明日へ−支えあおう−「三十一文字の思い〜福田こうへいと“震災の短歌”〜」 2015.10.12


今紹介したのは東日本大震災で詠んだ短歌です。
今でも鮮明に思いとしてこう出てくるいろんな風景あとは短い中にもひと言ひと言の中にいろんな思いを詰めて想像させる。
そういった短い言葉の中に作者の思いがたくさん詰まってます。
東日本大震災から4年余り。
あの日からたくさんの歌が詠まれています。
福島の人は奪われたふるさとへの思いを詠みました。
高校生はあの日に感じた不安を歌にしました。
NHKでは2011年から東日本大震災を詠んだ短歌を募集。
今年も全国から385首が寄せられました。
そこには4年の月日を経てもなお癒えない深い傷や今だから詠める亡き人への思いが刻まれています。
5月岩手県宮古市で短歌の作者が集い思いを語り合う歌会が開かれました。
ほんとに何というのかな。
初め見た時。
選者の一人としてこのイベントに参加した福田こうへいさん。
岩手県雫石町出身で2012年36歳の時にデビュー。
民謡日本一の経歴を持つ演歌歌手です。
三陸沿岸を度々訪れ無料コンサートを開催。
被災地に歌で元気を届けてきました。
震災を詠んだ短歌。
その思いに触れる旅です。
俺とするとここの陸前高田にはいろんな思い出のある人たちがいましたのでね。
う〜ん。
自分の知り合いもまだここの陸前高田で見つかってないのでね…。
福田さんがまず訪ねたのは岩手県陸前高田市。
ここに去年仮設住宅を出て新生活を始めた人がいます。
ではおじゃまいたします。
(チャイム)こんにちはどうも。
どうも…ほんとに。
どうぞ。
よろしいですか?すいません。
熊谷宏子さん。
娘との2人暮らしです。
震災当日九死に一生を得た体験を歌にしました。
改めて思い出させてしまう事も大変失礼だなって思いますけどどういうふうにご自身とすると解釈を…解釈といいますかね。
もうその状況っていったらもうとにかく暴れるっていう波のすごさを言葉で表すにはそれ以外…波のその勢いとすさまじさはね「狂ひ立つ」という言葉以外になかったんですけどね。
(熊谷)その時の車はすごかったです。
町いっぱいが車。
娘に助けられ励まされ公園に続く石段を駆け上がりました。
辛うじて難を逃れる事ができた熊谷さん。
しかし…。
「え?」って。
そして…なんとも言いようがなかったね。
町内会長だった夫の桂嶽さん。
熊谷さんと娘に早く避難するよう言い残し家を飛び出したまま帰らぬ人となりました。
癒える事のない震災の傷。
たくさんの車が人を乗せたまま流された光景が忘れられず今も車の運転はできません。
それでも「少しずつ前を向かなければ」。
そんな思いを抱きながら熊谷さんは短歌を作っています。
一つの何かな…。
それはありますね。
今は家を飛び出した時の夫の最後の言葉が熊谷さんを支えています。
だからその言葉がね…。
(鈴の音)
(波の音)今回たくさんの震災の短歌を触れる事ができそして読ませて頂きました。
中でも一番やっぱり自分だけじゃなく印象に残ったのはその命を落としてしまったそういったものを詠んだ短歌でした。
「毎月1回視力の弱い方へのボランティア活動音声朗読の会で一緒だった友人。
優しくて思いやりのある人でした。
突然の別れがとても悔やまれ残念でしかたありません」。
「バレンタインデーにチョコレートを頂いたのでお返しにと用意していたホワイトチョコが大震災のために渡せませんでした。
翌年のホワイトデーの日仏壇に花と一緒にお返しを供え冥福を祈りました」。
長年親しくしてきたカキ小屋の主人への思い。
この歌を詠んだ人を岩手県宮古市に訪ねました。
北口さん。
ピンポンがない。
いいかな?ごめん下さい!・はいどうぞ!失礼します。
髪もさっぱりして。
髪さっぱりしていいね。
90歳。
1人暮らしをしています。
福田さんが会いたかったのには理由がありました。
5月に開かれた歌会でこんな場面があったのです。
私ね詩吟やってるんですよ。
(生島)やって下さいよ!うなって下さいよ。
(北口)いや娘たちに見せてやりたいんだ。
「時季来れば牡蛎携へて来る青年の父は津波に逝きし友人」。
