「頑張れ!」って言葉、とてもなじみのある言葉ですね。
他者に対して、応援する気持ち、励ます気持ち、「見守っているよ」と言う思いを伝えるのに、頻繁に使われています。
また、自分自身が努力をしているときにも、「頑張ってます!」と用いることがありますね。
とても良い言葉だと思います。
でも、私はこの「頑張れ」という言葉が嫌いです。
と言うか、この言葉を軽々に他者に発することが嫌いなのです。
なぜならば、他者に対して、この言葉を投げかけるのは、傍観者的である、と言うか、あまりに無責任に過ぎると感じているからです。
人に対して、「頑張れ」と言う。
でも、その言った本人は、いったい何をどうコミットしているのか。
軽々に「頑張れ」と発することは、一線を引いた外側に身をおいて、自分が楽しむために、何らかの所作を強要している、ように聞こえてならないのです。
実にうがった考え方だと分かってはいます。
実際に、一心同体で共に努力を重ねてきた人は、十分にコミットしています。
そうでなくとも、心から応援しているその気持ちを、この言葉で表すことは実に当たり前のことですからね。
なので、使っている人を否定するつもりはありません。
ただ、自分は軽々に発すべき言葉ではないと思っているのです。
こう考えるようになったのには、理由があります。
タイトルに書いた「『頑張れ!』って言われなくたって、頑張ってるんだよ!」は、私の息子が母親に(つまり、私の妻に)発した言葉なのです。
息子はサッカーをやっています。
彼が小学校の頃までは、観戦に来ている父兄の声援は凄まじいものがあり、キャーキャー、ワーワーと黄色い声援が飛びまくります。
その中で、一番多いのが「頑張れ!」なのです。
ある試合の後、「ねぇねぇ、お母さんの声、聞こえた?」と妻が嬉しそうに問いかけました。
すると息子は迷惑そうに、
「聞こえてるけどさぁ、もう声を出すのやめてくれない」
と言ったのです。そして、
「別に『頑張れ!』って言われなくたって、こっちは頑張ってるんだよ!いちいち言われなくても、分かってんだよ!」
と答えたのです。
そのときの妻は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になったので、私は思わず噴出しそうになったのですが・・・。
後で、息子にこそっと聞いたら、
「あれだけ一生懸命やっているのにさ、好きなように言ってるから。なんか勝手過ぎるんだよ」
と答えていました。
なるほど、そういうことかと合点がいきましたね。
小学生でもこうなんだから、これが大人だったら、尚更だな、とも。
そして、自分自身もまさにそうだな、と。
メンタルの人に、「頑張れ」と言うのはNGです。
また、「頑張れ」と言われ続けて、身体や心を壊してしまう人がいます。
これはもう、「頑張っている」のではなく「無理しすぎている」と言うことでしょう。
私は、あえて「頑張ろう」と言いません。
「しっかりとやろう」、「楽しんでやろう」、「ここは踏ん張ろう」、・・・。
このように、意図的に言葉を使い分けるようにしています。