フォロースパムの話
Twitterで大量のフォローをしてフォロー返しされた人だけ残して、後はリムーブってのを繰り返すことでフォロー数を増やすという話。2010年ぐらいに「#followmeJP」のスパムとして流行っていた気がするけど、また同じような話をしているようだ。はてなブックマーク互助会が2013年の繰り返しであれば、フォロースパムは2010年。悪い方の歴史を繰り返すのは人間のサガを証明しているようで面白い。
現実問題として人間には返報性の原理がある程度まではあるので、フォロー返しをすることはあるし、リプライで会話をすればフォローすることもある。はてなブログであればブクマや言及も同じだし、その逆も然りである。実際にある程度までは有効なのだろうけれど、それを「手法」として明言されるとすごく嫌な気分になるし、複数人にしているのを見るとその確信が強まる。
釣りのノウハウと釣った魚が近すぎる
最近よく思うのが、システムや規約のセキュリティホールを着いた裏ワザ的なノウハウの発見、周知、陳腐化までのサイクルが非常に早まったなぁということ。それもチート的なノウハウを開示した時点のドヤ顔に頂点があって、後は崩壊するだけという感じ。
そういうことに一定の効果がある時期もあったのかもしれないけれど、それを手法として明言されたら終わる「妻に機嫌よくいてもらうための10の方法」を妻に話してしまったら、その行為自体に大きなバイアスが掛かってマイナスの効果しかない。花を買ってくるのは本心からじゃなくて、安い手法に従っているからと思わせたら終わりだ。ナンパも営業も同じ構造にあるのだけど、基本的にはクラスタが分かれているという前提がある。
複数人の通知欄を動かすことで反応をえようとする手段。いちいち付き合わされるのにウンザリしてるという前提をもってほしくはあるし、ダサいテクニックで釣ったことを得意げに話されると、釣られた側がどう思うのかってのを考えてほしくはある。
— 池田仮名 (@bulldra) 2015, 10月 17
SNSやブログにおいて手法を開示することの問題は釣った/釣られる魚と釣りのノウハウの位置が近すぎることにある。一時のドヤ顔のために「お前はこうやって釣られたんだよ」とか「これからも釣っていく」と言われれば、通知欄に出てくるたびにイライラするし、何をされても釣るためにやってんだなうぜぇという感想になってしまう。それでも「参考になります!」となる人はちょっとアレ。手法がダサい以上に、それを明言するのが致命的なのだ。
手法として明言したら終わる手法
フォローも言及もブクマも個人的な好き嫌いによって偏るのが当たり前だし、必然性のあるそれはポジティブに捉えているけど、良くも悪くも釣られやすい人たちの通知欄を集中的にチカチカさせて、それを手法として明言されると腹が立つし気持ち悪い。
なので「スパム扱いされるからやめよう」と自粛を呼びかけるのはちょっと違うんじゃないの?って思うわけです。「知り合い同士はブクマしやすいよね」っていう性善説をカマトトぶりながらも信じていたのに「新着に載らなくなるから止めよう」と明言されると、やっぱりそっち目当てだったのか……とも思えてしまいます。
既に周知されたダサい手法を自分にまで適用されると、その程度の存在に見られているのかと暗い気分になる。数を急速に増やすことに最適化するほどに個体識別が雑になっていくのだけど、人間性や社会性を捨て去ってまでフォロー数やアクセス数が欲しいのってなんだろうね。
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