こんにちは、政治を語りたくないMistirです。
ご安心ください、僕は可能な限り政治的主張を書きませんし押し付けません。
安倍政権反対?結構。
安倍政権賛成?結構。
それで良いんです。
でも、「問題はそこじゃねえよ」って言いたくなることがたまにあるんですよ。
それが今回のテーマ。
要約すると以下のような感じかな。
・↑の画像のような文具が一部の公立高校で見つかった
・教職員組合は「学校現場を萎縮させる」と反発
さて、このニュース。
色んな人の感想見てるけど……
「(先生の)思想が統制されている」だとか、「民主主義の侵害」とか、挙句の果てに「(特定の思想を取り締まるのは)戦時中の教育のようだ」とか。もちろんその真逆の反応もたくさんあって、二分されている状況です。
これが「戦時中の教育のよう」? 酷い的外れ。逆です。「こんな文具が教師の手から配られるようであれば、そんなもん思想をひっくり返しただけの戦時中の教育じゃねえか」が正解です。
先生の思想の自由?
思想は自由ですよ。思想はね。
ってことで、じっくりとこの問題を整理して語ってみましょう。
さて、そもそも「学校で安倍政権反対と書かれた文具が見つかること」の何が問題なのでしょうか。
まずは、「先生が配ったものである」と仮定して話を進めましょう。
後でその他の可能性も考えます。
前提条件として、「公立高校で見つかった」ことを覚えておいてください。
結論から言えば、「自由度の高い先生が自由を行使して、自由を非常に制約される立場にある生徒に、『教育の名目』で政治思想を植え付けること」は、端的に言えば「暴力」です。だから問題なのです。
ここでの「暴力」の定義は「殴ること蹴ること」ではなく、「圧倒的優位にある状況から、逆らえない状況にある相手を、思想的あるいはその他の条件で強制的に縛り付ける」ことだと考えてください。
勘の良い人は気付いたと思いますが、ここでの前提条件は「教育とは一歩間違えば暴力である」です。
こういった意識がまったくない人がなんと多いことか……
「君が代不起立問題」ってありましたよね。
この記事、橋下氏の反論もちょっと的外れなんだけど……まあそれはそれとして。
僕、この問題すっげー違和感あったんです。
なんで多くの人が、「思想の自由」っていう観点で語ってるの?って。
そりゃ思想は自由です。
先生がおっぱいのことばっかり考えてたって自由ですし、現政権相手にテロ起こしたいと考えてたって自由です(具体的に計画すると確か捕まるのでやめてください)。
自由ですよ、そりゃ。
でもな。
生徒に思想の自由を行使する自由はないんですよ。
高校以降は義務教育じゃないから、生徒には「教育を受けない自由」もある。
でも、それはなんというか「大義名分」であって、「高校を卒業しない」ことで生じる不利益とかそういうことはここで語るまでも無いでしょう。
で、教育現場では「儀式」は絶対のものとして扱われる。
個人的に言えば、今の政権やらなんやらよりも「体育大会」やらの行進のほうがよほど軍部を髣髴とさせる。これ以上言うと政治思想的になりそうだから言わないけど。
もちろん「体育大会」が良いか悪いか、そんなことは論点じゃない。
大事なのは「教師はそれを強制することができる」と、そういうことなんだ。
それに逆らうと「内申点が落とされる」かもしれない。不良生徒のレッテルを張られるかもしれない。
「生徒の自由の行使」は「先生の権力」によって、上書きされる。
誤解してはならないのが、それは決して「間違いではない」ということだ。
行事も何もせず勉強だけする学校ってそれはそれで嫌だし、「ある程度のルール」が無ければ統制が取れない。
要は「しゃあないのでとりあえず、今のところは疑問もあるかもしれないけどルールは守りましょうね」っていう態度が生徒にとっても先生にとっても大事だってことだ。
で、そんな「ルールを守ることを強制させることのできる」教師が。
何故「自由意志で自分の思想のためにルールを破る」姿を堂々と生徒に見せられるんだ?
おかしいだろ、それはいくらなんでも。
いや、理屈をつければ幾らでも「君が代不起立」の正当性なんて証明できるよ?
でも同時に、理屈を付ければ幾らでも学校行事に参加しない正当性も証明できるでしょ?
で、それやったら君ら、成績下げるでしょ?
