2015年10月18日
まだ白手袋で本さわってるの? : 古典籍と手袋にまつわるエトセトラなメモ
長野県短大:学園祭で「和書喫茶」 古書を気軽に楽しんで - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20151018k0000m040026000c.html
古典籍(以下、和装本、和本、貴重書等いろいろ)を手袋で取り扱うという類の報道写真・映像があとをたたず、時折思い出したように、あれはダメだ、え、ダメなの、ダメだよ、的な話が軽くこんがりします。あるいはその逆(素手じゃん、素手でいいんだよ、え、いいの)も。
私は、古典籍資料の類を取り扱う際に、手袋などせずに素手で(よく洗った上で)取り扱う派です。そしてそれが正しい方法だろうと考えている派です。
まず、そもそも「手袋をしましょう」なんてこと習ったことがないし。
このネタについては8年前、ハーバードに巣くってた頃のブログにひと記事書いてました。
「反論:「手袋、いらんな」」(HVUday)
http://hvuday.seesaa.net/article/57605998.html
まあ↑とだいたいかわんないんだけど、追加であらためて集めたり考えたりしたことをつれづれにメモする感じのあれです。
(ちなみに、↑このころはまだ東大さんも国会さんも手袋派だったらしい、リンクが死んでるので定かではないですが)
この話で一番わかりやすいのはたぶんこれ。
「「貴重書は白手袋を着けて」という誤解」(Cathleen A. Baker、Randy Silverman。翻訳:(株)資料保存器材)
http://www.hozon.co.jp/report/post_8754
IFLAの『International Preservation News』(2005.12)「Misperceptions about White Gloves」を和訳したものです。
ざっくり言うと、
・手袋自体汚れている、いやよっぽど汚れてる
・手袋すると扱いづらくなるため、余計に傷める危険がある
・きれいに手を洗えば素手のほうがいい
ちなみに同じ(株)資料保存器材さんによるツイートのtogetterもいいまとめ。
「@shiryouhozonさんによる「貴重書の取扱い」」
http://togetter.com/li/107157
IFLAの↑はもしかしたら洋書が念頭の話かも知れませんが、じゃあ和本のほうはどうかというのを、いま手の届く範囲にある文献でちゃちゃっとまとめると。
『古文書の補修と取り扱い』(中藤靖之、神奈川大学日本常民文化研究所監修)
「文書を取り扱う前の注意事項」
「手の油や汚れなどが文書に付着すると、それが新しい栄養分となって・・・生物的被害を発生させる原因になるので、必ず手を洗うこと」
↑手袋には言及すらしてない。またこの本の別の章では補修作業中の写真が多く掲載されてますが、みな素手で作業してます、そりゃそうか。
『日本の美術』436
「古写本の姿」(藤本孝一)
「古写本の場合は手袋をつけると、手の感覚が分からなくなり、往々にして手袋の汚れに気付かず、本に汚れを附けたり、料紙に皺をつけてしまうことがある」
『和本入門』(橋口侯之介)
「手の汗や汚れは長い目でみると本を傷める。とくに脂分がいけない。しかし、われわれがふだん手にするレベルの本ならそこまでの必要はない。むしろ紙質や表紙の感触など直接手にとって初めて実感することがあるから、手袋はかえってじゃまである。よく手を洗っておくことが最上の接しかたであり、また礼儀である」
↑これはどっちかというと、紙を実感してください的な目線か。
まあいずれにしろ、なんならそのへんにあるふつーの本でいいから、白手袋はめて扱ってみたらいいと思います、とてもじゃないけどまともに扱えないし危なっかしい、手垢や脂がどうのという以前に、いまここ、手元にある物理的危機のほうが尋常じゃないですから。
というわけで、うちとこの図書館では「手袋は使わないでください」「まず手を洗ってください」という方針でお願いしています。
ただ、じゃあいつでもどこでもそう都合良く手を洗う環境がありますか、ていう問題はあって、まともな図書館さんなら手を洗う場所ってちゃんと設置されているものですし、あるいはうちとこでも、かつての貴重書閲覧スペースにはそんなものがなくて3階から1階の手洗い場まで降りてもらわなきゃいけなかったんですが、いまの貴重書閲覧室には室内にそれがあって、だからすこぶる都合が良い。
