ボクは朝はNHKニュースをつけっぱなしにしている。
一つ一つ見るわけではないのだが、今、このコーナーだからこうしなきゃ、という目印にしているのだ。
なので、さっと目を通しはしてもじっくり見ることはあまりない。
ところが、今日はちょっと気になる特集をしていたので、ちょっとじっくり見てしまった。
「自閉症の治療薬が開発中」という話だ。
ニュースについては以下のサイトで読めるので、興味があるならぜひ目を通しておいてほしい。
オキシトシンが自閉症の治療薬に使えるのでは、という話は目新しい話ではない。
東京大学が2013年にプレスリリースしており、今回の特集もこのプレスリリースから目新しい発展があったわけではない。
プレスリリースは以下のとおりだ。
ホルモンの1種であるオキシトシン注2)をスプレーによって鼻から吸入することで、自閉症スペクトラム障害において元来低下していた内側前頭前野注3)と呼ばれる脳の部位の活動が活性化され、それと共に対人コミュニケーションの障害が改善されることを世界で初めて示しました。
ただ、ボクは以前から「オキシトシンが自閉症の治療薬になる」という話には以前から違和感を持っている。
いや、オキシトシンがコミュニケーション改善に効果がない、というわけではない。
むしろ、オキシトシンを吸入することで人の表情を読み取りやすくなり、自閉症のある方が日常生活を送りやすくなるなら大歓迎だ。
もし、薬剤として認可され、安く投薬できるなら希望にもよるが、あおも使用すればよいのではないか、とも思っている。
では、何に違和感を感じているのか。
それは「オキシトシンを吸引すれば『自閉症』が『治る』」かのような表現が気になるのだ。
ボクは「聴覚障害」「ADHD」を持っている。
「聴覚障害」に対しては人工内耳と補聴器、ADHDに対しては「コンサータ」「ストラテラ」という薬を利用して「対処」している。
この「対処」によって日常生活を送り、仕事もなんとかできて日々生計を立てることができている。
しかし、この状態を「障害が無いのか」というと、「それは違う」と言いたいのである。
障害とは一生付き合っていくものである。
だから、「障害は治る」という表現には違和感を持つ。
(精神障害のような「治る」とされてるものに対してはまた別であるが)
だから、「オキシトシンを吸引すれば自閉症という障害がなくなる」というような報道にはやはり疑問を感じてしまう。
いや、「軽減するなら治るのと同じことではないか」という意見もまたあるだろう。
しかし、ボクは人工内耳を入れて電話もなんとか出来るようになった。しかし、この状態でも「聴覚障害は治った」とは言わないだろう。
自閉症についても、同じことである。
「治る」という言葉は魅力的だ。
聴覚障害に対しても「人工内耳を入れて聴覚障害を『治す』」という言葉を見ることがある。
しかし、それはとても危険なのだ。
人工内耳を入れても、聴覚障害者は聴覚障害者であり、決して健常者にはなれないのだ。
その事実を突きつけられら時、心おられる聴覚障害者や保護者は決して少なくない。
私の知っている例を挙げよう。
ある児童養護施設に行ったことだ。人工内耳をつけている子がいたのだが、全くしゃべらないし反応もしない。
「あの子はどうしたのですか」とボクは聞いた。
職員の方は
「あの子は人工内耳の手術をしたんです」
「でも、人工内耳をつけてもコミュニケーションがうまく取れず、親から虐待とネグレクトを受けてここに来たんです」
と答えてくれた。
これはあくまでもボクの推測だが、彼の親は人工内耳を入れたら健常者のようにコミュニケーションを取ることを夢見て手術を決断したのだろう。
しかし、それがかなわず、悔しくて悲しくて、彼を虐待してしまったのではないかと思うのだ。
人工内耳とは人によって効果が全く違うものだ。
また、リハビリにも根気がいるし、辛くて途中で挫折することも多いのだ。
もちろん、医者や言語聴覚士の努力で年々、成功率は高まっている。
それでも、この子のように「失敗」してしまう子もいる。
その「失敗」の度合いは手術を受ける本人や保護者の期待値によって変わる。
だから、人工内耳を入れることは「健常者と同じようになることではない」という「覚悟」をしなくてはならない。
聴覚障害だけではない。どんな障害でも、障害を支援する技術がどう高まっても「ナマの自分」は健常者にならないのだ。
そして、「治る」という言葉をどう捉えるか。
「健常者と同じようになる」という設定をしてしまえば、それは叶わない。
その期待が裏切られた時、人は二度障害によって心をへし折られるのではないか、と考えてしまうのだ。
それゆえ、ボクは「障害が治る」という言葉にとても危うさを感じてしまうのだ。
また、今朝のニュースやプレスリリースをもう一度読んで欲しい。
「表情を読み取れるようになる」とは書いているが、自閉症の障害はコミュニケーションの問題だけではない。
面倒だから羅列はしないが、その一例を知りたければ、「ボクの彼女は発達障害」を購入の上、勉強すると良い。
ちょっと読んだだけで、自閉症といっても多岐多様の困難が生じると理解いただけると思う。
あくまでも「人の表情が読みやすくなりました」という「だけ」に過ぎない。
だが、大半の視聴者はこの番組を見て「自閉症は『すべて』治るのか」という「誤解」を受けてしまうだろう。
その視聴者の中に「自閉症者」「自閉症児の親」が相当数いることも用意に想像がつく。
「そうか、治るのか…では、試してみよう」
その先に、何があるのかは今のボクにはわからない。
だが、ハッピーエンドだけではないのは、確実だ。
だから、あえて警鐘を鳴らそう。
「自閉症は治らない!」
「障害者は健常者にはなれない!」
これが、31年間を障害者として生きてきた人間からの、後輩となる障害者へのメッセージである。
あ、障害者として生きるのも、そう悪いもんじゃないですよ?
とても共感出来ます。
僕の72歳の母も、幼い頃から聴覚障害があり、補聴器生活を続けています。
機種や型と音量調整に常に悩まされています。
でも、そのおかげで僕は、大きな声でハキハキしゃべる元気な人間に育ちました🎵
僕はテレビ局のディレクターで、先日、ダウン症について取材しました。
その時に感じたことをブログにまとめてみたので、よろしければお読みになって下さい。
ありがとうございました。
http://uchinaconvoy.blog.fc2.com/blog-entry-319.html