知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

浄瑠璃寺庭園

浄瑠璃寺の庭園は、平安時代後期に盛んに作られた浄土式庭園がそのまま残る貴重なものである。

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浄瑠璃寺庭園の中央にある宝池は梵字の阿字をかたどっていると伝えられている。宝池の東側には薬師如来坐像を安置する三重塔が配され、その対岸である西側には本尊の九体阿弥陀如来を安置する本堂が置かれている。これは薬師如来を教主とする浄瑠璃浄土(東方浄土)と、阿弥陀如来が住むとされる極楽浄土(西方浄土)の世界を表現しており、参拝者はまず日出づる東方の三重塔前で薬師如来に現世の救済を願い、そこから日沈む西方の本堂を仰ぎ見て理想世界である西方浄土への救済を願うのである。

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浄瑠璃寺の境内は、庭園や国宝の本堂・三重塔などの外観の拝観は自由にできる。JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス急行浄瑠璃寺行き約25分、「浄瑠璃寺前」下車すぐ

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当尾の里は、数多くの石仏が座していることでも有名である。浄瑠璃寺から岩船寺に至るその道すがらやその周囲には、様々な表情の石仏が数多く座している。これらの石仏は、当尾が浄土信仰で栄えていた鎌倉時代に刻まれたものであり、世俗化した奈良仏教に嫌気が差した僧侶たちは当尾の地に庵を構えて修行を行い、その傍らで地元民に仏教の教えを説いた。それにより民間の信仰心が高まり、集まった浄財によって石仏は作られたとある。

阪田三吉

阪田 三吉(1870年7月1日〜 1946年7月23日)は、明治から昭和初期にかけて活動した将棋棋士。贈名人・王将、堺県大鳥郡舳松村字塩穴出身です。

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家が貧しく、幼い頃から丁稚奉公をしていたため文字を知らなかった。将棋を親しく教わった升田幸三は、生涯覚えた漢字は「三」「吉」「馬」の三字だったと証言している。阪田の代筆をしていた書道家の北野千里は、この他に「坂」の字も書けたと証言している。現在、日本将棋連盟から販売されている扇子にはこの「馬」の字が使用されており、他の棋士の扇子よりも値段が高く、今なお将棋ファンに根強い人気がある。

阪田と実際に会った棋士たちの複数の証言がある。阪田は映画では無法者であるかのように描かれているが、実際には極めて礼儀正しい人物であり文字は知らなかったが江戸時代の古い将棋を相当よく知っており、将棋も独学ではなく阪田以前に大阪名人といわれた小林東伯斎に入門していた。
詳しくは阪田三吉

高林家住宅

高林家は、和泉国にあった徳川御三卿のひとつ清水家の領地33ヶ村内11ヶ村の「大庄屋」として苗字帯刀を許される家柄で、江戸時代を通して大変重要な役割を果たしてきました。

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表門を入ると大和棟の主屋が右側に、正面には座敷へ通じる式台玄関があります。主屋は天正年間(1573〜1592)に建てられた大阪府下で最も古い民家のひとつです。建築後、大庄屋としての格式を整えるために何度かの増改築が行われ19世紀の中頃、現在の姿に整えられました。

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敷地内には主屋の他にも土蔵や不動堂、稲荷社があり、山林も含めた敷地全体が、江戸時代の近畿地方の大規模な庄屋の屋敷構えを現在に伝えています。

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重要文化財  主屋・表門(附 弊串1本) 米蔵(附 柴納屋)・西蔵(附 土塀) 宅地・山林・溜池及び雑種地

土塔の復元

発掘調査では十三層の形状が明らかにならなかった為、ひとつの可能性を模型で表しています。十二層には直径約6メートルの円形に粘土が並んでいたことから、十三層は饅頭形の土壇の上に八角形の木造建物が復元されています。

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また、出土した遺物から木造建物には陶製の相輪があったと考えられています。

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建物の形状は、法隆寺夢殿(奈良県斑鳩町)や、栄山寺八角堂(奈良県五條市)室生寺五重塔(奈良県宇陀市)を参考に造られています。

土塔(供

土塔は全面に瓦が葺かれていました。その数約60.000枚です。また、各層の垂直面にも瓦を立てて風雨による盛土の崩壊を防いでいましたが、葺かれていた瓦の製作年代から、室町時代瓦葺きの補修が行われていました。

南西面

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南東面

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昭和10年頃の土塔、西面

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土塔からは、文字を記した瓦が約1.300点出土しています。大半は人名で、行基と共に土塔を建立した「知識」と呼ばれる人々の名を記したと考えられ、男女を問わず僧尼や士族の名も見られます。

土塔

土塔は大阪府堺市出身の奈良時代の僧・行基が建立したとされる四十九院のひとつ、大野寺の仏塔です。
平安時代に書かれた「行基年譜」には神亀4年(727)の起工とあり、鎌倉時代の「行基菩薩行状絵伝」にも、本堂・門とともに「十三重土塔」と記された塔が描かれています。

