橘家円蔵さん逝く…「ヨイショっと」月の家円鏡として一時代
人気落語家の8代目橘家円蔵(たちばなや・えんぞう、本名・大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。81歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行った。関係者によると7日午前1時ごろ、同居していた長女宅の2階寝室で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となったという。黒縁眼鏡がトレードマークで、1960年代からテレビ、ラジオ、CMなどで活躍し爆笑落語で一時代を築いた。体調を崩し3年前からは高座には上がっていなかった。
落語界の巨星が逝った。複数の関係者によると、円蔵さんは7日午前1時ごろ、同居していた都内の長女宅の2階寝室で突然倒れ、そのまま救急車で都内の病院へ搬送された。意識が戻ることはなく、最期は長女や義理の弟ら家族に見守られながら、息を引き取ったという。
事実上の一番弟子だった6代目・月の家円鏡(70)はスポーツ報知の取材に「入院していたとかも全くなく、本当に突然だった」と話した。しかし円蔵さんは心臓が弱く、長年心臓病の薬を服用していたという。「死に顔を拝見しましたが、スッキリしてほっとした表情で…。本当に安らかだった」と明かした。
円蔵さんは10年前に妻の節子さんを亡くしてからは、今年5月に長女宅に移るまで1人暮らしをしていた。その間、弟子らが一日も欠かさず自宅に入れかわりで寝泊まりし、亡くなるまで師匠を支え続けていたという。
下町の語り口や爆発的なナンセンスギャグ、頭の回転の速さでラジオのDJで人気が沸騰。「ヨイショっと」「うちのセツコが…」のギャグが大当たりし、テレビでも「お笑い頭の体操」(TBS)などで愛嬌(あいきょう)のあるキャラクターで誰からも愛された。真打ち昇進は1965年で当時、古今亭志ん朝、三遊亭円楽、立川談志らとともに「落語四天王」と呼ばれた。「うまいのは志ん朝さん、達者なのは談志さん。だから、あたしはおもしろい落語家を目指す」―。この文言を口癖のように繰り返し、高座では「おもしろさ」を追求した。落語界では当時タブーとされた黒眼鏡を着用。1時間近い人情ばなしも15分で切り上げ、はしょったこと自体もネタにした。
破天荒な芸風だが、心は優しく、人に気を使いすぎる性格だった。ストレスから全盛期の70年代には自律神経失調症を発症し、髪の毛も全部抜けた。弟子の円鏡は「もうツルツルになったんですが、高座で当時タブーだったカンカン帽子をかぶって出演して…。それで爆笑を取っていたのがすごい」。さらに育毛剤のCMにまで出演。自身の病気でさえも芸の肥やしにした。
78年の落語界内紛時には、師匠の7代目円蔵らとともに一度は落語協会脱退を表明したが、定席を求めてすぐに協会に復帰。82年に8代目橘家円蔵を襲名した。以降はほぼ高座に専念したが、12年からは高齢で口が回らなくなり、自ら出演を控えた。「悪口を言う人は聞いたことがない。素晴らしい師匠でした」と円鏡。昭和の日本を笑いに包んだ巨星がまた一人天国へ旅立った。
◆橘家 円蔵(たちばなや・えんぞう)1934年4月3日、東京都生まれ。52年、月の家円鏡(7代目円蔵)に入門し、前座では竹蔵、二ツ目で橘家升蔵として活動。65年に真打ちに昇進し、月の家円鏡を名乗る。TBS系「お笑い頭の体操」などテレビ番組やラジオ番組のなぞかけで人気を博した。1982年に橘家円蔵を襲名。十八番は「猫と金魚」「らくだ」など。
訃報・おくやみ