読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

言いたいことやまやまです

自意識過剰な三十路OLの言いたくても言えないこといろいろ(食ネタ多めで)。書く仕事ください!





自分で自分が嫌になったら、自分を忘れてしまえ

三十路女の悲喜こもごも


私はしょっちゅう、落ち込んでいます。
勝手に不安のタネを拾って無駄に増やして首を絞める系です。先週もまさに絶不調でした。
数えきれないほどの「べき」「ねば」を思い浮かべては、達成できていない自分、努力できていない自分が情けなくて消えたくなっていく。「なんで私はこんなに駄目なんだろう」と(勝手に)へこむ。
本人はこの世の終わりくらいの気持ちでおりますが、傍から見れば、悲劇のヒロインごっこが楽しめる、豊かな人生でもあります。

f:id:yamama48:20151018064745p:plain

さて、こういうときは解決の糸口ほしさに誰かに相談したり、WEB検索してみたり、自己啓発本を読んだり、いろいろやります。

しかし、それらがトンネル脱出に役立つケースは稀です。
落ち着いて後から思い返せば「ア、なるほど」と思うのですが、悲劇のヒロインキャンペーン中だと、提示される解決方法がどれも眩しすぎるんです。

落ち込んでいるときに効くのは、落ち込んでいる人の言葉なのかもしれない。

そんなことを考え、気持ちを言葉でアウトプットしてみることにしました。
落ち込んでいるときにご覧いただいて、「こんなカスみたいな奴もいるから、私はぜんぜん、大丈夫だ」とホッとしてもらえたらいいなと思います。

ダメ人間である、と開き直ることにした

当初、このモヤモヤした不安感、焦燥感を切り口に、「ちゃんとした記事」を書いてみようと考えていました。
ちょうど先々週のAERAが「情報断捨離」特集だったので、そういった側面を持たせてみたり、とか・・・。

お風呂に入りながら構成などを考えてみたのですが、手がふやけていけばいくほど、頭の中が「どうして私はこんなにダメなんだ」といったことでいっぱいになり、このまま浴槽に沈むんじゃないかというくらい落ち込んでしまいました。

大作家ならともかく、そんな状態でおもしろいことが書けるはずありません。
ただ悩みが増幅されるだけの、意味のない時間でした。

もうちょっと若いときはその気持ちにしばらく浸っていたものですが、それでも明日はやってきますし、仕事に行かなければいけない。
三十路にもなって毎日辛気臭い顔で出社されたら目も当てられません。美人の憂い顔ならいいかもしれないけどさ。

カッコつけないで、「こんなにダメだけど生きてるゼ」くらいのことを書いちゃおう。ふとそんなこと思ったら、途端にじわじわと元気が湧いてきました。

「こういう人が同僚にいなくてよかった」「こんな奴が同じプロジェクトにいたら殴りたい」「会社が不憫」なんてコメントがつくかもしれない・・・と、怯える気持ちもありますが、事実だから仕方ないやと。

そんな境地に至れたので、いまから自慰記事を書くことにします(まだ始まってなかったのか!)。

「べき」「ねば」が襲ってくる

現在、本業では広報職を務めています。

情けないのですが、白状すると、現時点ではその道でステップアップしていきたいという意欲に欠けています。

とはいえ、興味のある業界に身を置かせてもらいながらお金をいただいていることや、あたたかな職場環境に恩義を感じているのです。

「お金をもらって働いているのだから、プロとして、高みを目指さなければならない」という考えと、それに応えられていない自分とのギャップが嫌になってくる。

具体的にはこうです。

会社の歴史、扱う商品を熟知していなければならないけれど、自信を持って「熟知している」とは言えないし、作品を観ようという努力の姿勢も見せられていない。

業界事情、他社動向も不勉強の極み。語れるようにならなきゃいけないのに。

広報職であるからには新聞各紙のクリッピングくらいするべきだが、できておらず、毎日読むのは1紙だけ。

テレビも、いまどこのチャンネルがどういうタレントさんを起用してどんな番組を制作・放送しているのかを知るべきだが、(タモリ倶楽部と有吉ジャポンとゴッドタンを除き)、あまりテレビを観ていない。

ターゲットが読みそうな雑誌やWEBサイトもチェックしておくべきだし、そのチェックなくしてメディアの方に会いに行くというのは失礼極まりない。なのに、全然チェックできていない。

まだまだあるのですが、一旦このあたりで・・・。

とにかく、理想と現実のギャップがすごい。情けなくて、頭のなかで自分を罵ります。

バカ!怠け者!生ける屍!カス!