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発掘調査によって、土を盛り上げた一辺53.1メートル、高さ8.6メートル以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたことがわかりました。

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西面

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南西面

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東面

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「行基年譜」の記述と同じ「神亀4年」と記された軒丸瓦も出土しています。現在の姿は全体を盛土で保護し、十二層まで復元したものです。土塔に使われた瓦を焼いた窯跡が2基見つかっています。また、北方には行基が天平13年(741)以前に造った「薦江池」ではないかと考えられる「菰池」という池もあります。

ことば

日本には四季があって、春夏秋冬、様々な言葉が使われる。日本言語文化である。

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季節は「秋」
秋思(しゅうし)   冬へと近づく秋 しんみりと、もの思いにふけるさま
錦秋(きんしゅう) 紅葉が色づき、錦のように美しい秋のこと
花野        秋の七草をはじめ、たおやかで可憐な秋の草花が咲き乱れた野原のこと

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山茶花ちらし   秋から冬にかけて咲く山茶花、その花を散らして降る冷たい雨のこと
秋麗(あきうらら)柔らかな日差しに秋を思う、厳しい冬を前にした時期に訪れる穏やかな晴れの日
山装う       鮮やかな紅葉に彩られた山のようす、中国・宋の時代の漢詩が語源

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秋果(しゅうか)  秋の果物のこと、春に花をつけた果樹の多くがこの季節に豊かな実を結ぶ
冬隣(ふゆどなり) 立秋を控え冬の厳しさがすぐ近くに迫っている晩秋をさす
一葉の秋(ひとばのあき) 一枚の葉が風もないのに、はらりと散る秋の訪れを感じさせるようす
                                               その他多数あります

泉州堺

泉州堺には、仁徳天皇陵古墳をはじめとする百舌鳥古墳群のほか、由緒ある神社仏閣や歴史的な町並み、先人ゆかりの地、伝統産業など長い歴史の中で継承されてきた数多くの歴史文化が残されています。

堺駅周辺にて、

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泉州堺には鉄道駅が3駅ある。いずれも南北に走っている。堺駅「難波駅−和歌山市駅」(南海本線) 堺東駅「難波駅−極楽橋駅」(南海高野線) 堺市駅「天王寺駅−和歌山駅」(JR阪和線)

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千利休が与四郎と言われていた頃、武野紹鷗という茶人に弟子入りしました。紹鷗は塵ひとつない綺麗な庭を与四郎に掃除させたところ、与四郎が木を揺すって落ち葉を散らし庭に風情を出したことに感心し、弟子にした話が残っています。

武野紹鷗

武野紹鷗は文亀二年(1502)大和で生まれ、のち堺に移りました。皮屋の号を持つ豪商のひとりです。

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若い頃、京で三条西実隆に和歌を、村田珠光の流れを継ぐ茶人に茶の湯を学び、堺に帰って津田宗及、今井宗久、千利休らに珠光の「わび茶」を伝えました。
宗久を娘婿にして、財産・茶器を譲ったと伝えられています。茶人の北向道陳らと交友し、南宗寺の大林宗套に禅を学びました。

与謝野晶子歌碑

       ふるさとの 潮の遠音のわが胸に
               ひびくをおぼゆ 初夏の雲

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与謝野晶子は、近代文学・古典現代語訳・社会評論・教育など多方面で時代を切り拓きました。

中秋の名月

昨夜は中秋の名月、手持ちでは限度がある。

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与謝野晶子

与謝野晶子(明治11年〜昭和17年)が夫となる与謝野寛(明治6年〜昭和10年)と初めて会ったのは明治33年8月のことでした。
二人は生涯の伴侶として、日本近代詩歌の黄金期を形成しました。

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この文学碑に刻まれた昌子と貫の文章は、ともに貫の誕生満60歳にあたる昭和8年に書かれたものです。
たがいに詩人としての文学的資質を認め、全幅の信頼を寄せ合っていました。

夜明け

随分と夜明けが遅くなって来た。病棟のカーテンが白み始めると、また、長い一日が始まる。
病院は、多分、刑務所の次に殺風景だ。
唯一の楽しみは、窓の外の青い空、白い雲、緑の木々が見えること、

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更新も訪問も出来ていないのに沢山の訪問を戴き有難う御座いました。感謝です。

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お知らせ

     −お知らせ−

明日25日の退院が決まりました。(9月24日現在)
退院は25日になりそうです。(9月21日現在)


