「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ」とは、『徒然草』に兼好法師が記した、弓の師のいましめである▼最初から二本の矢を持っては、まだ後があるからと、一の矢を射る心に油断が生じてしまう。「毎度ただ得失なく、この一矢に定むべし」と師が諭すように、ただ一本の矢に集中する心構えがあってこそ、事は成るとの教えだ▼さて安倍首相の弓を持つ姿勢は、いかがなものだろうか。デフレ脱却と持続的な経済成長を狙って放った「三本の矢」の的中も定かではないのに、今度は出生率の上昇などを的にした「新三本の矢」を放つという▼一九六〇年の安保闘争で岸内閣が退陣したのを受け、首相の座に就いた池田勇人氏は経済政策を前面に打ち出し、「所得倍増計画」を掲げたが、安保法制を仕上げた安倍さんは、矢の数を三本から六本に一挙に倍増させるのだから、「弓矢倍増計画」か▼子どもを産み育てやすい環境づくりに力を注ぐのは、まことに結構なことだ。しかし官房長官が口にした「ママさんたちが、子どもを産みたいという形で国家に貢献してくれればいいなと思っている」との言葉に、強い違和感を覚えた人は多かろう▼子どもは国家に捧げる弓矢にあらず。政権が掲げる「一億総活躍社会」は、担当大臣自身が活躍できるかどうかも分からぬ奇妙な旗印だが、「一億総弓矢化社会」は願い下げである。