でも、古典籍の類を扱うのはそんな都合の良い図書館の閲覧室ばかりではないわけです、たとえばかつてあたしが経験した、学芸員さんのかわりによそさんに展示のための資料を借りに行く(参照:http://egamiday3.seesaa.net/article/376964225.html)というお仕事のときには、「個人のお宅にお邪魔して、そのお宅の居間で古典籍資料を取り扱う」ということをやらなきゃいけなくて、どうしよう、そう都合良く手を洗わせてもらえるものかしら、っていうのがわかんなかったので、念のため、アルコールのウェットティッシュとペーパータオルを持参して「手を洗う」のかわりにする、ということをしました。うっかり水場を借りて手を洗ったところで十二分に乾かせるかも自信なかったしなので。それがどこまで正しかったかどうかは、ちょっとわかりませんけど。
え、じゃあ、どんなときも手袋をつけない、でファイナルアンサーですか?と。いついかなるときも、すこやかなるときも病めるときも幾久しく、手袋は使いませんかと。
いや、「手袋してください」説もあるにはある、っていう話ですが。
『文献学』(杉浦克己)
「事前によく手を洗い、また必要があれば手袋を用いる」
実は先に挙げた「使わない」説文献のほうでも。
『和本入門』の橋口さんは、先の引用文の前にこう書いてます。
「まず手を石鹸でよく洗って席につく。重要文化財クラスの本をさわるなら手袋をして、手垢などがつかないように配慮しなければならない」
もちろん、対象や条件によっては手袋しましょうという説はいくつもあって、どんなときも僕が僕らしくというわけではないと。
これも先に挙げた、『日本の美術』436「古写本の姿」(藤本孝一)では、
「金属や漆製品等には、手の油がつくので手袋を使用するのが一般的であるが」と。
そりゃそうです、うちとこも「手袋しない」とは言いましたが、こないだうちの貴重書庫に置いてある幕末期のホフマン金属活字を触らなきゃいけないことあったんですが、さすがに素手で触れませんでした。ちょっとの塩分でも錆びになるんじゃないかと思って。手袋ないから、ペーパータオルではさんで扱ってた。
そしてIFLAの「「貴重書は白手袋を着けて」という誤解」でも、その冒頭の断り書きとして、
「ただし、ここで対象としているのは歴史的な価値のある書物および紙媒体文書である。写真のポジ・ネガ、スライド等は対象外である。また、立体物(とりわけ変色してしまった金属の)も除外される。こうしたものは取り扱いに関してそれぞれ固有の注意すべきことがらがあり、それぞれの分野における専門家によって論じられるべきである」
まあ、そういうことですよね、という感じです。うちとこだけでも、金属活字もあればガラス乾板もある、羊皮紙もあれば酸性紙もあるで、なんでんかんでん一緒というわけではないですから。
うちとこでは「手袋しない」だしよその図書館でもだいたいそういう認識だろうと思ってはいるのですが、例えば、うちとこの所蔵資料を展示に出したいからっておっしゃる博物館・美術館さんのキュレーターの方がちょいちょいうちにいらっしゃって、資料を借り出して行かれるんですが、その半分くらいの方はこちらが何も言わないでいると白手袋を出してはめて扱おうとしはる。あ、どうしよう、たぶんあたしよりあちらさんのほうが資料の扱いについては専門家さんのはずなんだろうけどな、でもどうしようかな、って0.02秒くらい逡巡した末に、「すみません、うちとこでは手袋なしでお願いしてるんです」って言うと、ああすみません、って素手にシフトしてくれはる、という感じです。
それが正しいかどうかは、ちょっとわかりません。
あれはどうなんでしょう、美術館博物館業界さんの界隈では手袋するのが正当な方法であるということなのか、書籍文書刷り物も美術品の延長というあれなのか、業界のじゃなくその個人さんのポリシーなのか、組織機関さんのそれなのか。あるいはもしかするとですが、ご自分たちでは手袋なんかすべきでないって考えてるんだけど、だからって素手で扱おうとすると所蔵者さんによっては、なんだてめえうちの大事なお宝を素手で触りやがって、って逆鱗沙汰になりかねないからそれを避けるための、自衛策またはアピールなのか。いずれにしろ、自分自身の考え、もしくは自分の観測範囲内で共通認識とされている考えとは、異なる理由・考え・方針で動いてるところだって、もちろんあって当然だとは思うので、それはそれとしてでいいと思います。常識なんか人の数ほどあるわけだし。
