大阪は晴れ
私はだんだんと表現力があがってきた。校正ミスも減った。何より新しい考えをわかりやすく伝えられるようになったのが、うれしい。それが今まで上手にできなかった。
『1億総活躍』は実際にイメージすると、対人差別がなくなる
1億総活躍。安倍政権の大臣の役職(1億総活躍相)の一つ。これは標語として評判が悪い。しかし、実際に、それを使って世の中を見渡してみると、意外とよい考え方と気づく。
普段、我々は悪人、犯罪者を過度に警戒して暮らしている。が、この標語をイメージしながら、町中を見渡すと、あら不思議。彼らですら、何か日本の役に立っていると思えてくる。全員が日本のために活躍しているからだ。彼らを差別しない態度が養われる。つまり、これは私利私欲で反社会的なことをする人物はいない、というユートピア的な発想なのだ。古い表現だが、そんな視点をもつことは、とてもよい。
これは標語としては日本人の連帯感が感じられてよい。左派が反社会的に活動する。組織犯罪者がたくさん日本に暮らす。それで日本の中に悪人がいて、日本が分断されているように感じる。が、1億総活躍とくると、そんな敵味方もなく、全員が日本の発展のために、一丸となって活躍することをイメージできる。悪人ですら、よく活用できる、善人になりうると思えてくる。そう考えられるだけでも、楽しい。
この視点では、犯罪者が町に歩いていても、さほど気にならなくなる。みなが日本をよくするために、行動していると、考えるからだ。人を差別しなくなる考えである。地球人が一丸となる。これもいつかイメージできるようになりたい。
民主党が勝つためのメディアの要件
民主党が勝つには、国内メディアをリベラル化しなくてはいけない。左傾化するとそれがすぐに共産党に流れるからだ。民主党は保守リベラルの立ち位置。左派では親中・反米に走り、政権が運営できない。民主党を支えるには、メディア(毎日、朝日、新聞・テレビ)も左傾化せずに、保守リベラルで統一する必要がある。
具体的には、左翼運動の封殺である。民主党内に、保守と左派(旧社会党系)がいる。リベラル政党になるために、左派の影響力を下げなくてはならない。メディアも、そのために尽力しなくてはならない。
民主党の意義は、労働者の利益を守ることだ。が、実際に、実際にしていることは、権力闘争に成り下がり、労働者の利益を害する共産的な運動がいくつかある。それを区別して、労働運動から、共産闘争のような過激な面を取り除く。労働者を幸福にしない過激な左翼運動は、否定する。具体的には以下の活動はやめる。
1,反米闘争(日米間は親しいほど日本人の生活の安定は増す)
2,唯物史観(国家をソ連のように荒廃させる思想の産物の一つ)
3,社会保障制度の充実を些細な理由で阻止すること
4,安保反対(世界の混乱が拡大する最中、日本だけ何もしない態度は好ましくない)
5,改憲阻止(憲法は改正しないと、日本人の意識も発展しない)
これらは、全共闘という左翼シンパが好む運動やもので、保守リベラルは許容しえないものである。
唯物史観は否定的に扱う
唯物史観は共産主義に基づく。それを教えると子供が共産党にシンパシーを感じる。それを防ぐために、日本に誇りをもてるよう保守的な教育を受けさせる。それを推奨するようにメディアは報道する。
中国・北朝鮮は非民主国として扱う
共産国の最たるものだ。あの国がよいとするなら、必要なのは共産党となる。民主党は必要なくなる。あんな共産体制はあってはならないといえば、必然的に共産党は存在してはならない、と人々は思うようになる。すると共産に流れる票は止まる。メディアはそう報道しなくてはならない。
沖縄反米闘争は、過激派を区別する
あれは左翼運動が交じる。沖縄の運動を報道を通して、民主党的なものと、共産主義的なものを区別して、報道する。民主党と似ているが、似てもいないものを人々は、区別する知恵をつけられる。
日米安保は肯定的に報道する
反米には一線を画することが大切だ。民主党は外交で中国に近づき、失速した。世論を親米に保つと、民主党も揺らぐことがなく、そこで失政はしなくなるだろう。
