機動戦士ガンダム、鉄血のオルフェンズ第3話が放送され、
主人公の一人である三日月・オーガス*1が容赦なく敵対相手を殺害するシーンが話題になっている。
具体的にはCGM(主人公たちの所属する民間軍事会社)の上司を殺害するAパートのシーンと
決闘を挑みに来たギャラルホルンのクランク・ゼント*2を決闘後に殺害するシーンが該当する。
近年の日本のアニメーションにおいて人を殺すことをどう描写するのかというのはあくまで私的な話ではあるが、非常に重要なテーマだと考えている。
機動戦士ガンダム、鉄血のオルフェンズはそのタイトルの通り開始前から血なまぐさい話になるとは想定していたためある程度は事前の予想があたった感はある。
1.「鉄血」とはなにか
まず、そもそも「鉄血」とは
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ドイツ統一をめざすプロイセンの軍備拡張政策。1862年に行われた、首相ビスマルクの「現在の問題は演説や多数決ではなく、ただ鉄と血によってのみ解決される」との議会演説に基づく。
19世紀にプロイセンの主相であるビスマルクが演説で使用した言葉である。
具体的に解釈すると「鉄」と「血」はしばしば 「兵器」と「兵」 と解釈されることが多い。
ドイツの統一を目指すためビスマルクは対話による解決ではなく軍備増強や戦争によって目的を果たした。
つまりこのタイトルは所属していたPMCの少年達が問題を解決するために「鉄」と「血」つまり「兵器」と「兵」、すなわち武力によって目的を果たしていく物語なのではないか? と見ることができる。*3
火星独立都市クリュセのクーデリア・藍那・バーンスタイン*4が演説をするシーンが存在しており、また今のところ「鉄血」である少年兵達と対比しクーデリアの無力を象徴するシーンが多数存在することからも演説、すなわち対話ではなく鉄と血によって問題を解決していくのだという方向性を視聴者に示しているとも言える。
もちろん今後物語の方向性がどう進むかはわからず、結果として演説が効果を発揮する、あるいは武力と対話の複合的に交じり合う展開も予想されうるものではあるがそこはひとまず置いておくとしよう。
2.殺人に対する反応
従来のアニメーションにおける潮流として「殺人」というものは非常に重いものであった。*5
象徴的なものとして物語の主人公が敵対相手を殺すことに関して非常に躊躇したり生生しい苦しみを感じる精神描写が多数挿入されそこで主人公は戦争や闘争というものをどう受け止めるのか?
この問題に対してどう行動するのか?ということを迫られてきた。
ガンダムにおいてはMSに乗ったまま人を殺害することである種のゲームのような感覚になり人を殺すことに麻痺していくかのよう展開を迎えたり、あるいはキラヤマトのように殺害をなるべく避ける。
などのキャラが多かったように思える。
しかし、近年のアニメにおいて逆に殺人することに躊躇を覚えないというキャラクターが話題になることが多いように見える。
最近だと魔法科高校の劣等生や、Gateのキャラクター達、そして鉄血のオルフェンズだ。
魔法科高校の劣等生では7話と18話と19話以降の横浜騒乱編において主人公達は人を傷つけたり殺すことに躊躇がない。
実はこの7話に置いて人を殺害するシーンにおいて大きく反応がわかれた。
一つはかなり強固な拒否反応、つまりグロテスクなシーンに対するショックからの拒否だ。
主人公たちへの罵倒などが含まれていた。
一方で、このシーンを賞賛する感想も多数散見された。
多くの発言は以下の様なものだった
「リアリティがあってよい」
「うじうじ系主人公よりは好感が持てる」
また、アニメ「ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」においても作中冒頭で自衛隊員が異世界人相手に容赦のない攻撃を加え多数の死傷者を出した。
しかし、その際に日本側の兵士の葛藤等は描写されず淡々と戦闘をしていた。
ここでの反応も2つに別れ基本的に強い拒否か賞賛かだ。togetter.com
今回の鉄血のオルフェンズでは賞賛する感想の方が多いようにすら見えるが、まだ全体の感想は出尽くしていないため注力してみていきたい。
3.葛藤の不自然さに対するある種の「反動」
これらの感想を見ていると殺人に対して葛藤する主人公像というのに対する反動ではないかという側面を強く感じる。
つまり実際の戦闘等において、こんなにも人を殺害するのに躊躇することがあまりにも不自然なのではないかと考え始めた人が増え始めたのではないかということだ。
また特徴的なのが逆に典型的な殺人鬼キャラのような殺人に愉悦を覚えたりキレた結果人格が変わる系のキャラでもない。
オルフェンズ3話ではそういった主人公とは違うんですよという強いメッセージを作品から感じた。
クランク・ゼントを殺害する際に殺して欲しいと懇願したゼントに対して主人公三日月は殺害することにする。
その際、ゼントが「ありがとう」と発言する途中で三日月に殺されてしまった。
この発言の最中に殺すというシーンは非常にわかりやすくそういう主人公とは違うんですよという強いメッセージを感じる。
主人公三日月は基本的に殺人に対して躊躇がない。
相手がMSに乗っているからゲーム的に殺せるだとかでもなく拳銃で目の前で頭を撃ち貫くことにすら躊躇がない。
決闘という古臭い儀式を使ってまで、
「子供」を「殺害」することに躊躇を感じるクランク・ゼントと
「人間」を「殺害」することになんの躊躇もない三日月というのは恐ろしいまでの対称性を感じた。
三日月達は従来の葛藤するキャラとは違うのだという点をまざまざと見せつけてくれた。
ガンダムという巨大なブランドを使って非葛藤的なキャラを描くというのは非常に影響力が大きいものだと思う。
魔法科高校の劣等生やゲートといったある種マイナーな作品とは違って多数の人間に影響を与えうるものだ。
果たして新しいガンダムがこのまま鉄血政策を地で行く物語になるのか、はたまた全く違う何かになるのか。
今後の影響を踏まえて注目してみていきたいと思う。