そうするとますます「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、なんでできていないんだ、なんてダメなんだ」という想いが湧いてきて、余計に動けなくなっていきますし、どんどん憂鬱になってくる。

悲劇のヒロインキャンペーンのスタートです。

「やりたいこと」であるはずの文章のアウトプット作業(という名のしょぼいブログ更新・・・)までもが、「書かなきゃ」「あのことを書くために一刻も早くあのお店に行かなければ」となるし、果ては「いつもコメントをくださる方たちのブログを読まなければ」となる。

さらには大好きな毎週の仮面ライダー視聴ですら「10月から仮面ライダーゴーストになったから観なければならない」ということになってきます。

「べき」「ねば」で「やりたい」「知りたい」が見えなくなる。焦りと不安にまみれます。

そんな簡単に視点を変えられるわけがない

さすがにいい大人なので、この気持ちを毎回誰かに相談するわけにもいきません。
というか、前述のとおり「悲劇のヒロインキャンペーン」が始まると、聞く耳を持たないので、相談したところで意味がないのです。

せっかく「1日くらいそんな日もあるよ」と励ましてもらっても、「1日で済んだらいいが、しょっちゅうだ。やはり私はカスだ。本当にやりたい、書く仕事に向けた努力もしていないし、お金をいただいている会社にも申し訳ない」という想いに至る。

私が相談を受ける側なら、そんなことを言われたらグーパンチです。
「じゃあ、ブログ記事をとにかく量産してみろ!会社に申し訳ないなら馬車馬の如く働けばよかろう!」と。

というわけで、人間関係の悪化を避けるためにも「誰かに相談」は回避したい。
そこで出てくるのがWEBのQ&Aサービスです。
「発言小町」や「OK Wave」「Yahoo!知恵袋」の過去質問に癒しを求めがちでした。

「仕事をがんばれない自分を変えたい」
「気持ちにムラがある、どうすればいい?」
「すぐ”やらなければ””知らなければ”と思ってしまって辛い」
なんてことにつながるようなキーワードを入力すると、いろんな過去質問が出てきます。
わかるわかる、とうなずきながら質問を読み、回答欄に目を移すと、

  • 「お辛かったでしょう、心療内科、精神科に相談してみるのはいかがですか」パターン
  • 「馬鹿言ってるんじゃないよ!みんなやりたいことだけやってるわけじゃないんだよ!子どもじゃないんだから、お金もらってるんだから、そんなん社会人失格!金もらってんだろ!」パターン
  • 「わかりますよ、考え方を変えてみませんか。”私には働く場所がある。こんなにうれしいことはない・・・”」パターン

これらのいずれかが待っていました。

自分が望む、共感できる意見にヒットするまで検索してしまいがちでしたが、費やすのは時間ばかりで、「そんな都合のいい回答はない」というのが結論であります。

「見方を変えよう」提案は自己啓発本などでもメジャーな切り口です。
でもこれって、元気なときにこそ威力を発揮するものだと思うのです。
落ち込んでいるときにアングルを変える億劫さと言ったら、ない。
むしろ「見方を変えなきゃいけない」と、また新たな「やらなければならない」が増えるだけです。そして、できない自分がゴミのように思えてくる。

「自分」を忘れる

こういうときは「こうでなければならないのに、実現できていない自分はなんてだめなんだ」という自意識を捨てるに限る。

とりあえず、仕事に携わっている間は自意識を捨て去れないので、思い切って会社から帰るが吉です。
18時に会社を出たりします。誰一人として帰っていなくても!
なんらか理由をこじつけて、もっと早く帰ってもいいかもしれません。
落ち込みながら、辛気臭いオーラを出しながら、生産性の低い仕事をしても、誰も幸せじゃありません。