労働運動は、民主党派的なものを推奨して、共産系のようなものをことごとく否定する何が民主党の敵かとといえば、共産党系列の労働運動だ。それはみつけしだいひどい労働運動だと告発する。彼らは仲間ではない。民主党の敵である。その自覚を強くもたなくてはいけない。共産党系は、イデオロギー色ぷんぶんの政治運動で、労働者そっちのけだ。彼らは、もやは同志ではない。民主党にとっては、票を奪う敵である。
以上、民主党を応援するメデイアやジャーナリストは、世論から共産党や共産主義(資本論など)を肯定する論調・言葉をすべて取り除き、共産を否定する空気を生じさせることが大切である。それがやがて、民主党の支持基盤になる。リベラル意識の形成のために、なすべきことは、後で追加する。
20,人間の精神型 (ベース・型)
人間の精神は、本人の哲学によって、大きく5型にわけられる。感覚型、運動型、理性型、社会型、空間型とする。これは発達心理上の区分とする。
感覚型とは
感覚で物事を判断する。難しいことはわからない。見える世界のすべての物事に広く関心をもつ。世界を感じることは好む。ブランドを好む。9歳未満で、内的成長を止めた人の精神だ。
運動型(知性型)とは
知識を好む。難しいことを言うのが好きだ。学者はたいていこのタイプである。内向型と外向型がある。内向型と外向型は見た目で明らかだ。
外向型はいろんなことに興味をもち、芸術感覚が明るい。
内向型は中世の哲学のように、経験的である。経験から法則を導き出す才能がない。そのため、主観しかもてない。客観をもてない。社会が判断することが正しいと言う。暗い芸術を好む。どの考えが正しいか競いやすい。これは、9-11歳で、内的成長を止めた人だ。
外向型は、自分の価値観にこだわらない。外側の力学を探し求める。マイモニデスや鎌倉仏教のように、膨大な知識を簡素化した法則を好む。このタイプは、ルネサンスの人格のように、自然主義であり、開放的だ。明るく均整のとれた芸術を好む。世界にある法則を求めつづける。このタイプはどの思想が優れているか、などはあまり考えない。その思想の関連性をつきとめられる。12-14歳で、内的成長を止めた人だ。
前半、後半もどちらも『力学』、『運動』、『動作マニュアル』のようなものを好む。
理性型とは
自分が物体に依存しない理性存在と自覚する。明るく聡い。理性的なものを信条にもつ。経験的法則は信条に取り入れない。すべては合理的なもので成り立っていると理解する。真に科学的(自然法則を受け入れる)な精神だ。ただ、おとなしい。あまり自分の哲学を開示しない。
15-17歳で内的成長を止めた人だ。このタイプは極端に人数が少ない。1万人に1人以下である。
社会型とは
まず自身が理性と自覚した上でさらに発展したタイプだ。複雑な理性を理解するタイプだ。このタイプは、自分の外側にある理性、多数の理性(人間や動物の脳)の関係をとらえる。集合的な知性のベストなあり方を模索する。複雑な物言いが好きである。『連関』や『関係論』を好む。18-19歳で内的成長を止めた人。100万人に1人以下である。
社会型2とは
すべては理性と考える。強い好奇心で、世界の理性を集め、体系化する。物事は簡略化して伝える特性がある。インターネットの成長とこの人物の精神成長は似る。10億人に1人以下である。20歳近くまで内的成長を続け、そこで止まった人だ。
空間型とは
人間では確認されていない。内的成長を20歳以後も続けた人。理性を個人に宿す。すべての物質に完全なる理性が宿ると考える。その単位の集まりで、空間が作られていると考える。
以上が精神型である。これら精神型は、21歳までに決まる。それ以後、人間は、この基礎を変えない。それ以後はこの精神型をベースにして、精神を成長させる。
本日の被害
体がだるい。薬剤を飲まされたようだ。半日くらいだるい。今日は体調が悪め。睡眠中に何か飲まされたようで、だるい箇所がだんだんと体内をさがる。
以上