「百地 章〔朕〕は国家なり」の立場から憲法の意味を語る人間であると,みずから告白している。トンデモ憲法学者の面目躍如である。

 b)  西 修
西修画像 安保関連(戦争)法案を「批判する学者は法案が従来の政府解釈を超えているから違憲と訴えている。だが,憲法の条文に照らして解釈すれば今回の法案は憲法の枠内だ」。これは立憲主義の完全な否定である。条文は抽象的なものであり,それをどのように解釈して国家の行為を縛るのか,という視点がまるでない。
 出所)画像は,http://www.sankei.com/politics/photos/150323/plt1503230042-p2.html

 西 修は御用学者として,安倍氏の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」に顔を出していた。

 ⇒ここで「『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』報告書にみる軍国主義思想」も参照希望。

 西氏は,立憲主義そのものを否定するために一役買っているが,考えてみれば,ここで集められる人たちが(たった3名だけである)いうのは,公権解釈権をもたない(御用)憲法学者だったりするわけだから,そもそも,この「私人」たちを集めてなにをしたいということになる。西らはご都合主義の典型を披露している。

 c)  長尾一紘
長尾一紘画像 「日本の安全保障環境が大きく変化するなか,お2人(長谷部恭男氏と小林 節氏のこと)は数十年前の見解をずっともちつづけているのかと驚いた。政府見解を変えてはいけないルールはない」。
 出所)画像は,http://matome.naver.jp/odai/2143472020484428201/2143472409388444003

 政府見解を変えてはいけないルールはないとは,ものすごい暴論である。憲法の解釈として,従来,政府がダメだといってきてものを踏み越えるといっているのに,これを自由に踏み越えていいなんて,どこからそんな論理が出てくるのか。

 それに安全保障環境が大きく変化とはいったい,なんのことであるのか。集団的自衛権行使がダメだといってきた時代は,米ソが対立する冷戦下にあった。

 欧州やキューバなどで米ソ間の戦争が始まったとしても,当然のことながらそれだけでは米国側に立って参戦するということはできない,これが当時の憲法解釈であった。

 米国がベトナムに対して引き起こした侵略戦争に対しても,日本が直接,加担できないのも憲法が禁止しているからである。

 しかし,時代は大きく変化し,ソビエトが崩壊,軍事的緊張は一挙に解けてきた。これでどうして,なおさら軍事同盟を強化し,米国のために地球の裏側まで自衛隊を派兵しなければならないのか。

 時代の変化に合わせるなら集団的自衛権行使の容認する解釈などありえない。

 合憲論を展開する憲法学者たちの主張は論理を展開しているのではなく,単に安倍自民党政権の軍国主義化に対してエールを送っているだけなのである。
 註記)http://blogos.com/article/117284/

 --なかんずく安倍晋三は,大東亜戦争に敗北した大日本帝国にまつわる,あらゆる・すべての「負けの記憶を連想させる事象(出来事・事件・戦史の記録)」を,いっさい「記憶に留めたくない日本の政治家」である。

 安倍はいわゆる「東京裁判史観否定」の立場を保持している。ところが,安倍自身は「戦後レジーム(敗戦体制)」からの連続体である日米安保体制をそのまま甘受してきている。安倍の政治に関する理屈は,大本から破綻している。どうみても彼が「いっていること」と「やっていること」とは矛盾している。それだけのことなのである。

 それゆえ,憲法学者からは自民党政権がゴリ押ししつつ,2015年9月に成立させた安保関連(戦争)法は「違憲だという解釈」が,圧倒的多数であった。ただし,合憲だという自民党極右政権にとっては,たいへん貴重である「前掲の3名の憲法学者」がいる。しかし,合憲だといったこの「学者の数:3名⇒絶対数」が,かえって逆に,その戦争法の違憲性を端的:圧倒的に反映している。