コラム

ノーベル平和賞のチュニジアだけが民主化に「成功」した理由

2015年10月15日(木)16時40分
ノーベル平和賞のチュニジアだけが民主化に「成功」した理由

2014年末に行われたチュニジア初の民主的な大統領選挙では世俗派政党「ニダ・チュニス」のベジ・カイドセブシが当選した(カイドセブシの支持者) Anis Mili- REUTERS

 2015年のノーベル平和賞は「多元的な民主主義の構築に寄与した」という理由でチュニジアの「国民対話カルテット」が受賞した。労組や人権組織、弁護士組織など4つの組織の連合体である。2011年にチュニジアから始まったアラブ世界の民主化運動「アラブの春」はアラブ世界に波及したが、民主化の命脈を保っているのはチュニジアだけとなった。

 25万人の死者を出し、400万人を超える難民を出しているシリア内戦はいうまでもなく、イエメンやリビアもほとんど内戦状態であり、2011年に非暴力で強権体制を倒し、世界中の称賛を集めたエジプトも、選挙で選ばれたイスラム系の大統領が軍のクーデターで排除され、強権体制に逆戻りした。

 いま、思い出したかのようにチュニジアの市民団体にノーベル平和賞が出るというのは「アラブの春」への鎮魂歌のようでもあるが、唯一、世俗派とイスラム派が共存することで残ったアラブ民主化の試みを顕彰し、将来の希望として託す意味は大きいだろう。

エジプトとの違いは、軍の強さではなくイスラム系組織の強さ

 なぜ、チュニジアだけ民主化の流れが残ったのだろうか。共に平和的革命だったエジプトとの比較で、よく言われるのは、チュニジアにはエジプトのような強い軍が存在しなかったということだ。しかし、軍の強さ、弱さの問題ではないだろう。チュニジアでも政治的な対立は深刻だったし、ゼネストなどで混乱が激化していたら、軍が動く可能性はあっただろう。「国民対話カルテット」の功績は、「世俗派対イスラム派」の政治的な対立を対話によって克服し、市民社会を守ったことである。

 なぜ、エジプトではそのような対話ができなかったのか。私がチュニジアとエジプトを比べて思うのは、革命後に選挙で勝利して政権を主導したイスラム系組織の強さの違いである。チュニジアのアンナハダはエジプトのムスリム同胞団の流れをくむイスラム穏健派だが、ベンアリ体制の下で1992年以降、政治活動を完全に抑え込まれていた。革命後にアンナハダのメンバーに取材したところでは、組織だけは維持したが、社会に向けての活動はできなかったという。

 一方のエジプトのムスリム同胞団は、50年代、60年代のナセル時代に非合法化され弾圧されたが、70年代のサダト大統領時代に非合法のまま活動を黙認された。80年代には医師、技師、法律家、薬剤師などの職能組合選挙を制して主要な組合運営を支配するようになった。2005年の議会選挙では政権の弾圧の下で議席の19%に当たる88議席をとるほどの力を持っていた。

 革命後、最初の議会選挙でどちらも第一党となった。チュニジアのアンナハダは41%の議席をとり、エジプトでは同胞団が創設した自由公正党が43%の議席と、結果に大きな差はなかった。しかし、その中身はかなり違っていた。同胞団は組織をフル動員して集めた組織票だったのに対して、20年近く活動を禁止されていたアンナハダにはそれほどの組織票はなく、イスラムを掲げたアンナハダに対する貧困層の期待が集まったという印象だった。

チュニジアでも革命後、イスラム厳格派の勢力が強まった

 チュニジアと言えば、アラブ世界の中でも西洋的で世俗的というイメージが強い。それはイスラムの教えに基づく慈善運動さえ禁止し、熱心にモスクに通うだけで警察に目をつけられるというようなベンアリ時代の世俗化強制によって作られたものだった。圧力がなくなって、革命後にイスラムが表に出てきた。首都チュニスの中心部でもベール姿の女性が増え、アンナハダの拠点となった旧市街では伝統的イスラム色が強くなり、首都を出て地方に行くと、イスラム色はさらに強くなった。

プロフィール

川上泰徳

フリーランスの中東ジャーナリスト。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。退社後、エジプト・アレクサンドリアを拠点に中東を取材している。著書に『イラク零年』(朝日新聞)、『現地発 エジプト革命』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)。

ニュース速報

ワールド

フィッチがブラジルを格下げ、まもなくジャンク等級の

ビジネス

独VW、EUで約850万台リコールへ

ビジネス

ゴールドマン2四半期連続の大幅減益、債券トレーディ

ビジネス

米シティの第3四半期は51%増益、経費減少し減収補

MAGAZINE

特集:世界最悪の危機 絶望のシリア

2015-10・20号(10/14発売)

