浪士様といえば道具の手入れに余念の無い事です。
何しろ釣りには道具が命で御座いまして、分けても浪士様の釣りは極細0,3mm.の穂先などを操るのですから、欲目もからみましてそれは丁重に手入れをする事です。
滞りなく入念に準備をいたしました道具共々勇躍釣り場に赴きます。気力充分、備えも万端さて至福の釣りの時間で御座いまして、釣り師供といいますと、これがあの陸では風采の上がらぬ同じ人間かと、見まがうぐらいの気力の充実しておるところで御座います。
釣りが成立するといいますのは、釣り師の気力、道具、餌この三点が有れば概ね成立します。この上良い日和と潮周りの条件が相整いますと、目出度く満願の釣りという具合に成るところです。
人間どちら様も隙なく生きるということは難しいものが御座いまして、へま どじ 間抜けという人格を演じてまいります。そうですへたくそな人から名人と呼ばれるような人まで等しく演じるのですから、人間すべからく平等で御座います。
浪士様も平民ですからご他聞に漏れずやってしまいました。
手入れを施し改造などを加えた、一方的な都合の良い思い込みが入って、この竿でああしてこうしてああなって、それはまことに都合の良い竿が御座いました。
釣り場に着いて竿ケースをあけますと愕然として参ります。
入れ忘れた!
こうなりますと気力の萎える事おびただしく、それは一日釣りに成らぬ事です。
竿は数本準備いたすものですから釣りにはなるのですが、落胆のほうが大きく人生無駄な1日ということに成って参ります。
さる名人、渡船場にあたふたと駆けつけてまいりまして釣り場に向かいます。筏に到着しますと何やら船頭と小声で話しておりますが、再び船着場にとって返します。
何事かと思っておりますと、再び筏に戻ってきた名人の手に竿ケースが。
何のことはありません、急いで乗船したので車に竿ケースを忘れたのです。
名人とも成りますと、何食わぬ顔でそ知らぬ顔をいたします。悟られまいとして平然といたすのです。
いけません、あからさまに歴然としておるのですから隠したって駄目です。他の釣り師は名人の失敗によそよそしく嬉しがってまいります。
権威のある先生が高邁なお話しをされる。見るとズボンのチャックが開いている。この様な可笑しさで御座いまして、権威のある方の方がより可笑しい事と成ってまいりまして、晴れ渡る瀬戸内にほのぼのとした笑いが漂うのです。
この様な何でも無いへまは並みの釣り師にとっては珍しい事では御座いませんで、今日も堂々とどじを踏んでまいります。
ある釣り師、今日は釣り針を忘れております。 いたし方の無い事です、端から「針を一本ください」とお願いする事です。このような状態に陥った釣り師を釣場では「おもらいさん」と呼んで、それはそれは丁重にもてあそぶ事です。
「一本1000円の針しかないが、しょうがないのう・・やるわ」
「普通おもらいさんには三回廻ってワンと言わすところ、自分は優しいところで二回廻ってもらう所、今日のところは勘弁して使わす」
などと心置きなく弄ばれるのです。
釣りにおきまして針の消耗は激しいものが有りまして、「針を三本ください」といっておけばいたぶりも一回で済むのですが、一本と言ったばかりに三回もいたぶられる、こんなはめになりますから「おもらいさん」にも手練手管のいることです。
晴れ渡る秋空に今日はどんな事件が待ち構えております事やら。