ちなみに韓国も中国に負けず劣らず熱心に動き、今回の追加登録の前までに合計9件の記憶遺産の登録を果たしている。朝鮮王朝実録をはじめ、「承政院」という王朝の秘書室的な機関の長大な記録「承政院日記」などが対象である。
さて、中国に関して重要なのは、中国政府が南京事件の資料を記憶遺産に登録申請する方針を早くから公表していた事実である。中国外務省の華春瑩報道官は2014年6月の記者会見で次のように述べていた。
「中国は『記憶遺産』の登録に積極的に取り組んでおり、このほど『南京大虐殺』と『従軍慰安婦』に関する 貴重な歴史資料の登録申請を行った」
つまり、南京事件と慰安婦とを中国が登録する世界記憶遺産として認めることをユネスコに公式に申請した、というのである。
ユネスコを道具にして記憶遺産登録を利用する対日宣伝戦は、ほぼ1年半も前に公然と宣言されていた。だが日本の外務省が中国の登録活動を阻もうとした形跡は、今年10月のユネスコの最終協議以前はまったくない。こうした点から、日本政府はタイムリーな活動が欠如していたと言わざるをえない。
伏魔殿のようだったユネスコという組織
第2に、日本はユネスコの特殊性や記憶遺産の登録システムの特徴をきちんと理解していなかった。
日本にはまず国連に対して、戦後の早い時期から幻想とも呼べるような特殊な思い入れがあった。「世界の平和と安定を保つために、世界のどの国家よりも強い権限を有する国際組織が国連である」という信仰にも近い認識だった。しかも、国連は「公明正大」だと信じ込む傾向が戦後の日本に長く根を張ってきた。
だが現実には、国連とは各国のギラギラとしたエゴがぶつかりあう駆け引きの場である。個別の主権国家がただ集まっているだけで、国連という手段をただただ利用して自国の利益になる事業を推し進めることが優先される。