1975年の時点で、人工衛星を宇宙に打ち上げた国は米国とソ連しかなかった。そんな時、日本が「きく2号」という衛星を宇宙に打ち上げた(編集部注:きく2号打ち上げは77年2月23日)。日本の船舶エンジン技術者らがロケットエンジンの開発を始めたのは、わずか6-7年前のことだった。そんな日本が、どうやって衛星を打ち上げることができたのか。米国のおかげだ。両国は69年、宇宙開発で協力するという協定を結んだ。「協力」とはいうが、実際には設計からソフトウエアまで、米国が技術を提供した。このとき学んだ技術で、日本は独自のロケットを打ち上げた。日本は現在、ロシア・米国に次いで多くの衛星打ち上げ実績を積んでいる。宇宙大国にして、ミサイル大国だ。
当時、財政難に陥っていた米ソは「ロケット販売で投資を回収できないだろうか」とそろばんをはじいていた。しかし、ミサイル技術と直結するという特性のため、ロケット技術はカネだけで売ることはできない。韓国がロケット「羅老号」を開発するとき、米国に断られ、ロシアのロケットを2000億ウォン(現在のレートで約208億円)という高値で買った理由でもある。ところが米国は、欧州の友邦を差し置いて、日本に技術を与えた。なぜ日本を選んだのか。
数年前、日本のロケット開発を主導した五代富文博士と会ったとき、理由を尋ねた。五代氏は「日本が自らロケットを開発するのは明らかだったから」と語った。技術があるので、米国が先んじてアプローチしてきたというのだ。ちょうど、羅老号打ち上げ失敗で苦しんでいた時期だった。気分は良くなかった。本当に、技術力が全てだったのか。技術力がないから、韓国はいつも冷たい扱いを受けているのか。間違ってはいないと思う。