(拍手)
(北口)「時季来れば牡蛎携へて来る青年の父は津波に逝きし友人」。
駄目だ…。
(拍手)それでは福田さんに歌って頂きましょう。
(笑い)詩はあるんですけど今度曲となるとまた難しいものがありますね。
福田さんが歌ったらね今年も「紅白」間違いなし。
(笑いと拍手)いやあの時北口さん詩吟に乗せてこれをちょっとやったったでしょ。
いきなり振られてさ「演歌でできませんか?」って言われて演歌でやるのもまた難しいもんで字も足りないべしね。
ただ三橋美智也さんが歌ってるやつの中でそれのメロディーにねちょうどまたこれ合うんだよね。
その詩吟のような…。
・「時季来れば牡蛎携へて来る青年の」・「父は津波に逝きし友人」いいねいいわ!いいねいいいい!短歌を詠み始めて70年以上。
日常の風景や出来事を題材に歌に刻みつけてきました。
この歌に込めたのは友人を震災で失った悲しみです。
ほんとにね何年となく…亡き人への思いを詠んだ歌は被災地以外からも寄せられました。
東京都調布市に暮らす…中津川さんは宮城県南三陸町の出身。
夫の勝さんもご近所さん。
昔からの知り合いです。
高校卒業後上京してはや50年。
事あるごとにふるさとを思っていました。
そのふるさとが震災で壊滅的な被害を受けました。
遠く離れた東京でなかなか入ってこない情報に歯がゆい思いをしながら家族や友人の安否を気にかけていました。
まんじりともせず朝を待ちようやく届いた朝刊。
しかしそこには「南三陸」の文字はありませんでした。
ここここここ。
その思いが歌になりました。
幸い家族は無事でしたが生まれ育った家を失いました。
そして青春時代を共に過ごした仲間をたくさん亡くしました。
震災から4年。
ふるさとに帰って同級生と酒を酌み交わし悲しみを分かち合った時歌が生まれました。
だから「そうだねそうだね」ってこういうふうにして車座になってお話しした時に女の人は…高校生が詠んだ歌もたくさん寄せられました。
短歌作りが盛んな…高校生の全国短歌大会「短歌甲子園」で優勝経験もあります。
震災当時まだ小学生だった1年生2年生が当時の不安な気持ちを詠みました。
学校で卒業式の練習をしていたんですけどその時地震が起こって外に避難したんですね。
1年生の大友拓人さん震災当時は小学5年生でした。
あの時に感じた大きな不安とつかの間の安堵を歌にしました。
「忘れない…」。
もう忘れてんじゃん!「『電気がついた』と響く声午前3時の家族の歓喜」っていう。
すごいじゃん。
震災で大切なふるさとが全く違う形違うものに見えてしまった。
そういった経験をした方もたくさんいらっしゃいます。
次はそんなふるさとを詠んだ歌を紹介します。
「私のふるさとは宮古市鍬ヶ崎。
震災によって変わり果てた姿を目の当たりにし生家跡を死に物狂いで捜し回り3度目にしてやっと見つける事ができました。
跡地に立って涙が流れて止まりませんでした」。
「大小学校に短期間勤務していました。
震災後訪ねた時学校の前にあった歩道橋が見当たらずぼう然としました。
道行く人に尋ねると小さな鉄の塊を指さし『ここだったの』って教えてくれました」。
「女川駅近くの海岸に住んでいましたが津波で全て流されてしまいました。
かもめの駅舎が出来鉄道も通りましたが何かにつけて女川を遠く思います」。
自分もこれを聞いて読んで涙が出ましたけれども自分もやっぱり生まれ育った所が駅前でした。
その皆さんもいつもあったあの時あったという見たもの自分の育った駅がなくなってしまった。
そういったものに心がぐっと惹きつけられて何でこういう姿になったんだべなそういうふうに共感しました。
ふるさとがなすすべなく変わり果てていく。
そんな思いを詠んだ人もいます。
登山専門誌のライター写真家として各地の山に登り自然のすばらしさを伝えている…渡辺さんの生まれ故郷は…東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で全町民が今も避難生活を余儀なくされています。
渡辺さんの実家も居住制限区域にあります。
日中の出入りはできても住む事はできません。