今日中にやらなきゃいけない仕事があるなら、〆切を伸ばす交渉をしてでも早く帰った方がいい。翌朝4時に来てでも、その日は姿を消した方がいいんじゃないかと思うようになりました。

そして、とにかく「自分」を忘れる環境をつくる。

初対面の人がいる場だったり、深い愚痴を話せるような関係ではない、浅い付き合いの人がいる場は、なかなか良いです。
お客さん同士が話すような居酒屋や、美容院。女性はネイルサロンなどもいいかもしれません。私は肩こりを治してもらいにマッサージに行きました。
「誰かに会う気分になんて、なれないよ」と思いがちですが、公私ともに深い話には及びませんし、ほどよく気を遣うので笑顔がつくれる。いつのまにか、気持ちが前向きとはいかないまでも、悲劇のヒロイン気分から、町人A気分くらいには戻れていたりします。

マンガを大量購入したりDVDを用意したりするのも良いです。
自分を忘れられて、一気読み・一気見するタイプのものがいいと思います。というわけでTSUTAYAのコミックレンタルで『キングダム』を借りてきました。

間違っても、録りだめしている「情熱大陸」「プロフェッショナル」あたりを消化するのはだめ!
「この人はこんなにがんばっているのに、私ときたら・・・」で、ジ・エンドです。

もう、こういうときはアホになりきります。

悲劇のヒロインな自分に酔いしれることができない環境をつくる。
そして、眠くなったら寝る。
翌朝目が覚めた時、前日抱えていたほどの絶望感はなくなっていたりします。

目覚めてもなお「私なんて、いる意味ない・・・」という気持ちが拭えていないかもしれません。そしたら極論、休んだっていいんじゃないかと思います(私はまだここまで度胸がないけど)。

勇気を出して定時あがりしたり、早退したり、代休を取ったりすると、「1日くらいいよね」という想いとともに「今日だけ。こんなことが許されるのは今日だけだ・・・」「また明日もこの調子だったらどうしよう・・・」と不安が湧いてきます。
でもその不安自体が無駄じゃないかな、と思うようになりました。
己をカス人間だと思うなら、そのとおり、カスになっちゃえばいい。
「遅れをとりもどさなきゃ」という気負いも不要だと思います。

とにかく自分という存在を忘れるに限る!

元気なときって、いろんなことが捗るものです。
あとのことは、こちらが頼まずとも、元気な自分が勝手にどうにかしてくれます。
とにかく自分を忘れることに全力投球です。

うまく付き合うしかない

どうやったらよりよい自分になれるんだろう、どうしたらもっと大人になれるんだろう、と悩みますが、

「残念!あきらめましょう!」
が、ここ最近の持論になりました。

コンタクトレンズを入れて「ホントのワタシデビュー」できたらラクですが、違う人間になんてなれっこない。
カスな自分がホントの自分。受け入れ、うまく付き合っていった方が生産的だな、と。

実際私も、みんなが帰っていないなかで18時に退社する勇気を持てたのは、ごく最近のことです!
でもやってみたら、意外とよかった。意外とできるもんだった。
(昔は職場環境的にそういうわけにはいかなかった(いろいろ問い詰められた)ので、簡単に言い切ってはいけないと思うのですが、今日は言い切らせてください)

偉そうにいろいろ書いていますが、書きながら思いついたことが多分に含まれています。思い切り自慰記事です。すいません。

読み返すのも怖いくらい、イタい記事に仕上がりました。
でも、この、校閲の目が入らない「野生のイタさ」というのが個人ブログのいいところでもあるなと思うんです。前向きすぎ?
イタい私を見て、「こんな奴より私はマシだ」と元気のかけらを拾ってくれる方がいたら、私の存在意義もあろうというものです。

とりあえず私はこれを書いて元気になりましたので、明日はにこやかに出社します!

心配ぐせを直せばすべてが思いどおりになる

心配ぐせを直せばすべてが思いどおりになる

 

 

AERA 2015年 10/12 号 [雑誌]

AERA 2015年 10/12 号 [雑誌]

 

 

yamama48.hatenablog.com