新しい本を書き終えた。『平和の敵 偽りの立憲主義』という本だ。
今回、集団的自衛権の限定的な行使容認を含む安保法案に関して、「立憲主義」に違反する暴挙と言う批判が多かった。こうした極端な議論を展開していた人々を見ながら、私は一つの事例を精査する必要を感じていた。
PKO活動(国連平和維持活動)についての議論だ。私は、この当時、小学生であり、当時の雰囲気はまったく覚えていない。だが、のちに学んでいくうちに、この湾岸戦争、そして、その後のPKO法案こそが、戦後日本外交の分水嶺であったと考えるに至った。 このPKO法案が提出された際の議論を精査し、今回の集団的自衛権の行使容認論と比較してみたいと考えたのだ。
資料は厖大だった。まず、PKO法案に関する『朝日新聞』の過去の記事を全て読み込む作業から開始した。次いで、国会におけるPKO法案に関する審議を読み込んだ。そして、最後に当時、学者たちが何を主張していたのか、該当するであろう雑誌の記事を丁寧に読み込んだ。
多くの若者が国会前のデモに集まっているという夏の最中、私は国会図書館を始め多くの図書館に通い詰めることになった。
見えてきたのは、あまりに滑稽な事実だった。
本書で詳述したように、PKO法案が成立した後、多くの有識者、政治家たちが「立憲主義の危機」「憲法九条が死んだ」と説いていた。
殆どが今回の集団的自衛権の行使容認に反対する人々と同じ人々だ。
この人々は二十年前には、自衛隊のPKO活動参加によって、立憲主義、憲法九条が死ぬと主張していたのだ。
あれから二十年、現在、自衛隊が海外に派遣され、紛争や災害で困っている人々を救援する姿をみて「立憲主義を破壊する!」「憲法九条が死ぬ!」などと叫ぶ人はいない。
彼らの議論は極端なものだったことを現実が教えてくれている。
二十年経つと、彼らは集団的自衛権行使容認で立憲主義が死に、憲法九条が死ぬと叫んでいる。
だが、二十年前の彼らの主張が正しいとするならば、既に立憲主義も憲法九条も死んでいることになるではないか。
彼らは生きていない死骸を生きているといって守ろうというのだろうか?
それとも、彼らの主張が誤りだったと認めるのだろうか?
もしや、彼らの主張では憲法は生き死にを繰り返すものなのだろうか?
いずれにせよ、彼らの議論は極端であった。
今回の集団的自衛権の限定的な行使容認に関しても、20年の歳月を経れば、ごく普通の常識的な政策の一つと見做されることになるだろう。日本が集団的自衛権の行使が可能になったからと言っても、徴兵制になることはありえないし、戦争を始めるということもない。事実、法案が通ってから、徴兵制など実施されていないではないか。戦争も始まっていないではないか。
20年も経てば、彼らはまたもや、何かの政策に関して「立憲主義が破壊される!」「憲法九条が死ぬ!」と騒ぎ立てているのだろう。
一体、何度憲法九条は死ねばいいのだろうか?
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