死者25万人、避難民1200万人──内戦で破綻したシリア。この国の悲劇を知らずに難民問題は理解できない

人気ランキング (ジャンル別)

  • 最新記事
  • コラム
  • ニュース速報
  1. 1

    毛沢東は「南京大虐殺」を避けてきた

  2. 2

    原油安で独り勝ちする米経済

    世界の資源をドカ食いしていた中国経済の減速と原…

  3. 3

    デルがIT史上最高額でEMCを買う狙い

    新会社はHPの脅威、そしてIBMのライバルにな…

  4. 4

    レアメタル商品の換金不能問題に見る中国の金融リスク

    8万人が57億ドルを投資した“ノーリスク・2桁…

  5. 5

    台湾・蔡英文氏訪日と親中・親日をめぐる闘い

    台湾野党、民進党主席の蔡英文が来日で見せた巧み…

  6. 6

    中国の「反スパイ法」と中国指導部が恐れるもの

    反スパイ法に定められた「中国の安全に危害を及ぼ…

  7. 7

    農民がショベルカーを「土砲」で攻撃する社会

    なぜ爆薬が簡単に入手でき、「テロではない」とさ…

  8. 8

    インドネシア高速鉄道、中国の計算

    日本には「理解しがたい」条件だったが、中国はそ…

  9. 9

    2万人殺しても2万人増えるISISに米軍は打つ手なし

    空爆が効果を上げなかっただけでなくシリア反体制…

  10. 10

    ロシアがシリアの病院複数を空爆

    アサド軍の樽爆弾にロシアの空爆が加わり、シリア…

  1. 1

    マイナンバー歴44年の僕から一言

    あなたのマイナンバーは届いたかな? 実は僕…

  2. 2

    「TPPの湯」に入れない中国の自業自得

    中国経済の飛躍は2001年のWTO(世界貿易機関…

  3. 3

    軍では効かない中東の紛争解決

    この週末、筆者が勤務する千葉大学で、日本政治…

  4. 4

    「一億総活躍社会」の目標設定は意外とシリアス

    内閣改造にあたって安倍政権は「一億総活躍社会…

  5. 5

    オバマ政権が見透かす、シリア情勢に介入したロシアの「動機」

    ロシアはシリア領内での空爆を拡大する一方で、…

  6. 6

    TPP妥結の政治的意味、日本とアメリカ

    面倒な交渉の末にようやく妥結したTPPですが…

  7. 7

    嫌韓デモの現場で見た日本の底力

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー 〔7月…

  8. 8

    レイプ写真を綿々とシェアするデジタル・ネイティブ世代の闇

    ここ最近、読んでいるだけで、腹の底から怒りと…

  9. 9

    首相のポスターに落書きした場合のみ逮捕される社会

    先月半ば、安倍首相のポスターに度々落書きをしてい…

  10. 10

    間違い電話でわかった借金大国の悲しい現実

    ニューヨークに住み始めた僕は、まず携帯電話を手…

  1. 1

    フェラーリ、IPO仮条件48━52ドル 時価総額最大98億ドル

    欧米自動車大手フィアット・クライスラー・オー…

  2. 2

    「思いやり予算」の改定交渉、3回目も日米の溝埋まらず

    在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思い…

  3. 3

    新型プリウス燃費は一部グレードで40キロ、2割以上改善=トヨタ

    トヨタ自動車は13日、12月に国内で発売する…

  4. 4

    独ボッシュのソフトに不正改変なし、VWが独断で書き換えか

    独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)が排ガ…

  5. 5

    中国はEU結束を支持、習主席の訪英控え外務次官がコメント

    中国外務省の王超次官は、習近平国家主席の訪英…

  6. 6

    トルコ首都で親クルド集会に爆弾、95人死亡し過去最悪の自爆攻撃

    トルコの首都アンカラの主要鉄道駅近くで10日…

  7. 7

    焦点:独VW、前CEOが築いた「畏怖と尊敬」の企業風土

    排ガス不正問題で先月引責辞任した独フォルクス…

  8. 8

    大手行の決算に注目、インフレ指標なども発表=今週の米株式市場

    12日から始まる週の米株式市場では、大手銀行…

  9. 9

    訂正-福島原発の汚染水問題、東京五輪には「十分めど」=所長

    東京電力福島第1原発の小野明所長は9日、廃炉…

  10. 10

    消費税10%着実に実施を、3本の矢全体で推進=IMF副専務理事

    国際通貨基金(IMF)の古沢満宏副専務理事は…

 PHVが拓くこれからのモビリティ
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

コラム