でも、うちとこのは、すみませんこうしてもらえますか、という。
ただ、「素手にしてください」って言って、手を洗わずに素手で扱われそうになるときはさすがにどうかとは思うけど。
じゃあ、ほんとのほんとに紙媒体の取り扱いに手袋は完璧アウトかというと、これもまたそういうわけではないなというのが、先のハーバード時代ブログ(http://hvuday.seesaa.net/article/57605998.html)でも書いたんですけど、メリーランド大学のプランゲ文庫(註:戦後占領期日本の数年間の国内出版物がすべて検閲のためにGHQに集められたののコレクション)では壊れやすく傷みやすい劣悪品質な紙資料を取り扱うのに、保存上の理由から手袋をしています、と。その手袋は化学繊維の不織布みたいなのの極々すっごく薄いやつで、メッシュ的な感じにすらなってて、これだったら素手で取り扱ってるときと同じくらいの感覚で触れそうだし、それでいて手の脂とか汚れとかつかなくて済みそう、っていうあれで、技術でもって要件を満たしうるものが登場するんだったら、そりゃそっちのほうがいいよねっていう。あれほしいよね、ていう。
という意味では、「古典籍を取り扱うのに手袋をするか、しないか」っていうのは、単純なマルかバツかのルールというものではもちろんない、手袋してるから即ダメとか、素手だから即ダメとかいう問答無用のジャッジメントじゃなくて、なんていうんでしょう、「物を触る」っていうことはとどのつまり、自分とその物との”対話”なわけじゃないですか。触るって、対話ですよ。だからそれが果たして自分と相手にとって”適切な対話”だろうかということは、常に自分に問わなきゃいけないというか、そこに”リスペクト”がないと問題の根本解決にはなってないよな、ていう。
人と人との対話だって、相手をリスペクトしていれば、相手の事情環境にあわせてこっちの接し方やコミュニケーションの取り方を適切に変えていく、ということを我々ふだんやるわけです。ましてや、人間なんかよりよっぽどデリケートな古典籍資料との対話であれば、それ以上に相手との対話の仕方を弛まず怠らず問い直して、問い返してをしていかなあかんな、ていう。
対話の例かな。
「古典籍の取り扱いと実際《実習》」(尾崎正治)
http://bukkyo-toshokan.jp/activity/pdf/lecture_07_04.pdf
「私の場合は、基本的には石鹸で手の油を洗いとって触る、指の感覚を活かして掴むということにしています。どういう場合に手袋をするかといいますと、大谷大学には中国の秦漢時代を中心にした古印が八百点余り、封泥も二百数十点あります。これを手にとる場合は、ここにあります手袋を使います。また硯の場合は、どうするか悩むところですけれども、直に触る時は手袋をします。箱に入れて運ぶ時、手袋をしていますと滑らせて落としてしまう可能性がありますので、その時は手袋をはなします。」
ただ、最初の問題に戻ると。
長野県短大:学園祭で「和書喫茶」 古書を気軽に楽しんで - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20151018k0000m040026000c.html
まあ正直、この手の報道写真で白手袋があとをたたないのは、記者なりカメラマンなりが「そのままだと雰囲気でないから、手袋とかはめません?」的な注文をつけた(それを受けちゃう問題もあるにもしろ)っていうのの結果が半分くらいあるんじゃないか、って思ってますけど。そういうこと言いそう、っていうか言うし。刑事ドラマあたりの影響だろうとは思いますけど。沢口靖子ならそりゃはめるでしょうけども。
ことほどさように、事実上圧倒的に、盲目的に手袋を付ける&素手では触らないんだと誤解してる向きが大多数だろうとは思うので、そこはもっと「手袋はダメ」説を根気強く訴えていく必要はあるな、って思います。
それは絶望的な闘いでは決してなくて、えっと今年5月くらいだったかな、ゴールデンタイムに、くりぃむしちゅーが熊本大学の永青文庫文書を紹介する2時間特番、などというおよそ信じがたい奇跡的な番組があって、そこでは「手袋しないんですか」「しないんですよ、理由はこれこれで」っていうやりとりがしっかり放送されてて、あ、これすげえな、って思たです。
闘い甲斐もあるし、問い直し・問い返しもまだまだあるな、と思います。
大御所が、和本をレンジでチンして虫を殺す、って言うようなロックな業界ですから。