そういうことなんですよ。
自分たちは生徒に「強いられる」立場にある。
何度も言うようだけど、それは全然悪いことじゃない。仕方ないんだ。
だってその最低限の「立場の強さ」が無ければ、学校はマッドマックス的世界と化しますからね。
だけどな。
強大な力を「やむなく」行使してるっていう、その自覚ぐらいはしろよ!と思うわけです。
この「やむなく」が本当に大事。
極論、君が代不起立教師には「俺は権力を使って人を従わせることができるけど、お前らに自由を行使する権利はない」と言ってるのと一緒、つまり「独裁者」と同じ空気を感じるわけです。
……あー。ここまで書いて気付いたけど……もし、「これを全部認識してる先生なら」君が代不起立でもアリな気がしてきた。
つまり、学校の「理屈では十分反論可能だけどルールとして存在するもの」を全部「破ってもいい」と教えてる教師、あるいは「それを強制させてしまって申し訳ない」としょっちゅう生徒に謝ってる先生。
……まあ、勝手なイメージだけど君が代で起立しない教師がこういった教師ではないような……気はする。……うん、これは勝手なイメージか。
さて、話が大分遠回りしましたけど、ここまで書けば十分に伝わると思います。
何故、「安倍政権批判の文言入り文具が学校で見つかったらマズいか」。
僕は「熱心に授業してたらつい政治思想を言っちゃった」みたいなのまでダメだとは言いません。そういった潔癖な世の中はしんどい。
でも、上の記事にあるような「イデオロギー丸出しグッズ」を配ったりするのは……控えめに言って人間のクズでしょ。
これが真逆の政権賛美メッセージでももちろん、人間のクズです。
しかも公立高校でしょ?私立高校ならまだ反論の余地はわずかに残ってるけどさ……
マックス・ウェーバーの『職業としての学問』の後半部分を超絶要約すると、こうあります。
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「お前ら、学者として『先生』やるならその分野で『先生』やって導けよ。勘違いしてそれ以外の領域で先導できるとか、調子に乗ったこと考えたらあかんで」と。
当時のドイツは激動の時代。生徒は教師に「指導者」「全能者」としての姿を描き始めていたらしい。で、先生もチョーシに乗っちゃった、と。
それは違うやろ、とウェーバーさんは言ってるわけだ。
でさ、先の話に戻ると……
先生の、「誰も逆らえない」立場で、自分の主義主張を、「逆らえない」生徒に、押し付ける。
卑怯だろ、それは。
繰り返しますが、思想は自由。学校から帰った先生が家でブログに超過激な政権批判書こうが、政権賛美書こうが、あるいは先生同士の飲みの席で何を言おうが、全く問題はございません。
でもな、「独裁」だけはするなよ。
「生徒の立場に」なれよ。少しは。
逆らえない生徒に自分の政治思想植え付けて悦に浸るなよ。
僕が思うのは、そういうことです。
で、あとは少しだけ。
「先生が配ったものじゃなかったら」って仮定。
これは実は微妙なところです。「先生が配ったものかどうなのかまだ判明してないから」、そもそもどちらの仮定にしても調査が入るのは当然。でも実際には他の人間が配ったものだとしたら?
例えば変な親が、「クラスメイトに配ってくれ」と自分の子にそういったグッズを持たせて、配らせた……とか。
あり得ない話ではないですね。
でも、それってダメなんじゃなかったっけ?法的に。
法的にアウトじゃなかったとしても倫理的にはアウトだよねぇ……語るまでもない。
ってことで、調査が入ってるコト自体を批判してる人は何を考えてるんだ?と僕は思います。
こんなもん調査が入らないほうがよっぽどコワイわ。
その方がよっぽど世の中壊れてる。
「先生の思想の自由を奪ってる?」馬鹿言ってるんじゃない、自由なら教育現場の外側で好きなだけ行使できるじゃないか。
大事なのはまず生徒の「これから」の自由だろ。
これから自分の意志で幾らでも「思想」を持ち得る未来を奪うなよ。
「学校現場を萎縮させる」? じゃあ君らの学校現場でどっかの親が生徒利用して自社製品営業しても良いし、宗教勧誘しても良いんだな?調査で例えばそういった意図の「団体」が子供を利用してイデオロギーグッズ配ってることが判明するかもしれねえんだぞ。良いんだな?
そもそもお前らが大事にしてんのは「学校現場」か?「生徒」か?
と、やや感情的になりながら書きなぐりましたが、参考になれば幸いです。
お読みいただきありがとうございました。
では、また次の記事で。