本日16日〜22日まで入院します。
ブログ更新も訪問も出来ません、帰り次第訪問致します。

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与謝野晶子歌碑

       すべて眠りし女 今ぞ目覚めて動くなる

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「山の動く日きたる」という詩の一節です。


   −お知らせ−
明日16日〜22日まで入院します。
ブログ更新も訪問も出来ません、帰り次第訪問致します。

堺幕府

大阪府堺市には歴史には記されていない堺幕府という政権がありました。四国の阿波より兵を起こし畿内を支配していた三好元長は、当時の室町幕府十二代将軍足利義晴を近江に追い払い、その兄弟の足利義維を立てて堺に幕府(1527〜1532)を樹立しました。

顕本寺は堺幕府最後の地として、ゆかりの深い寺院です。

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しかし、一向一揆の攻撃を受けた三好元長は顕本寺で自害しました。堺幕府最後の拠点となった顕本寺境内には、三好元長の墓があります。

与謝野晶子歌碑

       地はひとつ 大白蓮の花と見ぬ
             雪の中より 日ののぼるとき

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与謝野晶子は、生涯に短歌5万首を詠んだとされます。
与謝野晶子の、女性の自由と自立をめざした評論活動や、「君死にたまふことなかれ」の詩に書かれたことは、現代では誰でも納得するきわめて当然の内容です。しかし、晶子の生きた時代には、理解されない場合が多く、数々の非難中傷を受けました。

        あゝをとうとよ 君を泣く
        君死にたまふことなかれ、
        末に生れし君なれば
        親のなさけはまさりしも
        親は刃をにぎらせて
        人を殺せとをしへしや、
        人を殺して死ねよとて
        二十四までをそだてしや

この詩は日露戦争に従軍した晶子の弟への思いを詠んだもので、時代を超えて人々の心を打つ作品ですが、明治38年の発表当時は、
「国家観念を藐視したる危険なる思想の発現なり」と非難されましたが、晶子は「当節のやうに死ねよ死ねよと申候事、又なに事にも忠君愛国などの文字や畏おほき教育勅語等を引きて論ずる事の流行は、この方却て危険と申すものに候はずや――」と反論しました。

藤袴

落羽松(杉科)

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藤袴
     萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花
                おみなへし また藤袴 朝顔の花
                                      山上憶良

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ハーベストの丘を歩く

ハーベストの丘は休日ともなれば親子連れで賑わう。何と言っても、遊具施設や動物施設が充実しており見て触れて食べて体験ができる。また、若いスタッフが多いのも良い

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バラ〇ード
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ペンタス

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カピバラ(ハーベストの丘)

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カピバラ
泳ぎが得意で、前足後足には蜘蛛の巣状の水かきがついている。群れを成して泳ぎ、捕食動物から身を隠すために5分以上もの潜水ができる。

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寿命は5年から10年、草食性で朝夕に活動し、川辺で水中の草や木の葉などを食べて過ごす。

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オスは鼻の上に分泌腺があり、交尾期になるとメスを惹き付けるため、これを周囲の木の葉にこすりつける。妊娠期間は150日、齧歯類の中では例外的に巣を作らず、水辺の草むらに直接仔を1匹から7匹産む。1頭のオスと複数のメスとその仔からなる10頭ほどの群れで生活し、集団で子育てを行う。

乗馬(ハーベストの丘)

動物ふれあい広場には、牛、羊、山羊、ラマ、などがおります。
シープハウスでは山羊の調教をしていました。

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動物ふれあい広場を過ぎると乗馬コースがある。

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吊り橋(ハーベストの丘)

街のエリアと村のエリアを結ぶ吊り橋

吊橋の中央付近に横揺れを小さくするため水槽が設置されている。橋の横揺れと水の横揺れが同じになるように水深を決めることで、水が揺れることで橋の揺れを小さくすることができるという。
専門用語でTLD(Tuned Liquid Damper 同調液体ダンパー)と言う、構造が簡単なことから横浜マリンタワーや新横浜プリンスホテル、東京国際空港タワーなどでも風による振動を小さくするために設置されているという。

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ラマ

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ハーベストの丘

ハーベストの丘(Havuest Hill)  街のエリアと村のエリアがある。

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街のエリアには、ハーベストカフェ、星空の散歩道、バーベキューレストラン、アーチェリー、おもしろ自転車、ゴーカート、里山陶芸工房、観覧車などがある。

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大阪府堺市の泉北丘陵の南端に位置する農業公園です。

浜木綿



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浜木綿(万葉植物名 はまゆふ)

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        み熊野の浜木綿
           百重(ももへ)なす心は思へど直に逢はぬかも     柿本人麻呂                         

雨上がりの午後

宝永元年の大和川の付け替えまで、現在の大阪市域に至る80か村、約55000石を灌漑していた狭山池、幾度となく改修が重ねられ、1988年からの大改修によって池の周囲は公園として整備された狭山池、
雨上がりの午後、狭山池を散歩しました。

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メランポジューム(菊科 メランポジューム属) 原産地:メキシコ周辺
春に種を蒔き、その年の夏に花を咲かせる一年草で暑さに強く、やや日当たりの悪い場所でもよく育ちます

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