町内の除染作業が進むにつれて増えていく除染物を入れた黒いフレコンバッグ。
その光景を歌に詠みました。
渡辺さんに歌を詠んだ場所に案内してもらいました。
かつて美しい水田や畑だった場所が除染物の仮置き場になっています。
ふるさとが元の姿を取り戻すのはいつの日かまだ何も決まっていません。
震災から4年の月日を経てそして前向きに進んでいこうと送られた歌も紹介させて頂きます。
「震災後4月に今の仮設住宅に住み始め裏山に鳴くうぐいすに癒やされました。
5度目の春となる今年もうぐいすに癒やされています」。
「三陸沿岸の人々が待ちに待った三陸鉄道の復興列車再開の日」。
「島の越駅に一番列車を待つ人々があふれていました。
手に手に海色のハンカチを振って」。
「流された人一人一人の物語を大切にしたい」。
この歌を詠んだ人を訪ねました。
あっどうも。
いやいやいやご苦労さまでした。
この間はありがとうございました。
どうぞ。
すいません失礼いたします。
まさかこうへいさんとここで会えるなんて夢にも思わなかったです。
はいどうぞ。
あらあらすいません。
楽にして下さい。
すいませんじゃあ楽にさせてもらいます。
私も楽にします。
どうも。
なかなか伝えれなかったものあとは伝えきれていないものも確かにたくさんあるわけですよね。
そういうものを何となくうまく短歌に乗せてそしてうまくまとめたと言ったら変なんですけどね助かった人は助かった人としてその亡くなられた皆さんにどういうふうに前向きにいけばいいかっていうのがすごく感じ取られましたね。
土井さんが生まれ育ったのは宮古市の沿岸部田老地区。
巨大な防潮堤があったにもかかわらず大きな被害を受けました。
震災直後変わり果てたふるさとの情景を詠んだ歌です。
「大津浪復興の二字浮かび得ず瓦礫ニキロのふるさと歩む」。
当初はこうした歌を作る事にためらいがありました。
土井さんの家は海から離れた場所にあり被害がなかったからです。
それは俺とも一緒だったな。
ああそうですかやっぱり。
歌歌ってる場合じゃねぇべっていうのがまずね…。
呼ばれるまで行ぐわけにいがないわけですよ。
そしてやっと呼ばれたなっていうところで気持ちはうれしい反面行ったもののうれしい思いで歌届けるってわけにいがなかったから。
「それでも短歌を作り続けたい」。
土井さんの気持ちに変化が生まれたのは「生き残った自分たちだからこそ伝えなければならない事がある」。
そう思い始めたからです。
また今後も人を元気にさせるような短歌もまた今後もよろしくお願いします。
時間の流れとそのスピードっていうのは人それぞれのものですからやっぱりゆっくりでもいいんだまず前に進むべっていうその気持ちがあれば一番だな。
それしかないと思いましたね。
震災から4年。
重ねた歳月が人々の気持ちを少しずつ動かしています。
2015/10/12(月) 03:25〜04:10
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「三十一文字の思い〜福田こうへいと“震災の短歌”〜」[字][再]

今年もNHKでは震災にまつわる短歌を募集し、全国から385首の歌が寄せられた。番組では歌手・福田こうへいさんが、短歌を詠んだ人々の元を訪ねてじっくりと語り合う。

詳細情報
番組内容
今年もNHKでは、震災にまつわる短歌を募集し、全国各地から385首の歌が寄せられた。そこには「今も癒えずに残る震災の傷」「亡き人への追慕」「変わり果てた故郷への思い」など、4年の月日の中でたどりついた思いが凝縮されている。番組では、岩手県出身の歌手・福田こうへいさんが、短歌を詠んだ人々の元を訪ねてじっくりと語り合い、三十一文字に刻みつけた心の叫びと、4年の月日がもたらした変化をたどっていく。
出演者
【出演】福田こうへい,【キャスター】畠山智之,【語り】合原明子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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