登録 : 2015.10.15 23:37 修正 : 2015.10.17 12:00

ハンガラム歴史文化研究所研究委員イ・ジュハン氏

イ・ジュハン・ハンガラム歴史文化研究所研究委員 =イ・キルウ先任記者//ハンギョレ新聞社

 「檀君神話は事実でなく単なる神話に過ぎない。中国から渡ってきた遊民である衛滿が建てた衛満朝鮮は朝鮮半島で建てられた最初の国家だ。 朝鮮半島の鉄器文化は中国から流入した」。 彼は既存の国定・検定教科書に記述された朝鮮半島の古代史は、日帝強制占領期間に朝鮮総督府によって根本から歪曲されたものとし「歴史教科書を新たに書き直さなければならない」と主張する。日帝が朝鮮半島占領を正当化するために、我が民族の歴史を勝手に歪曲し、そのような歪曲された歴史を主流韓国史学者らが無批判に後輩の学者たちに教えてきたというのだ。

 最近、政府の歴史教科書国定化決定で韓国史歪曲論議が熱を帯びる中、在野史学者イ・ジュハン氏(52)が『危険な歴史の時間』(人文書院)を通じて韓国史学界の覚醒を促した。

史学科に入学したが“死んだ歴史”に失望
自ら落第した後、民主化運動で“獄中生活”
申采浩記念事業会に参加し
“在野史学”を開拓
『危険な歴史の時間』を出し国史学界を叱責
「朝鮮史編修會」イ・ビョンドの“親日史観”を批判
「失われた古朝鮮2000年の歴史から探さなければ」

 彼は古朝鮮を建国した檀君神話は決して神話ではないと主張する。“古朝鮮”の存在を初めて書いた人は一然大師(1206~89)であった。彼は生涯を通じて資料を収集し、70代で三国遺事を書き、そこに壇君王儉が紀元前24世紀に古朝鮮を建国したと記述した。 朝鮮半島と満州地域で紀元前24~30世紀以前の青銅器遺物や遺跡が発見されてから数十年が過ぎた。だが、既存の学界では朝鮮半島における青銅器使用は紀元前10世紀前後なので紀元前24世紀頃の古朝鮮建国は不可能だと言う。 彼は「青銅器時代に入ってこそ国家という枠組みを作ることができるという既存の理論は誤りだ」として「優れた文明を構築したインカやマヤ文明も石器時代であった」とその根拠を提示する。

 イエスが神話的人物だとしても彼の実在を否定できないように、檀君が実在したので彼の話が伝わっているということだ。「熊と人が結婚した」という神話もやはり、そちらの原住民である“熊トーテム族”が先祖を敬う民族と結婚したことを象徴的に表現したものだということだ。 「今日、延世大生を『新村鷲』、高麗大生を『安岩谷の虎』と言うようなものです」

 彼は「古代韓国文化が中国の黄河流域やシベリア地域から流入したという先入観は捨てるべきだ」と強調する。 古朝鮮の鉄器生産は紀元前13世紀で、中国の紀元前8世紀よりはるかに先んじていたということだ。 古朝鮮時代に辰韓と弁韓地域では鉄が生産されており、穢(わい・正字はのぎへんでなくさんずい)・馬韓・倭人が来て持っていき、すべての貨幣は鉄で造ったという記録が三国志、後漢書、東夷列伝等にも記録されている。

 「当時、冶金術の中心地が古朝鮮の領土である満州と朝鮮半島地域でした。 漢字の鐵の字を分解すれば、金属を意味する左側の金と右側には夷族の名称を意味する字が組み合わさっています。それというのも鉄器は中国から輸入されたものではなく、逆に東夷族の発達した鉄器文明を中国が輸入したからです」。

 「古朝鮮の周辺国に過ぎなかった衛滿が戦国時代に1000人余りの軍勢を率いて古朝鮮に入ってきてはじめて強力な国家を作った」ということも、古代朝鮮史の主体を中国人とするためにねつ造したことで、朝鮮総督府の“皇国史観”から始まったと見る。彼は「衛滿朝鮮が鉄器を本格的に受け入れ、中央政治組織を備えた国に成長したという歴史的記録はどこにもない」と指摘した。

 西暦4~6世紀に日本の大和倭が韓半島南部を支配したという「任那日本府説」もやはり日本近代史学界が最初に掲げた学説であり、日帝の韓半島侵略を正当化するために“創造”された話に過ぎないと彼は強調する。

 イ氏は「日帝は1910年から韓国古代史を抹殺するために、数十万冊の史料を回収し廃棄してしまい、1938年に朝鮮史編修会を通じて35冊2万4千ページに及ぶ『朝鮮史』を新たに発刊した。『朝鮮史』の発刊目的は先ず古朝鮮を歴史の本から消すことだった。 日本より先んじる韓国史をなくしたのだ」と話した。

 「韓国歴史学界の泰斗」と呼ばれるイ・ビョンド(1896~1989)が、解放以後にもこのような殖民史学を主導した事実はすでに良く知られている。 ソウル大国史学科教授、ソウル大大学院長、文教部長官、学術院院長を経て全斗煥(チョン・ドファン)独裁政権で国政諮問委員まで務めた彼は、朝鮮史の編纂を主導した日本人学者である今西龍から日帝の思い通りに新羅建国から始まる朝鮮史を受け継ぎ、それをそのまま後輩の学者たちに注入したということだ。

 既存学界から「在野学者」「国粋主義者」と呼ばれ徹底的に“無視”されているイ氏は、崇実大で史学を専攻した。 彼は西江大で史学を専攻した兄(イ・ジュヨン氏)の影響を受け遅れて大学に入ったが除籍された。 「意図的に学事警告を受けました。大学で教える歴史が全て死んだ歴史だと感じたからです」。その後、彼は民主化デモに積極的に加担し逮捕され拘束された。 87年6月抗争以後に解放された彼は、富川(プチョン)工業団地地域で偽装就業し労働運動をして再び検挙された。実刑に服して解放された彼は、出版社、肉体労働など10余種の職業を転々として丹齋 申采浩先生記念事業会の幹事を務めた。「死んだ歴史」と自ら規定した韓国史を蘇らせたかった。 ハンガラム歴史文化研究所研究委員になった彼は、『韓国史が死んでこそ国が生きる』(2013年)という挑発的なタイトルの本を出した。 親日歴史学者の史観を批判したのだ。しかし、既存史学界は徹底的に無視した。 「彼らの恥部を指摘したのです。だから懸命に知らぬふりをするんです」。

 殖民史学解体国民運動本部スポークスマンと女性独立運動記念事業会理事も務めている彼は、「育ちゆく生徒たちが習う韓国史は、一日も早く正さなければならない」、「失われた古朝鮮2000年の歴史を取り戻さなければならない」と語った。

イ・キルウ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-15 20:07
http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/713052.html 訳J.S(2716字)

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