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【社会】

東京フィルの前身 松坂屋の少年音楽隊 秘蔵写真 歴史奏でる

◆メンバー遺品から50点

 日本を代表するプロオーケストラ「東京フィルハーモニー交響楽団」(東京フィル)の発祥楽団となった百貨店・松坂屋の前身、いとう呉服店(名古屋市)少年音楽隊の写真約五十点が、隊出身のバイオリン奏者の遺品から見つかった。日本最古のオーケストラとして発展する源流の姿が生き生きと活写されており、日本洋楽史の空白部分を埋める新たな史料となっている。(長谷義隆)

 このバイオリン奏者は、名古屋市出身の故丹羽秀雄さん(一九〇九〜九一年)。松山市の三男脩三さん(70)宅でアルバム二冊が見つかった。

 写真はモノクロ、はがきサイズが大半。鮮明で、保存状態も良く、約半数の裏には秀雄さんのメモが記されていた。

 二〇年代から三〇年代に撮影されたものが多く、NHKの前身の名古屋放送局(JOCK)のラジオ開局番組出演(二五年)やレコード会社、アサヒ蓄音器商会(名古屋市)の録音風景(二九年)、音楽隊が改称した「松坂屋洋楽研究会」「名古屋交響楽団」時代の演奏写真(二七〜三五年)などが含まれている。

 秀雄さんが八〇年にまとめた手記「古稀回顧」や名古屋市在住の次女紀子さん(67)によると、秀雄さんは地元の小学校卒業直後の二一年ごろ、いとう呉服店少年音楽隊員の募集に応じて入団。クラリネット、サクソホン奏者を兼ねつつ、主にオーケストラのバイオリン奏者として名古屋、東京を中心に七〇年代まで活動した。戦時中は旧満州国首都の新京(現・長春)の交響楽団でも演奏した。

 秀雄さんの前半生の大正末から昭和前期はオーケストラ、ジャズの台頭、発展期。レコードは多数残っているが、演奏や放送、レコード録音風景を撮った写真はほとんどなかった。

 明治から昭和前期の日本の洋楽発展史を研究している愛知県立芸術大の井上さつき教授は「初めて見る写真がほとんどで、少年音楽隊がオーケストラへと発展していく様子が写真からつぶさに読み取れる大変貴重な史料だ」と分析している。

 東京フィルの石丸恭一楽団長(72)は「この時期の写真を相当探していたが、見つからなかった。もう、びっくり。確実に日本の音楽史に残る貴重な写真だ。丹羽さんと一緒に演奏していたメンバーの孫が、現在、東京フィルのコンサートマスターを務めており、歴史を感じる。編さん中の東フィル百年史にも、ぜひ使わせてほしい」と声を弾ませていた。

 <いとう呉服店少年音楽隊>いとう呉服店(現松坂屋)が名古屋・栄に百貨店を開業した翌年の1911(明治44)年創設。最初はブラスバンドだったが2年後には弦楽器を導入し管弦楽団に。その後、松坂屋洋楽研究会、名古屋交響楽団などと改称。38年に東京に本拠を移し、メンバーを増強して中央交響楽団、さらに東京交響楽団と名乗り、定期演奏会、放送、藤原歌劇団、流行歌手の伴奏などを手広く手掛けた。戦後は東京フィルハーモニー交響楽団となって、現在に至る。

 

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